次また恋をするときは

ドラマや小説で、ハッピーエンドを見ていつも思う。

あのときこんな風に大切にできればよかった。

あの人にこうやって伝えればよかった。

本当はこんな風に抱きしめたかった。

そして叶うなら、幸せな顔で笑わせてあげたかった。

人を大事にするということは、フィクションで見ているよりずっと難しい。


今年22になるので、それなりに恋愛の経験はある。告白したこともされたことも、フッたこともフラれたこともあるから、一通り頭の種類も知っている(と思う)。

恋愛に限らずだと思うが、人との関係が始まるときと終わるときは本当に唐突に来る。

好きだと思えることも思われることもすごい確率で、恋人同士になれることなんてもっとずっと少ない。

わかっているのに、一度手に入れば欲が出る。

本当は相手が自分のものになったり、自分が相手のものになったりしていることなんて錯覚だ。人の心は操れない。

だけど、恋人になると踏込めるところが増える。相手に気持ちを隠さなくていいから素直になって、そうするとあたかも相手の気持ちを簡単に動かせるような気になってくる。

傲慢だと、そのときには気づけない。

そうして少しずつわがままに、素直になりすぎて、もう取り返しがつかないほどこころが離れていることを、手遅れになってから自覚する。

もうあとの祭で、相手の心がわからない自分に失望して、諦めるしかなくなる。

一体どこで間違ったのだろう。いつだったらまだ戻れたのだろう。

前の恋人と別れて三ヶ月経った今でも、そんなことばかりを未練がましく考えている。


愛する、ということは、見つめ続ける、ということだと思う。

驕らず、期待せず、あるがままを捉えようとし続けること。変わりゆくその人を、変わらない本質と、変わりゆくお互いのこころとともに、受け入れ続けること。

たったそれだけのことが、私にとってはこんなにも難しい。

今思えば、たくさんのことを求めすぎてだめになった以前の恋人に、付き合う前は「してあげたいこと」や「知りたいこと」がたくさんあった。

その人のことを知るために、見つめるために、時間はいつも足りなかった。

いつの間にかそういう探究心にも似た情熱が、「愛情」という快感を欲しがる依存に変わっていたのだと思う。


してあげたいことは、いつだってシンプルだった。

笑顔を好きになったから、たくさん笑わせたかった。

素直になるのが苦手な人だったから、私の前では我慢せずに泣かせてあげたかった。

弱い自分が嫌いだと言っていたから、溢れるくらいに好きだと伝えたかった。

あなたはあなたのままで充分に素敵で、たとえばあなたが何も持っていなくても、どれだけ仕方のない人でも、あなたがあなたであるということだけで、私はあなたが好きだとわからせてあげたかった。

そうすることで、いつか自分のことを好きになって欲しかった。

けれどそうして一生懸命になっているうちに、いつの間にか「してあげたかったこと」は「してほしいこと」とすり替わっていた。

「別れよう」と俯いたあなたを見て初めて、あれだけあった情熱と正反対にいる自分に気づいた。

「わかった」としか言えなかった。

それが、私にできる最後の愛情表現だった。


人を正しく愛することは難しい。

恋は盲目で、愛に一番必要な理性を奪う。

だけど、それがわかる今だから、自分を律することに力を入れている。

どれだけ好きでも、見失わないように。その人のことを、求めていることを、与えたかったものを、ねじ曲げてしまわないように。

次にまた誰かと恋するときには、その人を世界で一番笑顔にできる私になれるように。



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