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2000連休すれば、人と成る。


この本を読んで共感越えて共鳴した箇所が何度もあった。そして以下の2つのことが分かった。

「あ、俺って暇だったんだ」
「一般人が経験則から語る自分哲学が好きだ」

本の内容をザックリいうと、

仕事を辞めて2000連休という余暇の谷の中で一個人が思考を続けるとどう変化していくのか、軌跡を記した本。

先に伝えておくと、働いているし(大喜利を書く)、同居人と猫がいる。
僕たちが勝手に想像する実験的に閉じ込めてさあ、休めという話ではない。

ひたすら時間だけある人間が、実験的な行動をして得た知見や思考の変化を疑似体験できるだけで良書と感じた。

手が止まらず1日で読み切った。学者が書く難しい哲学書もいいけど、現代人の経験測から語られる自分哲学の方が共感しやすいし分かりやすい。

後、面白いな~と思ったのが学者が書く難しい哲学書と著者が経験から語っていることがかなりリンクしている点が多かったところ。

好きだったフレーズ集。

物置に住みはじめた当初、昔を思い出して鬱々としていた。
しかし、鬱々とすることも一種の安定状態だったと知った。
感情は下方に安定している。

人間はネガティブがデフォルトより分かりやすい表現。

この1000日間で自分は変わったか?
変わった気はするが、そうした問題を気にしなくなったと表現したほうが近い。変わらなくては、という切迫感が薄れた。自分というものに圧迫される感覚が減った。自分を変えようという発想そのものに間違いがあったように思う。変わりたいと思うほどに変われない。こんな自分はもう嫌だと強く思うほど、きのうと同じ自分が維持されてしまう。そんなジレンマがあったのだが、じつは、これは当然のことで、自分を変えたいと言うとき、その人間はひたすらに自分のことを考え続けている。

自分が増えると自分地獄から抜け出せない。

視線の圧力を持たない存在と暮らせば幸せだという単純な話でもなく、むしろ自分が一定の視線の圧力を必要としていることを感じる。週に二、三度、近所のスタバに行くことで気持ちに張りを出している。「他人に見られている」と意識することで、人間としての自覚を維持しているのか?

カフェに行く理由の一つに、他人の存在の中で自分を固める感覚共感するわ~

日常から少しずつ刺激を減らしていった。
禁止行動を増やしていく。特定の行動を禁止すると別の行動に流れる。これは連休初期に経験していた。ネットを禁止すると読書の時間が増える。文字を読むこと自体を禁止すると音楽を再生する時間が増える。身体は水路のように次の道すじを探している。ある経路を塞ぐと、記憶を参照して別の行動を選びはじめるようだ。

すぐに埋めようとする自分に驚くよね。


前半〜中盤に著者がやっている行動がまさに今自分がしていることで、いかに暇なのか分かった。

暇は人を堕落させるかもしれないし、
暇は人を陥れるかもしれない。
忙しさってある種の逃げの証でもあると感じる。
暇は時には自分を思い詰めることもあるが、
暇は時には自分を救うこともある。

読むと色んな枠組みが揺らいで崩れてまた築いてを繰り返す本だった。

休めば、人と成る。

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