"暁の彼方"について

年明けは自身のダイエット記録も兼ねてモリモリ文章書くぞ〜とかおもてたけど、長らく放置しておりました。俺の決意はいつだって驚くほど脆い。

先月、ミスタニスタとして実に5年ぶりに新しい音源を出しました。
「遭逢するトリロジー」というこれからのミスタニスタを象徴したようなアルバムです。実はこのアルバム名についても話したいことがあるのですが、これはまた後日。

で、柴垣が先月末から今月頭にかけて各曲の解説的なことをしておりました。
それを見て俺も「そういやライナーノーツって書いたことないな」と思い、書くことを決意。
ミスタニスタの歌詞は一応全てウエムラが書いているのですが、何をどうやったって言葉が捏ねくり回って恐らく分かりづらい。
なんていうことを考えていたら、俺が考えたことや伝えたいことって実はそんなに伝わってないのかもというある種の不安が湧いてきて
それならゆーたらええやない、と実にシンプルな答えに辿り着いたわけですね

そっから書こう書こうとは思っていたものの、やはり俺の決意は驚くほどに脆いのでズルズルと先延ばしになっていた次第です。
ただ脆いとはいえ、決意は決意なので取り敢えずやってみようってことで無理せず元気に書いていきます。

前置きが長くなってしまいましたが、今回は記事タイトルの通り"暁の彼方"という曲。この曲は端的にいうと、ミスタニスタの曲!
本当に完全に徹頭徹尾自分たちの曲です。以上!とは流石に出来ないのでちゃんと諸々書きます。

暁の彼方は今回のアルバムの中で1番最初にできた曲で、最初に出来たのがこの曲だから今回の音源も出せたのでは?と個人的には思っている。

多分これを読む人の多くはご存知やと思うけど、
2017年4月27日にミスタニスタは1度活休した。
理由としては「ウエムラが学業に専念のため」なんていう大層な理由ではあるけれども実情はやんなきゃいけないことを後ろ倒しにしたが故の自業自得な結果でございます。当時は本当に多くの人に迷惑をかけたと思う、この場を借りて改めてお詫びを申し上げます…。

当時ミスタニスタは「ストレンジャーの叫喚」という初の全国流通版の音源をリリースし、全国ツアーが始まるだのなんだので我ながら"良い感じ"だったと思う。
ろくに大学にも通ってないのに「卒業したら音楽に専念しようかしら」などと割と本気で考え始めてもいた。(ちなみに大学はなんやかんやで通わないと卒業出来ない。)
とはいえ諸々の環境が勿論それを許すわけは無く、大学を卒業するか音楽を辞めるかという強烈な二択を選ぶ時がくる。それが2017年のちょいと前。

活休を決める直前、
頭がパニックになり、取り敢えず落ち着こうと思って酒をガブ飲みしたりするのだけど全く思考はまとまらず「こんなことならもういっそ消えよう!」みたいな誰の何の救いにもならんような希死念慮まで湧いてきたのをいまでもよく覚えている。

そっから色々と高低差がエッグいメンタルジャーニーを経て、活休に着地。
親にも友人にもその他沢山の人から「大丈夫なの?」と言われても「俺は取り敢えずコレをがんばんねん」と香川出身のクセに関西弁でかましていた決意は存外あっけなく終わる。

その後めちゃくちゃ勉強を頑張ろうと思うも、全然頑張れない。真っ当な大学生活を送ったことがなかったので、力の入れ方がわからんのだ。
単位もろくに取れずライブも出来ず曲も作れず。
これまで「これしかない」と思ってたものが無くなると驚くほどに生活は腑抜けたものになる、とこの時に初めて気付いたな、そういえば。

そんな腑抜けた感じの生活なのでなんかもう色々としんどく、頑張らなきゃと思えば思うほど逃げたくなり時間は腐るほどあるはずなのに何故か日雇いバイトで食い繋いだりしてました、当時。
あの時も毎晩浴びるように酒を飲んでいた、お陰で今でも俺は日本酒が好きです。

