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雑誌 O plus E,noteでひっそり復活です

弊社で1979年より発行していた雑誌「O plus E」,昨年2022年12月発行号をもって休刊していましたが,ひっそりとnoteで復活いたします。

展示会と、展示会から生まれた雑誌「O plus E」

 機械試験所(現在の産総研)の図書館で仕事をしていた創業者の松下要(もとむ)は、1964年に現在の精密工学会の事務局業務などを請け負う「精機通信社」を立ち上げました。やがて精機通信社は現在の「国際画像機器展」や「画像センシング展」の前身となる展示会の事務局を担当するようになり、その展示会がきっかけで生まれたのが雑誌「O plus E」。Optronics plus Electronics,でO plus Eとなったそうです。 ニコンの技術者だった鶴田匡夫さんによる「光の鉛筆」は1980年4月号に連載開始となりました。専門外にとっては難しい、物理系の光学の記事が優しい(易しいではなく)文体で書かれた「光の鉛筆」は光学技術者を中心に人気を博しました。連載は2018年までの長きにわたり続き,書籍も11巻まで発行されました。「光の鉛筆」によって,鶴田さんは応用物理学会の「第4回応用物理学会業績賞」を受賞されています。

「この雑誌は読者との交流を第1に考えています」

 40年以上続いた「O plus E」ですが、出版を取り巻く環境の変化などにより、やむなく昨年末で休刊しました。そして,しばらく「O plus E」の発信方法を考え,今の時代に合った発信手段として,noteを開設しました。 そのきっかけは,創刊直後の資料請求カードに「この雑誌は読者との交流を第1に考えています」と書かれていることにありました。

 編集同人の方が書かれた編集後記に相当する連載「オフサイド」にもこうありました。

"もしできたら本誌を媒体と情報交換の目的を含めた,ある種の連帯の場がもてたらという気持があったことは事実である。それは見果てぬ夢であるかもしれないけれども"

 O plus E, 1980年4月号,p.76

ピンチはチャンス!

 創刊当時の気持ちに立ち返ると,noteなどSNSが普及した今,創刊当初の「見果てぬ夢」を現実にできるようになったのかもしれません。印刷版こそ休刊になりましたが,ピンチはチャンスととらえたいと思います。

 正直何ができるか,手探りの部分も多くなりそうですが,まずは、できることからやってみようと思います。 読者のご意見が第1のO plus E,今後いろいろな良いご意見をいただけるようなコンテンツを発信していければと思います。そして,こんな内容が掲載されるといいな,とか,なんなら自分に書かせてください!というお申し出もいただければ嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。


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