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『最後の晩餐』は見られなかったけど自身が最後の晩餐をしたミラノ。

2023/12/8  フランス ニース 🇫🇷

ニースで迎える2度目の朝、即ち最後のニースの朝。

溜まってた食料か何かを朝ごはんにしたのだが、とにかく今日はタイトなスケジュールなのでまずは足早にシャガール展へと向かう。

市街地から徒歩で20分くらいだったか、しかもほとんど雨が降らないと言われているニースの街なのに今日はあいにくの雨。私は雨具、母と姉はちゃんと持参してきた折り畳み傘で挑む。母は私にも傘を貸してくれたんだったかもしれない。

とにかく、美術館について鑑賞を開始する。チケットを購入して私が一番に入場したのだが、2人が中々入ってこないので何かと思ったら母の身体チェックに時間がかかっていたらしい。シャガール展では美術館では多くの美術館同様に、荷物を預けられるシステムなのだが、その代わりに館内に持ち込むことができないものが複数規定されていた。その一つが飲み物である。母は英語が話せなかったので多分何を指摘されているのか分からなかったのだと思う。しかし、最終的に「ドリンク、ドリンク、ドリンク」で乗り切ったというのだから笑ってしまう。まず最初のドリンクを言いながら自分のショルダーバックの中を指して、次のドリンクで取り出して、最後のドリンクで係員に差し出すか預け入れのリュックに入れるかまあ対処をしたということでなんとか無事に入館が許諾されたのだった。まさに我が家の出川イングリッシュである。けどこういう単語とジェスチャーの方が案外長々と意味のない形式ばった文章を述べるよりも的確に言いたいことを伝えられるのかもしれないと思ったりはしたのであった。

シャガール美術館はそこまで大きくはないのだが、シャガールのみの作品展示なので結構な展示作品数を誇っていた。中には劇場のようなスペースでシャガールの生い立ち等の映像上映もなされていて興味深い。
そしてその中でも、この時は企画展としてだったのか、匂いとともに鑑賞できるエリアがあったことがとても印象に残っている。人数規制が行われているその部屋に入ると、説明を読んで香水のお試しで嗅ぐときに使うような紙を手にする。一つの部屋の中には5つの絵画が並べられており、その絵画の前にそれぞれ透明の椅子が一つずつ置かれていた。その椅子の手すり部分にそれぞれの作品ごとにあったテイストの異なる薔薇の香りをつけてくれる筒状の物体があり、それに手にした紙を入れて匂いをつけるのだ。
匂いと絵画という異なる領域の芸術を同時に享受するという体験がとても新鮮で楽しかった。そしてこれを思いついて実行するのは実にフランスらしいと思ってしまう。
シャガールの作品自体も巨大なものから小さなものまでしっかりと堪能する。ガラス越しに放ってしまったが、しっかりと壁画も鑑賞することができた。入場チケットにもランダムで展示作品が印刷されていたので母と姉とそれぞれどれが良いのか分けっこをした。

時間が迫っていたので結局1時間弱程しか鑑賞時間が得られず、後ろ髪引かれながらの撤退。しかし、一通りは回れたしここに来れただけでも良かったと思うことにする。

宿に戻って荷物をピックアップ。急いで駅に向かった。このときなんでだっけか、私だけチケットがなかったのか駅の券売機でチケットを購入。最初は買い方が分からず困ってしまい、また時間にも追われていたので焦ってしまったのだが無事に購入ができて良かった。

そして実は姉とはこの電車の途中でお別れ。どうやら彼女の友達が出張の帰りにニースに立ち寄ってそこから一緒に少しばかり回ることにしたのだという。ヨーロッパに残る姉はモナコにも立ち寄るのだということで帰路に向かう私と母とはお別れし、途中下車して行った。私もモナコに行きたかったのだが時間切れなので仕方がない。また次のチャンスが巡ってくることを祈っておこう。
母と電車に揺られて今日はミラノまで向かうことなる。13時21分ニース発の電車で一度電車を乗り換えてからミラノについたのは19時くらい。殆ど移動デイだ。母はそれでも車窓からの眺めを楽しんでいたようで良かったと思う。確かに海岸沿いを走る電車の車窓は見ていて飽きなかった。というか海でなくても私も割と車窓から景色を見ることが好きなタイプなのでこれは遺伝なのかなと思ったり。というよりも私は子供という立場でいろんな場所を好き勝手回ってきたが、母もこうした旅が好きなのだなと改めて気づく。一緒に海外へ旅した回数が少ないのは彼女がそれに興味がないからではなく、単純にその分の時間とお金を家族に使っていたからなんだと当たり前のことを感じさせられる。今年は末っ子も大学生でしかも京都に住んでいるので、両親の介護があるとはいえ、母も日本国内は色々と、そして姉と台湾に行くなど色んなところに行けているようだ。それを見てまあいいかとも思うのだが、いつかもっと私の力で彼女を海外旅行に連れて行ってあげられたらいいなと思うのだった。
ところで、その電車を乗り換えた先ではギャップタイムがあった。駅の外に出て散策してみようかとも思ったのだが、入り口を出た瞬間に数十人の警察と鉢合わせたのでやめておこうと売店に戻ってピザとラテを注文して小腹を満たす。彼らは全く怖いとかではなく、私をきっと年よりも若く見たのか挨拶を交わし多少揶揄われたような記憶がある。具体的にどんなのだったか忘れてしまったし、不快なものではなく年長者が子供にするような類のあれだ。


