「自分に愛を与えること」についてのモノローグ(前編)

毎月恒例・オープンダイアローグ夫婦の公開ダイアローグ、今回は夫・ふゆひこの自動思考(モノローグ)を妻・けいこさんが傾聴する形になりました。前後編でお送りします。

この記事はメルマガ「おうちの人間カンケイについて」(月3回発行)の10月分を再編集したものです。私たちは日常的なダイアローグの他に、メルマガ用に毎月1回テーマを決めてダイアローグしています。メルマガ登録はこちらです。

2020/10/07 IKEA長久手店へ向かう車中でのダイアローグ

(細字:ふゆひこ)今日は10月7日水曜日、いまは午後です。車の中です。8月に続き IKEA 長久手店でダイアローグをやろうと思ったんですが、ちょっと用事が立て込んでいて、現地では慌ただしくなるので、移動の車中でちょっとお話をさせていただいております。

なんで車の中でこの企画が成立するのかと言いますと、今けいこさんが運転をしてくれてるわけですけれども、あの、けいこさんがありがたい申し出をくださいまして。

先月はダイアローグというより、けいこさんの話を私がリスニングをしたという形だったので、そのお返しというか、今月は私の話、モノローグをずっと聴いてくださるということで、大変ありがたく思っております。

こんなことはなかなかないです。年2回ぐらいじゃないかなと。「話を聴くよ」って言ってもらってはいるけれども実際は無理やり聴かせているようなことはしょっちゅうありますけど、こんな風にセッティングしてくださってというのは・・・え?そうでもない?ある?あるか・・・失礼しました。もう、やー、でも「そのぐらいの嬉しさ」があるということです。クリスマスとか正月とか、年2回くらいある出来事クラスの嬉しさがあります、ということをお伝えしたい。

ふだんの生活で、けいこさんは自動思考ダダ漏れな私の話を頑張って聴いてくれるんですけど、ふだんの生活場面だと、「話が返ってくる」可能性もあるんですよ。安心して「今日これ私の話ですよ」ってほんとに構造として一方的に聴いてもらうって、なかなかないんですよ。

生活場面での話って”ラリー”ですから。ダイアローグで「ラリー」とかおかしいですけど、あの、私が話したくて話し出しても、相手が応答してくれて喋りだした暁には私が聴く側になって、それに専念するのがダイアローグなので、つまりはリスナーにスイッチしなきゃいけないので・・・だから今ちょっと何かこう、何ていうか「私のための場」っていう感じがすごいあって、すごい嬉しいです。

もちろん今日の話の中でも、けいこさんがお話ししてくださるときは私、「リスナーになる」んですけれども、何かこういう構造というかセッティングを、まずスタート時点でしてくださっているっていうことがもう、本当なんか嬉しいというか救いになっております。「年2クラス」の嬉しさです。お盆と正月ぐらいの。ありがとうございます。超嬉しい。 ご褒美だね。

自分に愛を与える

今日のテーマは、先ほどおうちを出る前にちょっと話題に出したんですけど、「自分に愛を与えること」っていうのなんですけど、これの由来は、先月の公開夫婦ダイアローグの中でけいこさんにお話しいただいた「パートナーシップ観」の中にあります。

私の要約になりますけど、けいこさん自身が自分に愛を与えてるのを、ああだこうだ言わずにそうさせておいてほしい、と。「ええんやで」と。それが何か「尊重」というか「家族のあり方」ってことで、けいこさんが大事にしている価値観ってことだったんですけど、それを聴いて私、思うんですけど、振り返るに、けいこさんて「自分に愛を与える」がめっちゃ上手というか、自然というか、なんぼでも自分に愛を与えているなーっていう気がしているんですね。

それで私は最近、けいこさんが自分に愛を与えているのを邪魔しないように、別々の部屋で暮らすようになって、ベッドも別々にして別々に寝てるし、寝るまでの間もずっと一人で過ごしてるんですけど・・・こないだ私ヒマなんで Amazon プライムで『けいおん!』を観たんですけど、主人公の唯ちゃんて、けいこさんが自分に愛を与えている姿そっくりだなーと思って。ベッドの上でゴロゴロー、ゴロゴローっていって。 ほんとにね。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00G0E6GAI/ref=atv_dp_share_cu_r

それで「あー、これか」と思って。唯ちゃんってあのまま行くと学生生活とか将来とかちょっとやばそうなんですけど、あの、周りにちゃんと、生徒会とかやってる幼馴染の和(のどか)ちゃんがいたり、しっかり者の妹の憂(うい)ちゃんがいたり、さらに軽音楽部の仲間が3人いて、何とかなっちゃうんですよね。

