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妻から「パートナーシップ観」を教えてもらう(前編)

毎月恒例・オープンダイアローグ夫婦の公開ダイアローグ、今回は妻けいこさんの「パートナーシップ観」について、夫が教えていただく形をとりました。今月も前後編でお届けします。

この記事はメルマガ「おうちの人間カンケイについて」(月3回発行)の9月分を再編集したものです。私たちは日常的なダイアローグの他に、メルマガ用に毎月1回テーマを決めてダイアローグしています。メルマガ登録はこちらです。

「お母さんが『いいよ』って言ったら、いいよ」

(細字:ふゆひこ)今月もよろしくお願いします。今日は2020年9月7日(月)午後、場所は名古屋港の、ちょっと前にできた「ららぽーと」の1階のフードコートです。目の前に運河が見えてよいです。

今月のお題は「パートナー(シップ)」と「対等」について。ダイアローグというより、けいこさんの傾聴をしたいと私は思っています。

というのは、昨日けいこさんからおっしゃっていただいたことには、けいこさんは私と「パートナー」でありたい、「パートナー」でいることとは「対等でいること」である、とのことでした。

それを聴いて思ったのは、これからも関係を望んでもらえていてありがたい、ホッとしたと同時に、実は、私は「対等」とか「パートナー」というのがどんな関係なのかよく分からない、ということでした。

それは、昔書いたブログではオープンにしていますが、私は原家族が機能不全だったり、その影響で共依存になったりしてきたからだと思っています。

「パートナーシップ」一般についても知りたいのだけど、それよりも、これからもけいこさんと暮らしていくにあたって、けいこさんにとってのパートナーシップや「対等」の定義みたいなものについて、もっと詳しく教えてほしいなと思っています。

――(太字:けいこ)パートナーシップと言われて私が今思い浮かぶのは、自分の親の姿かなと思って。

・・・私の中のには「夫婦」のイメージって、「お父さんが仕事に出ていて、お母さんは専業主婦でいるか短時間のパートタイムで働いていて」みたいなのがどこかにあるんだけれども。子どものころに見ていたアニメの中では、そういう夫婦関係が自然であるように描かれていたけれど、自分の親のことを思ってみたときに、案外そうじゃないなって思って。

うちのお父さんの働き方(※士業で個人事業主)をどう捉えるか、ちょっとよくわからないけど、お母さんも外でバリバリ仕事をしてて、病院に勤めていたから、昔は夜中に呼び出しがあったり、夜勤があって夜いない日が月に数日あるみたいなことを経験しながら育ってきたから、お母さんの方が一緒にいる時間が少なかったかもしれない。

そういう経験をしながら育ってきたのもあって、アニメで描かれているようなお父さんとお母さんの関係性とは何かがちょっと違うんだなっていうのは、幼いながらに思っていたんじゃないかなって、今になって想像する。

でも、私はそれがすごく、人として自然に見えて・・・自然っていうか、ま、私の育った家庭の中で、お父さんとお母さんたち夫婦としての、パートナーの形として、私の中で自然に見えた。

どうやって言葉にしていいかわかんないけど・・・エピソードとして思い出したのは、何のときかちょっと覚えがないんだけど、親に許可をちゃんと求めなきゃいけない場面のときは、言いやすいからお母さんに「こういうことがしたい」とか「いい?」って言ってきた。

お母さんは最初は絶対「いいよ」とは言わなくて、まずは「お父さんに聞きなさい」って言うの。

でも私はお父さんの答えが分かってたの。お父さんて絶対にね、「お母さんが『いいよ』って言ったら、いいよ」って言うから。

わざわざ一回お父さんに聞きに行くのがめんどくさいになって、そこはショートカットして、「どうせお父さん、『お母さんがいいって言ったらいい』って言うに決まってるもんな」って思ってたから、私としては直接お母さんに言いに行くんだけど、お母さんは必ずお父さんを通させるように私に言葉をかけてたんだよね。「お父さんにちゃんと言いなさい」って。


