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メキシコ「死者の日」の祭りに参加して「生」と「死」と「街」のつながりと関係性に想いを馳せる。

孤独の迷宮

メキシコツアーから戻った私は、オクタビオ・パス(Octavio Paz)の本を手に取ることになった。

ノーベル文学賞を受賞しているメキシコの詩人Octavio Pazが書いたエッセイで「メキシコ人の個性の根底を理解するために必読」とスペイン語で紹介してあるのを見つけた。「EL LABERINTO DE LA SOLEDAD (1950)」、日本語訳「孤独の迷宮ーメキシコの文化と歴史(高山智博・熊谷明子訳) 」をパラパラと読んだ。
それを元にいろいろ調べているうちに、日本語版のWikipediaでは、この本の発刊年が間違えていることにも気づくくらい、深みにはまっていった。

オアハカの死者の祭りに参加して、盛大に「死を祝っている」一方で、お墓では最近亡くなった家族のことを思い出し涙しているメキシコ人に出会う。毎日、参加したメンバーでその日の見たり聞いたり感じたりしたことを丁寧にフィードバックしていくと、高校生から、Z世代の医療福祉職、医療や看取りに関わって20年のベテランといった多彩な参加メンバーそれぞれが、様々な体験といろんな想いを語る。その中で、「死」や「祭」を語ろうとすると、当然自分の経験と重ねて話すことになる。
日本のお盆のように、死んだ家族を思い出す日。新しい死は当然辛く悲しく、やがて年に一度のイベントになっていく。日本人とも共通点ある死への思い・・・。のようなものに、着地する。いや、自分の経験と重ねて話すことで、着地させようとしてしまう。

世界中にお盆のような風習はあれど、なぜ、今私たちはメキシコにいるのか。なぜ、メキシコの死者の祭りは、ディズニーにも取り上げられたり、「世界で一番賑やかに盛大に『死』を祝う」と評されるのか、わからなくなってきた。

死者の日、オアハカの墓地。たくさんの人が集まって話したり、歌ったり、お酒を飲んでいたり。
お墓はそうやって過ごすことを前提に大きく、椅子が設置されたりしていた。
しかも、家によって全く形の違うお墓。

オクタビオ・パスの記載には「アメリカやヨーロッパの住民にとって、死は唇を焦がすからと決して口にしない言葉である。反対にメキシコ人は、死としばしば出合い、死を茶化し、かわいがり、死と一緒に眠り、そして祀る。それは彼らが大好きな玩具の一つであり、最も長続きする愛である。確かにその態度には、他の人々と同じように、恐怖心があるのかもしれない。しかし少なくとも、隠れもそれを隠そうともしない。もどかしさ、軽蔑、あるいは皮肉をこめて、死を正面から見つめるのである」とある。
やはり、メキシコ人の気質・文化の中における死の捉え方は、メキシコ人である著者から見ても、特別であることを自覚しているようだ。
「征服された歴史」によるものが影響していることも読んで取れる。支配された歴史、不信感、恐れ、自己肯定感の低下、そのような負の感情や体験が綴られている。

カトリーナ

死者の日の象徴といえば、カトリーナ。大きな帽子を被った骸骨の夫人。死者の祭りでは、カトリーナメイクを施す屋台がたくさん出ていて、観光客を中心に一人250ペソくらい(2000円くらい)で15分くらいでメイクしてくれる。サンプルの画像を見せてくれるが「こんな感じで」とサンプルから選んでも、アーティストの直感で全く違うものに仕上がる笑。

カトリーナメイクの屋台

お祭りの象徴的キャラクターとして知れ渡っているこのカトリーナ、実は、ただのガイコツキャラクターではない。カトリーナの正体はメキシコ先住民の女性。植民地となり、スペイン人から徹底的に自分たちの文化を否定され続けた先住民は、自分たちの文化を恥じるようになっていた。貴族の家で女中として働く先住民の女性が、自分の浅黒い肌を白人のように見せるために白塗りのメイクをした。それを皮肉った、物語の登場人物なのだそう。だから、カトリーナが最初に描かれた物語の中で、そのイラストのもともとのタイトルは「La Calavera Garbancera、住み込み女性のガイコツ」。

