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noteでもブログでも、文を書くときに大事なことがあるので言っておこうか

まあね、まず人に正しく伝わる文章を書くって言うのは大前提。何を書くか以前の問題。これは国語の話。コラムでも小説でもポエムでも何でも同じで、読み手に伝わらなければ、ノイズと同じ。

国語なんて誰でもできると思いがちだけど、それは間違い。ちょっと何言ってるかわかんない、って文章、たくさん世の中に転がってる。

じゃあ、伝わる文章が書けるなら誰でも、読んでもらえるようになるかというとまた違う。その上で、何を書くかと言うことが問題になってくる。

ここまではまあ、誰でも理解できる。国語が前提の上で、読み手がたくさんつくような文書を書けば、まずは成功と言える。

今日はここから先の話だ。書き続けるために大事なこと。noteでもいいしブログでもいいし、長く続けていくためにはどうすればいいかと言うこと。

だって、毎日書き続けるためには、書くための材料がどうしても必要でしょ。なんでも書いていいのならなんでも書けそうだけど、ただただランダムに思い付きで文章書いてたら、読者がついてこないのも分かるよね。何かしらのニーズを掴まないとダメなのはビジネスでも同じでしょ。読者が何を考えて、自分の文章の何に魅力を感じて、そして読みに来てくれるかということをきちんと理解しないと、書いても書いても誰も読まない、徒労のお仕事になっちゃうよね。それでもいい、というのならいいけど、そんな人はいないだろう。仮にそうなら、パソコンでメモ帳開いてローカルに保管でもしておけばいい。わざわざネットで公開しているんだから、読まれてこそ、という本質はどうしても否定できない。

さて、この読まれるために用意する文章で、世間の人が大いに誤解していることがある。なぜ読むかという動機について、大きく2つに分かれるということだ。

①役に立つ情報を知りたい
②自分の感情を揺さぶられたい

2つしかないのだが、なぜかほとんどの人々が、①を選択してしまうという事実である。この情報はみんなが感心するのでは。自分しか知らないことなので、他人が喜ぶのでは、と。

それは動機としては誤りではない。そう思うのならそれを書くのは構わないが、書き続けるとなると問題になるのである。毎日、そんなに役に立つ情報など、産み続けることはできないという側面だ。人々はだから、メディアニュースなどをパクって「便利ですね!」みたいな二次情報からなる、雑な記事をたくさん生み出してしまうのだ。最近ではクラウドソーシングでWebライターに文を書かせて、自分のブログに掲載するみたいな活動まであるらしい。しかし、本当に役に立つ一次情報を作るのはこれは有限であることを認識してほしい。

個人が毎日書く上で、実は大事にすべきは、②、つまり人の感情を揺さぶる文章なのだ。喜怒哀楽、なんでもいい。そのために書く題材は、自分の感情が揺さぶられた事実。それを素直に文章にすることによって、人の感情をも動かしていくこと。小説やポエムの方が直接的なのだが、コラムでも十分できる。そして「役に立つ」を満たす必要もない。パーソナルな情報は十分、一次情報だ。誰も知らない。それを伝える文章を書くためには、毎日の生活で、自分の感情の動きに注目する必要がある。もし何か動いたことがあれば、覚えておく。私はTwitterにそれを書いて、ブログを書く時に思い出したりしている。感情は時間と共に消失するので注意だ。家に帰ってから書こうと思ったら、あれ、何だったけ・・となることも多い。

ここ最近、いろんな人がnote・ブログ運営を始めていることを知っているが、世間には大量に、過去始めてそして辞めていった事例が転がっている。残骸のサイトを見に行ってみると、やっぱり「役に立つこと」で当初始めて、ネタ切れを起こしている。同じことを違う表現で繰り返し書いて、多分に絶望して止めてしまうというパターンがほとんどだ。そりゃ、ニュースサイトはたくさんのライターが記事を書いており、個人が張り合うだけ無駄である。

まとめとして。役に立つ記事を書こうという考えより、人の感情を揺さぶる記事を書き続ける方が、続くこと。役に立つことは有限であること。他人から頂戴した役に立つ記事を転載することは、ネットから評価を受けなくなっていること。そして、人の感情を揺さぶる文章を書くことが、続ける秘訣であること。

そういう目線で、続ける意思がある人は考えて行ってほしい。

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