ただ曲がりなりにも力を入れ続けていればコツが掴めてくるもんで、段々と学校にも通えるようになる。昼は授業、夜はコールセンターの夜間受付、その翌日はまた授業、みたいなイカれた生活でしたがバイト先にはかなりご理解いただけたおかげでなんとかやれてた。バイト明け、授業に向かう電車の中で「あ〜ちんちんを振り回してヘリコプターみたいに空を飛べたらなぁ」とか考えてたので当時は完全に躁状態だったのだと思うけど、卒業できたのでまぁ結果オーライ。

一度潰えたバンドの夢をもう一回追うのは時勢的にもかなりキツいことは承知していたので就職活動を行い、無事内定が出て「さーてこれから人生どうなるかね」とか思ってたら、ミスタニスタのLINEで「なんかやりますか」的な話が浮上。
前述の通り、バンドとして売れるなんてことは流石に無理だと承知しつつも3人でやる音楽が好きだったのと、やっぱり歌うのは好きだったので快諾。
で、程なくしてシバガキが持ってきたのがオール打ち込みで作られた暁の彼方の原曲だったっちゅうわけです。
初めて聴いた時「え、めちゃポップ!え!すごい良い曲!こんなのやったことない!」みたいな驚き半分当惑半分みたいな感情。
めちゃくちゃ良い曲だということはよくわかるものの、歌詞を書く行為そのものにブランクがあることや「この曲に今までみたいな歌詞を載せていいんだっけ?」みたいな不安で歌詞は結構難産でした。

けどシバガキがこれまでやったことないシンプルな名曲を作ってきたのなら、俺もそれに応えるために今まで書いたことがないことで挑戦しようということで奮闘。深夜の入電がないコールセンターのフロアであーでもないこーでもないとグルグルした結果、恥ずかしながらも自分達のことを書こう、となる。

自分にとって歌ってきたことやこれからまた歌うことって何なのかと自分なりに向き合ってみた結果、決まって深夜から明け方にかけてレンタカーを運転して全国行脚したことだったり、ライブでお客さんの表情が変わっていくのを目の当たりにしたことだったり、活休で諦めた色んなことだったりをあんまり背伸びせずカッコつけて書く方針でいくこととする

で、2018年の某日、歌詞を書くためだけに新京極三条にあるドトールに入り、ちょびっと泣きそうになりながらそれまでグルグルしていた思案を一気にスマホで書き上げたのが暁の彼方。当時はまだタイトルも決まっとらんかったけど。

バンドをやってる中で大分沢山のことを犠牲にし、そこに対して普通に後悔がある。
一方でバンドをやってないと絶対に出会うことがなかったであろう諸々もある。
ダメ人間の自負はあるけど死ぬほどの度胸は無いので、それなら丸ごと背負って踏ん張るしかしゃーねぇなみたいなことをちょくちょく考える。
ありえないくらい疲弊しながらライブをして、それでも翌日のライブに向けて移動して、「おうち帰ったら爆睡だ〜!」とか思いながらも、ライブで誰かに何かしらが届くのではなかろうか、とうっすら期待しながら途中で降りた高速のSAは大体明け方であり、そこで敢えて缶コーヒーを買って自己陶酔マシマシで眺める空はめちゃくちゃ綺麗だったわけですよ。

「また音楽するの?大丈夫なん?」とか
「やっと落ち着いたと思ったのにまたバンドかいな」とか
「いつまで夢見てんねん、ええ歳やろ」とか
あんまり聞きたくないことを言われることは折り込み済みだったし、実際に言われたし。
とはいえその類の生きづらさは、どんな生き方をしたとて恐らくいつだってあるわけで。
ただそういう時、「どう生きるべきか」で考えるとめちゃくちゃしんどくなってしまうので、
「何しとる時の自分が1番好きになれそうか」をただひたすらに考えた結果、やっぱり細々でも音楽をしようと思ったし、そんな気持ちを当時の俺なりに歌詞にぶち込んだっという感じです。

むせかえるようなキッツイ現実は我々のメンタルを削りに削りますが、自分が少しでもワクワクしたことがあったなら取り敢えずそれ目がけてバカになってええんちゃいますのん、っていう浅はかなようで芯を食ってるのではないかっていう現時点での俺なりの真理です。

P.S. 
活休を決める前、取り乱し倒したウエムラは河原町御池にいました。
この交差点には「ホテル本能寺」というイカれたラブホテルみたいな名前をしたただのビジネスホテルがある。

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