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対話する時間がない中でのダイアローグ(前編)

毎月恒例・オープンダイアローグ夫婦の公開ダイアローグ、今回はまとまった時間がとれない中での強行ダイアローグとなりました。こんなときはどんなダイアローグになるのでしょう?今月も前後編でお送りします。

この記事はメルマガ「おうちの人間カンケイについて」(月3回発行)の12月分を再編集したものです。私たちは日常的なダイアローグの他に、メルマガ用に毎月1回テーマを決めてダイアローグしています。メルマガ登録はこちら

令和2年12月9日 おうち台所でのダイアローグ

(細字:ふゆひこ)今月は「生活と対話と忙しさ」っていうテーマでダイアローグをしたいなと思います。ていうのは、10月から始めた「相談支援事業所me(ミィ)」が本当に忙しくって、それがなかったときは IKEA とかでゆっくりダイアローグをしてたんですけど、本当にね、もう、時間がないんですよ。

今日も何とかメルマガ用のダイアローグをしようとしてたんですけど、あの、いま2020年12月9日(水曜日)の夜6時26分なんですけど、きょう水曜日は相談支援事業所はお休みなんですが、それなのに本日じゅうに終わらせなきゃいけない事務仕事があって、それがつい先ほど終わりまして・・・。

それでスケジュール的にもこの流れでメルマガ用ダイアローグをしておかねばならない、なぜなら明日(10日)発信だから、今夜のうちにダイアローグだけしておけば、幸い明日は編集と発信をする時間があるから・・・という感じなんですが、今から、でも、あの・・・ご飯を食べる食べないの話をしてまして・・・。

というのは、けいこさんが今からすごいしっかりした、手の込んだ料理を作ってくれるって言ってくれて、こんな忙しい中で時間をかけてご飯を作ってくれて、ゆっくりご飯食べて「もう満足だね」「おいしかったね」ってなったらもう寝たくなるんじゃないかな・・・と思って、そしたらもういろいろスケジュールが破綻してくる・・・と思って、でもご飯も食べてないのって何だろう・・・って思うし、ちょっと悩んでたんですよね。

もう何か、これって他のどの家庭でもあることっていうか、そもそも家庭でどうして対話が難しいかっていったら「忙しいから」だから、こういう状況でどうしたらいいだろうねっていうのを、今、あの、けいこさんが麻婆豆腐とキムチ雑炊を作ってくれる準備をしているんですけど、そんな中、ダイアローグしてみたいと思っております。

ところで、一応説明しておきますと、今日の料理はけいこさんが全て仕切ります。私はこの台所で、料理以外のことをしておりまして、何もしてないというわけではないということ強調しておきたい感じが何故かしています。けいこさんいかがですか。

(太字:けいこ)ふゆひこさんの語りを聴いていて「そうだよな」って思いながら、朝洗った食器を片付けながら・・・なんか何ヶ月か前にメルマガ用ダイアローグを途中で止めたことがあったのを思い出して・・・なぜ途中で止めることになったかって、結局のところ気持ちに余裕が持てなかった。

だけど、なんか、その理由って何だっただろうって思うと、「ご飯食べてない」とか「自分のことをちゃんとお手入れができてない」とか、そんなようなことだったような記憶があって。

では、まずちゃんと自分のコンディションを整えて、自分に余裕が・・・余裕というのかな 、自分をちゃんとお手入れしたうえで人と話をするっていうのでないと、相手を傷つける言葉を言っていたり、「私だって!」とか、なんかそういうふうなことになっちゃうんじゃないかっていうのが、そのときからの学びとして私にはあってね。

だから、まずはちゃんと「自分が満たされている状態」っていうのを作ったうえで人と話をするっていうことを、それは自分を大事にすることでもあるし、人と向き合うための、もしかするとエチケットとか、マナーとかみたいな部分なのかもしれないなって思ったので、私はまず今日は自分のお腹を満たして、何て言うのかな、自分のお腹が満たされるっていうことは気持ちにも余裕が出てくるっていうか、気持ちに余裕がない状態っていうのが解消されると思うので、そのことを優先したいと思って私は「今日はまずご飯を先に食べませんか」というふうに言ったというわけです。メニューに関してはたまたまです。たまたま今日はちょっと辛いものシリーズでお送りすることになりました。今んとこ浮かぶのはそんなところかな。

自分のコンディションを優先することが結局は相手のためにもなる

(ふ)ここまで話してみてどう思いますか?

