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親子や夫婦の対話は「聴く」一択!「話せば分かる」に潜む落とし穴について

moi! オープンダイアローグ夫婦の夫のほうです。私たち夫婦の営む『相談室おうち』のホームページをリニューアルしましたので、ぜひご覧ください。

さて、親子や夫婦、上司と部下など ”大切な人” との関係をメンテしたり、修復したりしようとするとき、私たちは「話せば分かる」と考えがちではないでしょうか。

久しぶりにLINEしたり、散歩や食事やお酒に誘ったり。折り入って面談などすることもあるかもしれませんね。

これらはすべて、「話せば分かる」と信じ、相手に向き合おうといっしょうけんめい頑張って何かを伝えようとする姿だと思います。

でも、本当に「話せば分かる」のでしょうか。

個人的には、「話せばわかる」は、真理度50%だと思います。というのは、そう感じているのは「話せた」側だけだったりするからです。

「話せばわかる。ただし、ちゃんと話せれば」と、私は思います。

「ちゃんと話す」とは、私にとっては「対話する」ということです。

それでは、どうしたら「対話」になるのでしょうか。

オープンダイアローグを実施できればいちばんいいなと思いますが、ご家庭でできることもあると、私は思います。

対話のために家庭でできること。いちばん基本的でシンプルなのは、そう、「聴く」ことです。

「聴く」ができて初めて応答になる

前回の記事で「対話と会話の違い」について書きました。

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とても乱暴な整理ですが、互いが互いのタイミングで言いたいことを言い合うのが会話だとします(ボールを2個使って行うキャッチボールみたいな)。

他方で、個人的には、対話では以下のような流れ(型)を意識しています。

(1)相手の話を聴く(「音楽を聴くように」)。
(2)自分が相手の言葉をちゃんと聴けているか、相手に確認する(自分が耳にしたと思う相手の言葉を繰り返してみる)。
(3)その言葉を聴いたときの感じを思い出す(感情、感情になる前の感覚、身体の反応など)
(4)(3)が起きた理由を振り返る(自分の内側で言葉にする)
(5)(4)を言葉として発する(「応答」(≠反応))

そう、対話では、いったん相手の話を聴き、自分の中に起きた変化を感じてはじめて、自分が話すことが生まれるのです。

このようにして出てきたことを「応答」(≠反応)というのだと、私は思います。

相手の話を聴くまでは、こちらの「話したいこと=応答」など原理的に出てこない。それが対話なのではないかと、私は思います。

相手が話しているうちは「聴く」一択

「話し合いたい」と思う状況では、お互いに「話したいこと」があります。それらを同時に話すと話になりませんから、片方ずつ話すことになるでしょう。

このとき、少なくともどちらかが「聴く(≠聞く)」をしていないと、どういうことになるでしょうか。

こちらの言いたいことを話す→相手の言いたいことが返ってくる→聴いてもらえていないと感じる→もっかい話す→また相手の言い分が返ってくる→聴いてもらえていないと感じる→以下ループ

となるのではないでしょうか。

対話を成立させるためには、「聴いてもらえている」という感じが重要です。「聴いてもらえている」という感じこそ、「対話を続けよう」という気持ちの原動力になります。

この「聴いてもらえている感じ」を相手に与えるのが「応答」なのだと、私は思います。

応答するには、聴かないといけません。ということは、相手が話している間は「聴く」一択なのです。「歯を食いしばってでも聴く」のだと、私は習いました。

これがとっても難しいです。私も、暮らしの中で対話しようとして、でも自分の中に「言いたいこと」が強くある中で相手の話を聴き続けるときはとても苦しいです。『半沢直樹』に出てきた大和田常務(香川照之さん)を思い出します。