街の壁にもカトリーナ

哀しきジョローナ

映画リメンバー・ミーの劇中歌、登場人物(登場骸骨?)のイメルダが歌う(日本語版では松雪泰子さん)「哀しきジョローナ」は聞いたことある? 悲しげな歌です。

死者の祭りに参加していて、この歌があちこちで歌われたり、流れたりしていることに気づいた。「ウン・ポコ・ロコ」や「リメンバー・ミー」ではなく。哀しきジョローナ(La Llorona)はメキシコに古くから伝わる民謡。スペイン人たちがメキシコを征服するのを手助けした女性のところに、それを罰するために“ジョローナ”があの世からやってきている、という言い伝えがあったりもするそう。(歌い継がれる中で、いろんな歌詞や物語が込められていったようです)

支配や征服から、それを皮肉的に、そして開き直ったように受けいれる、その悲しい明るさは、この死者の日のイベントの雰囲気に何か繋がっていくような、そんな気持ちにもなってくる。

アステカのいけにえ

今回のメキシコツアーの最後に、メキシコシティで国立人類学博物館(Museo Nacional de Antropología)に立ち寄った。アステカの歴史の中では、生贄(いけにえ)の話を聞いた。人間の新鮮な心臓を神に捧げる儀式。この世の滅亡を防ぐための儀式だけでなく、雨乞いや豊穣祈願でも行われたと聞くと、なんともそういう時代と文化があったことを受け入れるのに覚悟が必要になる。

しかし、孤独の迷宮の説明に触れると、「死」や「命」が誰のものなのか。という、今回のメキシコツアーのきっかけになった自分の想いが、説明されているのかもしれないと気づく。

「古代メキシコ人にとって、死は生の自然な結末ではなくて、無限の円環の一つの相だったのである。生と死と復活は、飽くことなく繰り返される一つの宇宙的プロセスの各段階であった。生はその逆の、しかも補うものの死に流れ込むことを、最高の役目としていた。死もそれなりに、それ自体で終わりではなかった。人はその死によって、飽くことを知らない、大食な生を養っていた。いけにえは二重の目的を持った。つまり一方で、人は(人類が負っている借りを神々に支払うと同時に)、創造的プロセスにあずかり、他方で、宇宙的生と、それから滋養をとる社会的生を養っていたのである。」「各人の生と死、つまり社会階級、年、場所、日、時間、すべてが誕生の時から決定されていた。アステカ族は自分の行為に対しても、自分の死と同様、あまり責任を負っていなかった。

1人称の死、2人称の死、3人称の死

生や死は、本人だけのものではない。
死の扱い方を考えるときに、聞いたことがあるかもしれない「死の人称」についておさらい。フランスの哲学者、ウラジミール・ジャンケレヴィッチ(Vladimir Jankélévitch)の『死』より。
ジャンケレヴィッチは、死を文法の人称を使って三つに区分。「1人称の死」は自分の死、「2人称の死」はあなた(愛する家族など)の死、そして「3人称の死」は他人の死。コロナで毎日「本日の死者数」などが発表されても、身近に罹患者がいなければ、ニュースを「ふうん」と3人称で見ている、そんな感覚。

1人称の死、こそが、人の死。その人が主語で死んだ、のだから。生物学的には1人称も2人称もなく、当事者(観察対象)と観察者がいるだけでなので、観察対象が死んだ、と科学的に記載する。それが医学的な死であり、死亡診断書が証明するもの。
人生会議。人生の最期の頃をどう過ごすか、どんな医療を受けるかなど、あらかじめ家族や気心知れた人たちと話し合っておくことが大事です。と、私は今年も厚生労働省の人生会議を普及啓発する委員会に所属している。1人称と2人称の死についての対話とも言える人生会議。あなたとわたしの関係性があって、わたしのことをもっと深く考えるきっかけが生まれる。その対話のプロセスそのものが、その後の人生の最終段階の生き方を決めていく羅針盤になる。
さらに柳田邦夫は「2.5人称の視点」について述べている。医療従事者は、あくまで家族ではなく専門家。普通に考えれば3人称で関わることになる。しかし「この患者さんが自分の家族だったらどうするか」というふうに、もう半歩、歩み寄って考える必要があるのではないか、それが2.5人称という立ち位置である、と。