「相手の願いが相手の力で叶えられるといいね」

ーー(け)それでお父さんのとこ行って・・・私は昔はお父さんに言うのが得意ではなかったんだけど、意を決してお父さんに言うと、案の定「お母さんがいいって言ったらいい」って。

こんなに意を決して言ったのに結局答えは想像通りか、って思いながらお母さんに「お父さんに言ったら『お母さんがいいよって言ったらいい』って言ってたよ」って言いに行ったら、お母さんにそこで「いいよ」って言われる、っていう。

なんかお決まりの・・・何て言うのか、一連の「お母さんに言いに行って、お父さんに言いに行ったら、お母さんに言ってって言われて、OK が出る」みたいなの、結局「していいよ」って言ってくれるんだけど、そこまで含めて、子どもながらに自分の親が、その・・・お父さんがお母さんのことを想ってることとか、お母さんがお父さんが尊重されるように私に言うとかっていう姿が見れてたのが、私にとっての「パートナーシップ」って言われたときに、思い浮かんだことだった。

私の両親に関してもう一つ言うと、経済的なところでも、ぜんぶを折半にしてるというわけではなかったみたいだけど、何か2人の間でのルールが決められていたみたいで。そういうことをしているというのを聞いたことがあって・・・。

きっと、そういうのって暗黙で決まるわけではないだろうな、って。きっと私が知らないところで話がされていたのかなって。

と、ここまで話してみたけれど・・・もしかしたら、お母さんが「こうやりたい」「こうするよ」って言うことも含めてお父さんが「いいよ」って言ってたのかなとも思えた。

私のここまで思って話した「パートナーシップ」が全てくつがえされるぞ、こりゃ、ってなっちゃった。

「お母さんが『いいよ』って言ったらいいよ」って、そういうことだもんね。お母さんが「いい」って言ってることは全部叶えてあげたい、っていうのがお父さんの想いかもしれないなって思ったら、なんか、お父さんはお母さんをダダ甘やかしだったのかもしれないな・・・。 いろんなことがしっくりくるような気がする。お父さんがお母さんにラブだったっていうことがわかった。いったんお返しします。

(ふ)そうなんだね。

――(け)「全てくつがえされる」って話したけど、全然違う話ではなくて・・・。

相手が「叶えたい」って思ったことを「叶えたらいいよ」って言うのが、相手がやりたいって思うことを「やったらいいよ」って思うのが、そのことが「尊重する」っていうことなのかな、って。

そう思い合えるっていうことが、私にとっては理想のパートナーシップかもしれない、って。

「お母さんの、お母さんが『いい』って思うことが叶ったらいいな」って思うのがお父さんの想いだし、お母さんもお父さんのやりたいことを何とかサポートするみたいなことは、してた。

お父さんが自営業で収入が不安定なときにお母さんが収入の安定した仕事をしていて、そのことで助けられたんだよ、っていう話を聞いたことも、そのことに含まれるなって思う。

「願いを私が叶えてあげる」じゃなくて、「相手の願いが相手の力で叶えられるといいね」って。「そのためには応援はするよ」っていう関係性はパートナーシップかなーって思いました。


続きます

(ふ)ここまで話してみてどうですか。

ーー(け)「これやりたい」って聴いたときに、ちょっと冷たい言い方だけど「したらいいじゃん」っていうのがさ、「距離が取れてる」っていうことなのかな思った。

「したい」と言われたときに、それを叶えるために「私が」何かをする、っていうことを思いがちだったんだけど、相手が叶えたい夢は相手のものだ、って。当たり前だけど応援はするけどね。

相手の夢を叶えるのに、私が叶えてしまっては、それは依存、共依存の関係なのかなって。 反対に、私が「何かしたい」っていうときに、「相手にどれぐらい求めているか」っていうのもあるのかなーって。「あなたが私の願いを叶えてよ」っていうのはちょっといびつな感じかなーっていうことを思いました。

「パートナーシップ」。私は「対等である」っていうことが大事だなって、思ってはきてたけど、そのことを言葉にするっていうことをしたことがなかったし、言葉にしてみたらいろんな思いとか自分がしてきた経験とかが思い出されて、「言葉にしてみて良かったなー」って思いました。

後編はこちら

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