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歩くことの意義 【H・D・ソロー著『Walking』】

人間は年を取るにつれて、じっと座ったまま、屋内の仕事に従事する能力が増大する。
人生の夕暮れが近づくにつれて、習慣のほうも黄昏たそがれ型となり、ついには日没の直前にようやく戸外へ出て、必要な散歩を半時間かそこらで全部すませてしまうようになる。

H・D・ソロー著『市民の反抗 他五篇』飯田実訳(岩波文庫)P.113

世界的にも長寿村として有名なイタリア南部のチレント地域にあるアッチャロリ村では、人口わずか2,000人の中で、100歳を超える人が300人もいるそうです。
テレビや雑誌でもよく紹介されているため、ご存じの方も多いと思いますが、その村に暮らす人々の生活ぶりは、都会人から見たら過酷なもののように見えます。
アッチャロリ村は自然が豊かなところなのですが、交通の便がとても悪く、どこに行くにも急斜面の坂道を上り下りすることを強いられます。
生活をしていくためにブドウを栽培するにも、険しい坂道を上る必要があるため、都会に暮らす私たちからすれば、毎日登山をしているようなものでしょう。
長寿の秘密を探るべく、彼らの身体を調査した研究グループによると、血液循環が非常に若々しいという結果が出たそうです。
急斜面を毎日歩くことで、ふくらはぎが鍛えられ、それが毛細血管の鍛錬になっているのではないかという結論でしたが、このような生活が、長寿となる要因の一つであるならば、都会の便利さも考えものかもしれません。

唐代の百丈禅師が残した言葉に、次のようなものがあります。

一日作さざれば一日食らわず(一日不作、一日不食)

百丈禅師は90歳を超えてもなお、若い弟子たちと一緒に農作業や食事の用意といった作務(生活修行)に励んでいました。
弟子たちは、師匠のそのような姿を見て忍びなく思い、畑仕事に使う鋤や鎌を隠してしまいました。そうすれば、ご高齢の師匠にゆっくり休んでいただけると思ってのことだったのですが、結果は彼らが思い描いていたようにはなりませんでした。
百丈禅師が、いつものように作務をしようと道具を探しますが見つかりません。誰に聞いても、所在がわからなかったので、作務をあきらめ、自分の部屋に籠もり、書物などを読んで過ごすようになります。
ところが、師匠は食事の時間になっても出てこないため、弟子たちも気が気ではありません。
道具を隠している間、そのような日々が続いてしまったので、弟子たちも根負けして道具を戻したところ、以前と同様に作務に励み、食事もとるようになられたそうです。
食事をしない師匠の様子をみて、弟子たちが「どうして食事をしていただけないのですか?」と尋ねた時に百丈禅師が返した言葉が、先ほどの「一日作さざれば一日食らわず」でした。
この百丈禅師が残した自戒の言葉は、今なお永遠の名言として伝えられています。

私の言う散歩とは、
病人がきめられた時刻に薬を服用するような具合に、
いわゆる運動をすること
(ダンベルだの椅子だのをふりまわすこと)とは
似ても似つかぬものである。
散歩自体がその日の事業であり、冒険なのだ。
運動をしたくなったら、
生命の泉を探しにゆくがよい。
そんな泉が、
遠くの牧草地でひと知れず湧きあがっているというのに、
健康のためと称してダンベルなんかふりまわしているとは!

H・D・ソロー著『市民の反抗 他五篇』飯田実訳(岩波文庫)P.113

ソローが言うような崇高な「散歩」になっているかは分かりませんが、日常的になるべく足を使うようにしています。
目的の駅の一つ前で降りて歩く。
バスで10分程度なら歩く。
駅でもエスカレーターを使わず、階段を上るようにしています。
電車の乗り継ぎで遠回りして1時間かかるようなところも、自転車を使えばショートカットとなり30分で到着することもよくあります。
現代は便利になった分、意識していないと、余り歩いたり運動したりすることなく、一日を過ごしてしまうことも多いです。
便利さと引き換えに、失っているものがあることにもっと危機感を持つべきなのかもしれません。
地震などが来て、交通機関が使えなくなった時、果たして家まで徒歩で帰ることができるのか、日頃から考えておいた方が賢明でしょう。
仕事や学校などで時間が無いという人でも、通勤や通学の時間を利用して運動することは可能です。
アッチャロリ村ほど過酷な環境ではないかもしれませんが、それでもいくらかの老化防止の効果は期待できるはずです。

「歩歩是道場」という禅語があります。

行く處皆これ悟りの眞只中。
立つも坐るも悟りならざるはない

柴山全慶編『禅林句集』

ここまで厳しいものでなくても良いのですが、便利さに慣れすぎている私たちは、「歩く」ことの意義をもっと大切にするべきなのかもしれません。

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