かつて、地域包括ケアの植木鉢の図の一番下の受け皿には「本人・家族の選択と心構え」と書かれていた。バージョンアップしたときに「本人の選択と、本人・家族の心構え」に変わった。1人称の選択と、1+2人称の心構え(覚悟)が必要ということか。


人生会議をしていくと、当然ながら「暮らし」にスポットライトが当たる。「生きる(LIFE)」という言葉には3つの意味がある。「命」「暮らし」「人生」。心臓が動いている「命」は確かに大事だが、つながりを持って生きる人間にとっては、「暮らし」も重要だ。日々の暮らしが重なって「人生」になっていく。心臓が何回動いたか、とかよりも、誰と暮らしどんな趣味を持っているかの方が重要だ。
最期をどう過ごしたいですか?と聞かれた時に、どこにいたい、誰といたい、何をしたい、何を食べたい、誰と会いたい、とその思いは、暮らし、すなわち社会側に拡がっていく。
胸が苦しい、心臓の病気、冠動脈が詰まる、微小血管の内部が・・と分解しながら小さい方に拡がっていく生物医学とは逆方向に。

「死」を扱う街とは

在宅医療黎明期に「多職種連携」が重要だと言われた時、この“多職種”には医師や看護師、薬剤師、介護職やケアマネジャー、といった医療福祉多職種しかイメージできていなかった。今は違う。交通機関やコンビニエンスストア、趣味の仲間、建築、公園、学校や保育園、テレビやアニメなどのコンテンツ、社会に存在するあらゆるものが、死にゆく人、いや死にゆく人だけでなく、暮らしている人たちを支えていることを意識しなければならない。

この日は墓地の片隅でフィードバック
それぞれの感情の動きに注目してその日の出来事を言葉にしていく。

そうなってくると、3人称としての死、についても見え方が変わってくる。
コロナの死者数のような「数字」になってしまったり、遠く外国のテロの話のような現実味のない遠いものを3人称の死と言うのだ、と思っていたが・・・
街の中で暮らしている人たちは、出会うことがなければそれぞれがそれぞれの人生を他人事のように過ごしているだけかもしれないが、実は、同じ空気を吸っていたり、同じレストランで食事をしていたり。ふとした機会があればいつだって出会うチャンスはある。そして、その地域の風習に則って家族の葬式を行い、お盆を過ごす。盆踊りは最近はなくなったけど、夏祭りなどに参加して、同じ花火を見ているかもしれない。
誰かが誰かを思って飾った花を見て、自分の大切なひとを思い出すかもしれない。

死ぬのは1人称。悲しむのは2人称。しかし、3人称になったときに、祝い、歌い、踊ることも、死を丁寧に扱うための活動に加えられるのではないか。

アラン・ケレハーのコンパッション都市。「年に1度の死者を偲ぶ日」という項目に、こう書かれている。「特別な日を設けることによってコミュニティがあらゆる種類の喪失を包み込むことと、限定的な理解しか得られていなかった集団に対する大切な社会的共感を求め、また、拡大していく助けになるだろう。」

メキシコでのフィードバックで、大好きなおばあちゃんのことを思い出して語ったり、自分の家のお盆ではこんな風習があってなんて話をしたり、
11,000kmも離れたところからやってきた日本人の集団が、お祭りの片隅のカフェで時間を忘れて語り合った時間は、まんまとコンパッションな街のエネルギーに癒されていたのかもしれない。


あと、標高のこともまた考えてみたいと思っているところ。帰ってきてオレンジの臨床宗教師とディスカッションしていて、チベットとアステカの共通点や違い。死について、暮らしについて。海から遠く離れた標高高いところで生まれる死生観、とかね。メキシコシティは2,200mくらいで、なんだか最初はフワフワしました。そこに高層ビルが建ってるんだから、すごいなぁー。

出典
孤独の迷宮(1950, Octavio Paz 高山智博/熊谷明子訳)
カトリーナについて:VIVA!MEXICO (https://allartesania.com)
悲しきジョローナについて:めひ・ここ“メキシコ流スペイン語会話講座”(https://www.supeingokaiwa.info)
Wikipedia「アステカ」「オクタビオ・パス」「ウラジミール・ジャンケレヴィッチ」
犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日(1999, 柳田邦男)
コンパッション都市(アラン・ケレハー 2022,竹之内裕文/堀田聰子監訳)


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