2023/12/08  イタリア ミラノ 🇮🇹

なんとかミラノに着いたので今夜のホテルまで向かう。明日の朝、飛行機に乗らなくてはいけなかったので空港近くのホテルとも迷ったのだが、折角なら少しでも市街地で観光できたら良いのではと駅から歩いて数分の場所にホテルを予約していた。私は海外旅行中のポリシーで電波を持たないのでここでお世話になるのがグーグル先生。そのマップを頼りにホテルまで辿り着く。

久々のちゃんとしたホテルに母はご満悦。私も快適だねと言いながらベットにダイブした。
しかし、もう19時過ぎ。これから観光をしていかなければならない。ほっとするのも束の間、急いで身支度を整えてメトロで市街地の中心部へと向かった。

もちろん時間さえあればミラノ大聖堂に行きたかったし、ミラノといえばのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を見に行きたかった。しかし、今日はそんなことをしている暇もなかったし、これもまた次回の観光時のお楽しみということで、今日はミラノ大聖堂の外観だけで満足することにする。

再び来られるようにしっかりとヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアの十字路付近にある牡牛の股間部分を踵で踏みつけながら3回転させて頂いてきました。この牡牛、大事なところを踏んで回ると願いが叶う、特に旅行者はまたミラノに来られるという言い伝えで有名なので、その部分だけちゃんと窪んでいた。毎日多くの人によって実行される回転の結果、やはり地面が蹴づられ、凹んでしまうそうだ。私が訪れた際も割と混んでいて、その周りに沢山の人が密集していた。特に列もないので自分のタイミングでさっといかないと踏むことができない。次から次へととにかく人が絶えないのでなかなか自分から行くというのが難しかったのだが、譲り合いの精神も見受けられたため、行こうとして譲りましたよ顔をすると次のタイミングで行かせて貰いやすいのだなと人々の行動を見てて感じていた。もちろん計算の上じゃなくてちゃんと譲ってくれる優しさ100%の人が沢山いましたのでね。

というか、そもそもこのガッレリアが綺麗すぎるので写真を見て欲しいやつです。人によってはポール・キングの『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』でまさにウォンカがチョコレートを売り始めた場所だ!となる気がする。
というか、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世って高校の世界史以来のご対面。この名前、言いたくなるよね、というか覚えやすくて結構好きなんです。

観光はこのヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアさえ歩ければいいと諦めていた節があったのだが、幸運なことにここでもたまたまクリスマスマーケットに遭遇した。少しだけクリスマス気分に浸る。母が路上実演販売の料理道具に惹かれていたもののきっと割高だろうしと見るだけで撤退。その後はチョコレートの試食をしながらマカロンを購入したり、魔術的な看板を掲げた怪しげな屋台を除いてみたり、日本ではあまり味わうことのできないホリデーシーズンの雰囲気をしっかりと堪能してきた。日本でも近年はクリスマスマーケットあるけれども入場料がかかってそれが結構高かったり、予約が必要だったりで行ったことがないので日本の場合との正確な比較はできない点にはご了承を。

ご飯はこの近辺で食べても良いかなとレストランを探してみたのだが、実はホテルの人に教えてもらっていたホテル近くのレストランがあったのでそちらに向かうことにする。
再びメトロを目指したのだが、地下に降りる階段前の広場で弾き語りのパフォーマンスが行われていた。まあ平たくいうと路上ライブである。しかし日本と違うのは観客の人々が踊り出す点だろう。老若男女問わず、みんな自身のリズムで音楽に乗って楽しんでいた。1人で独特な振りを披露する人もいれば、2人ペアになって優雅に踊るカップルも沢山。カップルと言ってもその場でただ一緒になっただけで全く見ず知らずの人と踊り出す人たちもいてこの自由で陽気なイタリアの雰囲気が好きだなといつまでも音楽に耳を傾けていたい気持ちになっていた。私もいつかはその場で目が合った人と踊り始めるくらいの社交性を得たいものだと少しだけ思う。

しかし、いつまでも聴き惚れてはいられない。おすすめのレストランも閉店時間が迫っていた。

急いで来た道を戻り、レストランに辿り着く。結構地元の方が多いご様子。
私は紫芋のリゾット、母は海鮮系のパスタを注文。真紫の色味が斬新だが味は美味しい。おすすめを聞いておいて良かったと思った。食事をお互いにシェアしながらいただく。十分贅沢をしていたので悩んだのだが、最後に2人で一つのティラミスを注文し美味しくいただく。ヨーロッパでいただく最後の晩餐だった。

宿に帰宅し、キャリーの整理を始める。いよいよ明日は日本へと帰国の旅が待っていた。
ところで、アダプターを忘れてきてしまっていたのと、セルビアかどっかで買ったヨーロッパのコンセントに対応したものは姉に貸してしまったので、フロントに問い合わせる。ありがたいことに貸していただけた。やはりこういうのはアパートメントを借りるタイプよりもホテルやホステルの方が手厚いんだよなと思ってしまう。

母と2人、それなりに疲れていたが最後の力を振り絞ってシャワーを浴び、ベットで横になって就寝した。

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