大和田常務が最終回で、ギギギギ言いながら膝を折る感じ、あれが、自分の話したいことをこらえて「歯を食いしばってでも聴く」、に近いような気がします。

ふだんから自分の話を自分で聴いておく

相手が話し始めたら、自分の言いたいことを言うことをいちどあきらめ、「聴く」一択。ギギギギ。とても苦しいことです。

どうすればもうちょっと楽になるのでしょうか。

私は、どちらか片方が、「話したいこと」をあらかじめ誰かに聴いてもらっておけばいいのではないかと思います。そうすることで、心のなかに「相手の話を入れるスペース」ができるからです。ボール2個でやっていたキャッチボールの球を1個にしておく、みたいな。

誰かに、と書きましたが、これ、できればふだんから自分自身に聴いておいてもらうのがいちばんいいと思います。親子や夫婦など「重要な他者」との間で、当人どうしだけの対話が必要になったときのために。

重要な他者に対して言いたいことがある、分かってほしいことがある。でも同様に、相手にもこちらに聴いてほしいことがあって、こちらの話を入れる心のスペースがない。

そんなとき、あなたの大切な気持ちをあらかじめ聴いて、分かってあげられるような、「親子」や「夫婦」に匹敵するほどの「重要な他者」は、自分自身しかいません。

この作業、前回の記事で紹介した「セルフコンパッション」にあたります。私は、セルフコンパッションはご家庭で対話を成立させるときの大前提なのではないかと思っています。

大切な存在に聴いてもらえると、人は素直になれます。それが自分でもです。

聴いてもらえた満足感や喜び、その幸福を体験し学習することで、他者にもそうしてあげようと思えるようになります。優しくなれるのです。

自分は相手に優しくしてあげたかったんだ。一緒に幸せになりたかっただけなんだ。そんなような気持ちを思い出します。

そのような気持ち(動機)で対話に臨むと、あなたの姿勢を通じて、それは相手にもちゃんと伝わります。

大人になると、この「実は恥ずかしいくらいピュアな、優しい自分」のことが見えなくなってしまいがちです。「自分がそんな人間なはずがない」などと斜に構えてみたり。

突然ですが、私はスピッツが大スキなので、皆さんという「優しいあの子」たちに、私が大好きなスピッツの歌詞を贈って、フレーフレーフレー♪という気持ちを伝えたいと思います。

行ったり来たりできるよ これから  忘れないでね 大人に戻っても
(スピッツ「未来コオロギ」より)

けいこさん、ここまで読んで思い浮かんだことを教えてもらえますか?

ちょっと、んふー、情報が多くて、はははは、んふっ、笑えてきちゃうね。笑えてきちゃう。はは。

(1分ほど沈黙)

・・・あー、あのね、何か、関係あるかどうかわかんないんだけど、これを読んだときに、最近オープンダイアローグに関わらず「対話」っていうことを、よく目にしたり耳にしたりするようになったなあと思っていて。

ちょっとした対話ブームなのかな?って思ったりもして。対話ができたら素敵なことだと思うんだけど、ちょっと違和感みたいなものも感じたりする。そのときに対話・・・対話って言われてるけど、どういうことをすることが対話なのか・・・何か「対話」っていう文字が溢れていて、「対話ってどういうことだろう」って考える。

対話っていう字から、「対面して」「話す」みたいな印象があって、「話す」ということに注目が行きがちかなと思うんだけど、何だろうな・・・それって、このブログにもあったけど、聴く人がいるから話せるっていうことが、伝わりづらい。(文字にすると当たり前のことしか言ってないけど、)

「聴く」っていうことってすごく、オープンダイアローグを学べば学ぶほど、難しいなと感じていて、探すと「聴く」っていうことについての本が何冊もあって、聴く姿勢とか聴くマナーとか、何かそっちのことが・・・、うーん、聴く姿勢、マナーっていうことが対話の肝(キモ)かなーって、いうことを思いました。マイクを戻します。

まとめ

けいこさん曰く、「『聴く』は、身につけることができます!」

私(夫)も、そう思います。

暮らしの中で「聴く」を練習しつつ、お急ぎの方は「『聴く』と『話す』が両方できるオープンダイアローグを体験してみるのはいかがでしょうか」。


相談室おうち mina4recovery.com
夫Twitter @mina4recovery
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