見出し画像

妻から「パートナーシップ観」を教えてもらう(後編)

毎月恒例・オープンダイアローグ夫婦の公開ダイアローグ、今回は妻けいこさんの「パートナーシップ観」について、夫が教えていただく形をとりました。前編はこちら。

この記事はメルマガ「おうちの人間カンケイについて」(月3回発行)の9月分を再編集したものです。私たちは日常的なダイアローグの他に、メルマガ用に毎月1回テーマを決めてダイアローグしています。メルマガ登録はこちらです。

パートナーとしてできるのは、ラブしてあげること

ーー(太字:けいこ)ここまで聴いていて、何か思ったこととかありますか。

(細字:ふゆひこ)ちょっと時間をください。先月のダイアローグではないですがスピードが速いと、自分の内側で拾うものを間違えるので・・・。

・・・お父さんがお母さんラブやったんやなっていう話が、あって、パートナーシップは「尊重」なんだな、相手がしたいことをしたらいいよっていう・・・パートナーシップは、「相手のことをラブい」っていうことなんやな、もしかしたら、けいこさんにとって。

自分の中に二つの部分があって・・・”聖なる”とでも言うような、きれいな部分と、まみれながら生きている”人間の部分”とがあるんだけど・・・いま「人間の部分」が「すまんかったな・・・」って感じてて、「聖なる部分」は「コイツめ、かわいいやつめ(ラブ)」と思っていて・・・。

ていうのは、けいこさんが「パートナーになりたい」「対等でいたい」って言ったことって、要するに「愛してよ」「私をラブしてよ」っていう、なんて言うか、訴えなのかなって思って。

それをなんか、私の「人間の部分」の反応だけど、「それを言わせたらかわいそう」っていうのがあって・・・。

それは、自分の中の子どもの自分が、親とかには「俺をちゃんと愛せよ!」と叫び続けてて、それが不憫だったから、けいこさんに同じことをさせてしまったっていう申し訳なさがあるんだけど・・・。

反面、なんかこう、尊重というか、「したいことをしたらいいよ」「応援するよ」っていうのが愛だとして、けいこさんの願いというか、「したいこと」って何だろうというのが、ちょっと謎としてあって。

あんまり”目標”とか”タスクゴール”とかで生きてない人だなっていう印象があるから・・・ああ、今それが分かった気がした。違うかもしれんけど。もしかしたら「愛されたい」っていうのが願いなんじゃない?

そう思うと、その願いを叶えられるのは俺だけなんやなあっていう・・・。

けいこさんのパートナーとしてできることは、けいこさんをラブしてあげることなんやなあ・・・っていう。

「ラブする」っていうのが具体的に何をすることなのかっていうのは、よくわかんないんだけど・・・。

それでも、「しちゃいけないこと」はいっぱい教わったから、それをしないでいこうかなと思ってるけど・・・なんかそんなようなことを思いました。

これ、今また自分の話になっちゃってるかもしれないけど・・・。これに対する応答でも、そうじゃなくても何でもいいし、この話を聴いてまたけいこさんの話に戻してもらってもいいです。

私が私に愛を示しているその姿を「それでええやん」って言ってくれるのが私は嬉しい

ーー(け)人から愛される、 愛を示してもらえるっていうのはもちろん嬉しいんだけど、私が私に愛を示しているその姿を「それでええやん」って言ってくれるのが私は嬉しいんだろうなってのが、話を聴いていて思った。

例えばそれが『科捜研(の女)』を観てるなのか、何かパズルをしてるなのか分かんないけど、他の人から見れば何の生産性もないようなことをしてボーっとして1時間経っちゃった2時間経っちゃったっていう時間にだって、私が私に休息を与えてるとか、ボーっとするのが今したいからしているという形で自分に愛を注いでいるわけだから、それを他者から「そんなボーっとして」とか「ボーっとしてる時間あったら何かしなよ」みたいなことを言うのじゃなくて、「今はこういう形で自分に愛を注いでいるんだな」「それでええんで」って言われることが嬉しい。それが肯定ってことなのかもしれないね。

自分で自分に愛を注いでいることを幾つもやってるのに、それを否定されるってことは結構多い気がしている。

私がしている行動は私が好きでしているわけだから、それは・・何ていうんだろう・・・黙って「あ、今これがしたいんだな」っていうふうに思っていてほしいなと思う。

その間の時間、側にいる人も、その人自身のしたいことをすればいいと思っていて。 私にも、側にいるに人も、「これがしたいんだな」っていうのがあって、それがお互いあって同じ空間にいれるっていうのが「夫婦」とか「家族」とかっていうことなのだろうとわたしは思う。

それぞれの人が好きなことをしている、その姿を意識とか視界のスミに入れながら、それぞれが好きなことをしてたらいいと思うんよ。それで家に居られて、そこまで口に出すことなく、大げさに肯定してくれる必要もなくて、無視することなく意識の中には入ってるけど「それがしたいんだったら今それをしてたらいい」っていうのが、私にとっての「尊重」なのかなーって。

そんな時間が私にとっては心地いいかもしれない。

おわりに

(ふ)「ラブ」と「尊重」はイコールなのかな・・・?っていう疑問が浮かんできてて・・・。もうちょっとそのこと詳しく教えてもらえるだろうか。ベン図みたいな感じで、こう、重なってるとこもあるけど違うとこもあるのかな・・・?と思う。 どっちかがどっちかを包括してるのかなっていう気もするし・・・。

ーー(け)別物っていう感じはしないけど・・・。

「どういう人に向かうか」なのかな。相手が違うと愛と表現したり、尊重と表現したりするのかな。

どうでしょうか。いろんな人の意見を聞いてみたい気がする。

これについては私は答えを持ち合わせておりません。まだわからないっていう感じがしている。

(ふ)ここまでありがとうございました。きょうここで言葉にし残したことがあれば。

ーー(け)最後に言った想いは、2020年9月8日月曜日現在のもので、今後変わる可能性も大いにあります。いろんな経験をすると、きっとまた違う思いが出てきたり変わったり追加されたりする可能性もあります。あと、これは私個人の話っていうことを追加したくなりました。

自分がどんなふうに思ったり考えたりしてるのかなっていうことは、自分でも興味あったんだけど、言葉にしてきたことがなかったので、今回は「思ってるけど、言葉にしたことなかったこと」を言葉にするっていうことができたことが楽しかったです。終わり。

***

今月も読んでいただいてありがとうございます。10月も公開夫婦ダイアローグをメルマガで先行配信します!


ダイアロジカル生活ラボ(旧・相談室おうち) mina4recovery.com 
夫Twitter @mina4recovery
皆さんのクリックを心の栄養に生きています→ 日本ブログ村

この記事が参加している募集

習慣にしていること

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは全てフィンランドでのオープンダイアローグ講師養成トレーニング参加費&渡航費に充てさせていただきます。