(け)いや、なんか物事の順序っていうのが逆になることが多いなーっていう。自分がね、「事務仕事からそのまま続行してダイアローグしちゃいたい」とか、「こうしたい」って言われると、「それを叶えてあげたいとか考えてあげなくちゃ」とかっていうふうに思いがちだったり、そうすることが私にとっては自然だったりするので、なんか自分が余裕があるとかないとかっていうことすら気づいてないっていうことって多いかなーって思いました。

最近よく、「逆が正解」みたいなこと言うじゃないですか、私たちの間で。

「逆が正解」っていう、今日のことでいうと相手を優先することが正解じゃなくて自分のコンディションを優先することが結局は相手のためにもなるし、当然自分のためにもなるから、ケンカしなくて済んだり、しなくていいケンカを避けられたりとか。結局は関係が悪くならないというか、良好な状態が維持されるとか、何かそういうふうなのかなと思って。

私はさっき、「このまま話してもいいのかもな」って思ったんですよ。お腹すいてないしなとも思ったし。でも、もしかすると「自分がお腹が空いてるかどうか」っていうのを、けっこう無視してるのかもしれない。そういうとこにあんまり意識的になれてない自分というのはいるな、というふうに思って、とすると、このまま話すと数ヶ月前のような途中で止めてしまったというときと同じになるかもしれないと思って、今日は違う選択をしてみたのです。

(ふ)お腹がすいてなかったの、なんかちょっと驚き。「ごはん食べよう」って言ってたから。でも「お腹が空いてなくてもごはんを食べる」ってことに、何かその、大切さがあったってことなのかなあ。その、今回の場合は「自分のケアをする」みたいな・・・。

(け)その辺あんまり実はよくわかってないんだけど、自分でも。何かこう、お腹が空いてるか空いてないかっていうよりも、「いま自分が満たされてるか満たされてないか」みたいなことかもしれないね。「枯渇してないか」とかさ、そういう部分かもしれない。

(ふ)自分が枯渇してないっていうことやね。

(け)そうそうそう。それを誰かに満たしてもらうとか誰かの行動で安心を得るとかじゃなくて、自分でそこをする。セルフケアだったりとか、自分のために食事作るもそうだし、あったかいお風呂に入るでもそうだし。そこに入浴剤入れてみるとかもそうかもしれないし、お茶をいれるもそうだし、甘いもの食べるもそうだと思うし。

「身体に聞いてみる」

(け)もう一個、最近の好きなワードとしては「身体に聞いてみる」ってやつかなー、とか。

なんだろうね、あとは・・・あのさ、自分が枯渇してるかどうかってあんまりさあ、私は気付きにくかったりするなと思っていて。結構カラカラになって・・・でもどうだろう、そうでもないのかな・・・。

「枯渇する」っていうの、いま思ったのはさ、毎日一定量で減ってくるとか、何かあるとその瞬間一定量ずつ減ってくわけじゃなくて、大変なことがあったときとか、自分にとってはちょっと大変に感じるときって、すごい一気に減るっていうかさ。そのときは我慢してるとかって思ってないんだけど、振り返ったときに「あれは我慢をしてたな」みたいなふうにはなりがちかもなって思ったから、割と毎日定期的に、枯渇しないようにっていうよりは、常に「潤っておける」ようにしたいな、どっちかって言うと。そうしておけるといいのかもしれないなって思った。

(細字:ふゆひこ)「潤い」について、もちょっと教えてもらいたいなと思って。

(け)なんだろうね、常にそんなことを考えて生きるっていうのは難しいけど。

「言霊」とかスピリチュアルみたいなこと言うとさ、「自分はもうすでに十分満たされています」とかさ、そういう、なんて言うの・・・「感情がともなってもともなってなくてもいいから言葉にし続けなさい」「口にし続けるといいよ」みたいなこととかを言われてるのを本か何かで読んだんだけど、そういうのもあながち間違いじゃないなとは思う。

本当は感情がともなったうえで「自分は今日も満たされてんな」って思えるのが一番いいけど、忙しさとか、それこそ前に話した「時間」とか「スピード感」とかさ、「スペース」みたいな話とも繋がってくるような気がするんだけど、そういうのを持てているっていうことに意識が向けられるっていうのが、「潤ってる」なのかな。

(ふ)「時間」とかセルフケアとかに意識を向けれてる状態が、「潤っている」っていうこと。

(け)そんな感じがするね。麻婆豆腐ができました。(つづく)

後編はこちら


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