他方で、唯ちゃんは助けられるばっかりじゃなくて、これちょっとここからすごい真面目な話になるんですけど、あの・・・何年か前に、相模原で障害者施設殺傷事件があったじゃないですか。私の話って、いきなり『けいおん!』から「相模原障害者施設殺傷事件」に平気で飛ぶんですけど、私の中ではこれ、繋がってまして・・・。

あの事件って、「生産性」がキーワードだったじゃないですか。犯人が障害のある入所者を殺傷した理由が、生きていて役に立つ人と立たない人がいて、犯人にとってあの施設に入所していた障害のある人は後者で、彼は役に立たない人間は生きていても仕方がないと考えてもいて、だから犯行に及んだという。

その犯人のように人を「生産性」で計ったり、「生産性」を経済的な話とかGDPとか、分かりやすい目に見えた社会貢献とか、そういう話にしちゃうと、たぶん『けいおん!』の唯ちゃんも一見「生産性」がないように見えるんではないかと思うんですよね。

同様に、相模原の犯人からしたら、きっとけいこさんが自分に愛を与えてる様子も「生産性」ないように見えるんではないかと思うんですよ。

自分に愛を与えることでけいこさんのエネルギーが”再生産”されてるみたいな考え方もできると思うんですけど、それもまた「生産性」がないと意味がないという、相模原の犯人と同じ視点になってしまうと思うんですよね。

でもですね、あの犯人の考えるような意味では「生産性」がないって言われるかもしれない、言われがちな、そのようなものでも、例えば唯ちゃんの存在が憂ちゃんや和ちゃんにとって負担だとか、軽音部の仲間のお荷物だとか、周りが苦しんでるとか、そういうことはないわけですよね。

むしろ唯ちゃんの存在がバンドには欠かせない。和ちゃんにとっては大事な幼馴染だし、憂ちゃんにとっては大事なお姉ちゃん。みんなにとって大事な存在なわけですよね。唯ちゃんがいるから楽しい、頑張れる、ってなるわけで。けいこさんの存在も私にとってそういう話なんですけど。

でもですね、この考え方にもたぶん”落とし穴”があるんですよ。つまり、他者から愛されてない人とか孤立無援の人には存在価値がないのか、っていう話になるから。

でもそうじゃないんですよね。その話するのに、今日はこれからちょっと遠回りするかもしれません。

「自分に愛を与える方法を知らない」

私はけいこさんが自分に愛を与えている間、分離して過ごしているわけですけど、私にもぽっかり時間ができるわけですよね。そんで困ってるんです。

というのは私、自分に愛を与える方法を知らないんですよ。全く分からないんですね。

だから「自分の時間」って何していいか分からんのです。逆に言うと、振り返ってみれば私の人生の時間はだいたい他人のためにあったっていうことなんですけど。

他人のために搾取されたり自己犠牲したり、他人や全体にとっての最適を考えたりして、他人に気付かれないところで、頼まれてもいないのに人知れずいろんなことを準備したり段取ったりカバーしたりして、そのために「自分の時間」を使ってるわけです。

そこへ、「私は撮り貯めた『科捜研(の女)』観て楽しんでるね。あなたも自分のことして過ごしや」って言われたら、何していいかわかんないんですよ。「生活がない」というか。

自分が何したらいいか・・・そう、だから「自分に愛を与えていいというお許し」が得られてる感じからして、まず、無いので。

そもそもそんな経験が少ない・・・無いので、その方法とかバリエーションもない・・・貧しいわけです。

あるいは、「これが自分に愛を与えることだ」と思っている、その方法が全然勘違いだったとか。例えば私、昔アルコールをいっぱい飲んでましたけど、それを「自分に愛を与えること」だと思ってたわけです。でもあれはただ、アルコールという嗜癖物質を使って苦痛を麻痺させてるだけなわけですよね。愛どころか、自分への虐待なわけです。

個体として完結したうえで一緒にいる

けいこさんが自分に愛を与えている姿を見てると、なんか動物を思い浮かべるんですよ。ライオンとか。語弊があったらごめんなさい。でも、動物って、あの、基本的に共依存にならないじゃないですか。共生とかはあるんですけど。

動物が自分の行動を決めるときに他人の顔色を伺うとか、他の個体の最適を考えて自分の「お腹すいた」とかを後回しにするって、基本的にはないと思うんです。種の保存みたいな話をおいておくと、動物って基本的には、それぞれまず自分という個体の生存のための最適な選択をするんじゃないかと思うんですけど。

なので、他の個体が自分の生存のために何かしてくれなければ怒る、みたいにならないわけですよね、動物って。端的に individual だなと思うんですけど・・・何かこれ「西洋近代的個人」みたいな考えに近いのかなと思うんですけど、さらに、けいこさんが先月のダイアローグで言っていた「家族の関係」の感じに近いようにも思えるんですね。

それぞれが自分に愛を与えて、気分よくいて、そのときの気分で何となく個室からリビングルームにお互い出てきたりなんかして、何かの話しをしたり、みたいな、なんかそういう感じじゃないかなと思っていて、それって、私はすごく動物の「在り方」を思い浮かべるんですよね。

