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渡部昇一「文科の時代」(1973年7月『諸君!』)

渡部昇一さんが勤めていた上智大学では、高度経済成長時代に理工学部が作られました。当時、理工学部の教員の給与は、文学部の教員の2倍ということが囁かれていたそうです。
渡部昇一さんは、このような状況を見て、次のように述べています。

理工学部は、国富を作るが文学部はそうではないという発想だったのであろう。
しかし、理工学部は国富になったかもしれないが、それは校富にならず、校負になった。それは数十億の予算を片っ端から食い潰す怪物であった。
そして、無用な学問をやっている人間の集まりであるはずの文学部には、そういう無駄や浪費がなく、かえって校富に貢献していたのだから妙な話である。

渡部昇一著「文科の時代」(1973年7月『諸君!』初出)より

似たような話は、自分の大学時代でも耳にしたことがあります。
当時、法学部にいた私は、憲法のゼミに所属していました。
恩師である田口精一先生は、司法試験の委員もされていた著名な先生だったのですが、「ゼミでは司法試験の話は一切しない」と公言され、専門であるドイツ国法学の名著、イエリネックの「一般国家学」を原書で講読する授業をされていました。
田口先生は、「法学部や文学部は、図書館の本を使用するだけで経費がほとんどかからない。そのため、法学部の学生の授業料は、ほとんど理工学部や医学部にまわってしまう」と嘆かれていました。
これは、理工学部や医学部の学生は、文化系の学生がおさめた授業料も使いながら学問をしているにも関わらず、「自分一人の力で卒業できた」という認識で生きているという事実に対する嘆きと言えるでしょう。
彼らは、そのような指摘を受けることがなければ、一生その事実に気がつくこともないでしょう。

有益であるはずの学問(理工学部)がおそろしく有害で、無益だったはずの学問(文学部)がかえって有益だったというようなことは、今(1973年当時)、世界的、あるいは全人類的規模で起こってきているのではないか。
つまり、核爆発や環境汚染は、相当鈍感な人にも科学や技術の進歩は人類の破滅になりかねないという実感を与えてきている。
それは丁度、わが大学の理事者にも理工学部の発展は、大学の破滅に連なりうることが実感されはじたように・・・。
江戸時代の学問は漢詩を作ることであった。
漢籍の数に限りのあった時代、無限の知的・情的エネルギーを吸収する試作というものが、江戸時代の泰平の世の象徴であった。
つまり為政者が富国強兵策や大陸進出といった拡大の原理に支配されたのではなく、深化と内向の原理という非拡大の原理に基づく考え方であった。

渡部昇一著「文科の時代」(1973年7月『諸君!』初出)より

同じことは平安時代にもありました。
その当時の天皇や貴族は、和歌を作ることに知的エネルギーを集中していました。
そのような中から、和泉式部や紫式部、清少納言といった女流文学者が誕生したことは、厳然とした歴史的事実です。
今から千年以上も前の時代に、女性が文学者として歴史に名を残すことなど、世界的に見ても希有なことだと言えるでしょう。
こんな国は、日本だけです。

女性の地位が高いという西欧ですら、文学史に名を連ねるジェーンオースチンらは18世紀になってからのことだ。
つまり、科学技術やテクノロジーを前面に押し出して拡大の原理に支配された社会は男性優位の社会にならざるをえず、富国強兵策や大陸進出、核開発や環境汚染といった人類破滅の危機を常にはらんでいるということになる。
後に残らないものに精神的エネルギーを集中することを仮に文科的原理と呼びたい。それは、そのあとに生産物を残す理工的原理と反対のものであり、あらゆる科学的分野に限界がみえ、地球も危ないものになった時、そこに生きる原理は文科的原理であるが、そのいくつかを日本人の先祖たちが実践して見せてくれたことに対して誇りを持ちたいと思う。

渡部昇一著「文科の時代」(1973年7月『諸君!』初出)より

およそ50年前に発表された渡部昇一さんの卓見は、令和の世でも十分通用するものと言えるでしょう。
平安時代がそうであったように、これからの世の中は「女性」が鍵を握っているということは、ほぼ間違いありません。
ノーベル賞受賞されたマララさん、
環境活動家のグレタさん、
香港民主化運動の女神といわれた周さん・・・など、
21世紀の世界をリードし、活躍している女性の例は数多くみられます。
これからの未来に、日本の文化と伝統を背景にもつ日本女性が、世界平和と環境保全のために、彼女たちと名を連ねるようになる時代がくることを心から願うばかりです。

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