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ある「まち」の話(vol.2)

人は選択しながら生きている

人生は選択の連続だ。
私たちは自我が芽生えていない頃から選んでいる。
それは本能的なことから始まり、とても高次なことまで。
でも、それは飽くまでも個人の中にある選択肢においてである。

さて、私の持っている選択肢とあなたの持っている選択肢は同じだろうか。

この「まち」に何も無くても構わないはずなのだけど

「このまちって何にもないよね」
「休みの日に行くところもないし、遊ぶところもない」
「子どもに行かせたい学校がない」
「洋服買いに行くのももユニクロかしまむらしかない」
(ユニクロやしまむらが悪いというわけではないので、そこは悪しからず)

田舎では、よく聞く話題である。

何をするにしても選択肢がないのだ。
テレビや雑誌に出てくるようなお店も商品もこのまちには存在しない。
今は、インターネットがあるので実際はそれなりに何でも手に入るけれど。

だから別にこのまちに何が無くたって構わないじゃない。
いや、そういうことではない気がする。

何かが物足りない。

この「まち」に本当にないものとは

この「まち」に本当にないもの。
それは「選ぶこと」、すなわち選択の余地なのかもしれない。

私たちは、インターネットの発達によって、多くの情報を手に入れられるようになった。
しかし、実際の選択肢はどうだろうか。

得られる情報とその実態との距離は、さほど埋まってはいないのではないか。
もちろん、インターネットを介して手に入れられるものは増えている。
でも、それは自分から選択肢を広げにいっているからであって、そうしなければ選べることというのは、実はそんなに変わっていないのではないか。
本当に手に入れられるもって、実はすごく限られているから。
いくら物質が手に入っても、望む暮らしが手に入るわけではない。

選択肢がないというのは、選択をしなくてもいい「まち」だということ

選ぶことの自由を知って、それを良しとしている人にとってこの「まち」は退屈なものかもしれない。
少ない選択肢しか持たない実生活は、つまらないし不自由だ。
まあ、インターネットの世界にその自由があるからそれでいいという考え方もあるだろうから、その場合はもちろんこの「まち」でも不足を感じないのかもしれない。

しかし、選ぶことの自由を知っていても、選ぶということに価値を見出していない人たちもいるのかもしれない。
そういう人にとっては、もしかしてこの「まち」は楽なのかもしれない。
究極に選択肢が減らされた「まち」。
選択肢がこの「まち」の外にあることを知っていても、あえてそれを望まない。

選択することにはエネルギーがいる。
情報を集めて吟味して、数ある選択肢の中から一つを選ぶ。
慣れていなければ面倒で煩雑だ。

選ぶ自由のないこの「まち」で生活するということ

そう、何もないこの「まち」では選択するトレーニングを積む機会がないので、いつまで経っても「選ぶこと」に慣れることがない。

これを不自由だと捉えるのか、楽だと捉えるのか。

確かに、人それぞれに持てる選択肢の幅は違うのかもしれない。

でも、「選ぶこと」に直面する機会に、端から出会えないというのは残念なことだ。

この「まち」に無いものはいくらでもある。
それは個人で変えられるようなことではないので仕方がない。

でも、「選ぶこと」ができないことに甘んじないこと、今目の前にあること以外の選択肢がないのか考えてみること、これくらいはこの「まち」でも許されるのではないだろうか。

そして、この「まち」で誰も見つけていない選択肢を見つけようと足掻いてみること、これももしかしたらありなのではないか。

「選べない不自由」と「選ばない楽」という共存

この「まち」には、「選べない不自由」と「選ばない楽」がある。
そもそもこのどちらを選ぶかも、本来ならば自由なはずだ。
しかし、環境によって「選ばない楽」しか知らないまま生活していくこともあり得る。
生まれて育つ場所、そして何らかの要因でたどり着いた生活の場で、これが左右されてしまうという事実が何だか悲しい。

「選ばない楽」にこの「まち」の価値をつけるのは何だか悔しくてさびしい。
この「まち」に、「選べない不自由」というレッテルを貼られるのも残念なことだ。
たとえそれが事実だったとしても。

でも、もしこの事実を受け入れてこの「まち」を語ろうとするならばどうだろうか。

続きはまた今度

さて、この「まち」の本当の価値はどこにあるのだろう?
買物も、病院も、学校も、娯楽も何もかも選択肢がないことは事実である。
選べないことを理由にこの「まち」を去ることも選択の一つだけど、選べないからといって、手をこまねいているばかりではない人もいるのかもしれない。
きっと、選択肢はそこにあるものばかりではない。
自ら、選択肢を発掘したり、作ったりしている人がいるのかもしれないのだけど、この続きはまた今度。


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