動物って多分、完全なんです、私の中で。そういう意味での完全性、個体として完結している、自立しているっていうか。

けいこさんは自分に愛を与えているわけですけど、で、「あなたも自分に愛を与えや」っていう意味で、他人に干渉しないわけですよね。それがけいこさんがしている他者肯定なんですよ。

私は私に愛を与えることで私を肯定する、で、あんたも自分に愛を与えていいんやで、好きにしやあ、ってのは、だから、けいこさんて他者を全面的に肯定してるんですけど、ただ、「無条件の肯定」って、私のイメージだと・・・我ながら病的なイメージだなと思ったんですけど、「ベトベトに愛してくれること」っていうイメージがあったんですよね。

だけど、けいこさんは私をベトベトには全然愛してくれないんです(笑)。でも何か、「愛されてないわけじゃない」っていう感じはして、その「健全な愛」っていうのは、ライオンとか猫とか、何かいい意味で動物的な、individual な相互尊重の仕方を思わせるんですよね。

「私は私で自分の快適を求める。あんたもそうしていいんやで」っていう形の肯定は、私、経験ないんですよ。何かベトベトに管理されるとか保護されるとか、搾取されるとかっていう、ベトベトな関係しか知らないので。だからよく分からんのですよね。「好きなことしてていいんやで」ってなったときにやることの発想がないんですよ、まず・・・。

だからつい家事なんかしちゃうんですけど・・・でも「 やりたいこと」じゃないので、「何でけいこさんが『科捜研』観てゴロゴロー、ゴロゴローしてる横で俺だけこんな床を掃いて皿を洗って洗濯をして1日のスケジュールを計算して予定を立てて、率先して色々やんなきゃいけねぇんだ」みたいになるんですよ。

でもね、そんなん頼まれてないんですよね。自分が勝手にやってるだけなんです。自分の時間はすべて他者に搾取されるためにある、みたいな、そういう行動を今だにとっているんですよ。

「まだおうちにお父さんがいるんじゃないですか」

で、これは先々月くらいの「対話の勉強会」でリフレクティングワークをしたときに、リフレクティングトークの中で言われたんですけど、「まだおうちにお父さんがいるんじゃないですか」って。それを聴いた瞬間、冷たい薄い刃物が胸にスゥッと入ったような感じがして、「ああ、そうだよね」と思って。

そうなんですよ。父親とか母親と暮らしてた子ども時代の、ベトベトにコントロールされたり搾取されたり保護されたり支配されたり管理されたりしてたときの行動様式を、いまだに、彼らはフィジカルにはもうここにはいないのに、私の心と体がそのまま続けているっていう。

これは『ショーシャンクの空に』ていう映画で、モーガンフリーマンが刑務所を出てスーパーで働き出したときに、店長に「トイレ行っていいですか」って聞いて、「刑務所じゃねえんだから勝手に行け」と言われた場面と同じ現象なんですよね。刑務所にいたときの行動様式が染み付いているんですよ。それで、そこからはみ出たときどうなるかわからない怖さがある、っていう。

「普通の人ずるい」

あの、だから、「自分を愛する」って、すごい、あの、分からないんですよ。

けいこさんが先月のダイアローグで、自分に愛を「与えて」あげるって言ったのが、比較的わたしには分かりやすいんですよ。「与える」ものだと、休むとか、具体的な行動とか物とか、具体性が出るっていうか。「愛する」って動詞だと、具体的に何をすることかちょっと分かんないので。

けいこさんと暮らすようになって、「自分いま血糖値下がってるんだ」とか「空腹なんだ」とか「熱がある」「眠い」とかっていうのは分かるようにというか、段々「キャッチ」するようになってきていて・・・逆に言うと、昔はこんなすごい不調を意識的にはキャッチせず、バックグラウンドに走らせたまま働いたり暮らしたりしてたのか・・・と思って、「それはイライラするししんどいわな」って思ったんですよね。

私ずっと二十歳ぐらいから毎日下血してて、一時期ヘモグロビン値が7だったんですけど、なんか二十代なのに体力ないし息は切れるし何でだろうと思って、その一方、毎日便器が真っ赤だったんですけど(笑)、「それだよ!」っていう(笑)。

でも当時はなんか、「俺の人生こんなもんだろう」って思ってたんですけど。でもけいこさんと暮らすようになって、4年ぐらい前についに痔の手術をして出血が止まったらもう、二十歳のときより体力があるんですよ、36歳とかで。息も全然切れないし。ブログで何回も書いてるけど「知らんかった」「普通の人ずるい」っていうか、一般の人ってどんだけいいコンディションで自分を甘やかして暮らしてんだよ、っていう。なんかびっくりですよね。

後編へつづく

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