外交的センスを磨くためには 【『左伝』に学ぶ】
これは漢字学の泰斗・白川静さんの主張です。
白川さんは、古代漢字研究の第一人者であり、『字統』『字訓』『字通』という字書三部作の刊行という偉業を成し遂げ、学問の世界で大きな功績を残した方です。
そんな白川さんの主張は、日本の外交を考える上で、大変に重要なものと言えるでしょう。
外国の要人たちと交渉するために、日本人同士が英語を駆使してディベートをするなどしてトレーニングしたところで、解決できる問題ではありません。
これは小手先の技術の問題ではなく、「人間の底力」「精神の核」という根底から練り上げたものがあるのかという問題です。
肚の底から湧き上がる「胆力」と言えば分かりやすいでしょうか。
武士道で言うところの「人としての威厳」「風格」というものも、それに該当するでしょう。
それ則ち、会った瞬間、どれだけ交渉相手を圧倒しているかということに置き換えることができる力関係を表現したものです。
日本の外交の場面で交渉相手となる欧米の外交エリートたちは、これをギリシャやローマの古典を学ぶことで鍛え上げています。
彼らは10代のうちからラテン語で、キケロやタキトゥス、カエサルと言った優れた雄弁家たちの政治外交術を学んでいます。
これに対抗しなければいけない日本人が学ぶべき文化的伝統と言えば、漢学しかないでしょう。
今回ご紹介している本の中で、白川さんと対談している渡部昇一さんも次のように述べています。
明治時代の外交官に竹添井井という人がいました。
彼の父親は、熊本藩の医者をしていましたが、儒学者である広瀬淡窓門下十八傑の一人と言われるほど漢学に長けた人で、竹添井井も幼い時から儒学を教え込まれていたそうです。
彼自身も、15歳の時、儒学者木下韡村の門下生となり、その門下では、井上毅、木村弦雄と並び三才子と称されていた教養人でした。
江戸で勝海舟との知遇を得て、後に勝海舟からの紹介で森有礼全権公使に随行し、清国へ渡っています。
清国の公使を退官した後、東京帝国大学で漢文学の教授に就任しました。
特に『左伝』については、自ら註をつけることができる実力の持ち主でした。
竹添が著した『春秋左氏伝』の注釈書は、大正時代に冨山房から『左氏会箋』として出版されています。
これは名著の誉れ高く、中国の学者たちが逆輸入して読んでいる非常にレベルの高いものです。
このように竹添氏のような優れた漢学者であり、『左伝』をマスターしていた人物が、外交の最前線にいたことは、日本にとって、非常に幸運なことだったと言えるでしょう。
『春秋左氏伝』を読むとよくわかるのですが、後に「春秋時代」と呼ばれるようになる中国古代の240年間は、これでもかと言うほど権謀術数が巡らされていた時代です。
昨日の味方は今日の敵、今日の敵は明日の味方というように、「同盟を結ぶ」「同盟を裏切って戦争を起こす」ということが繰り返し行われていました。
特に子産という名宰相がいた国=鄭は、北の大国=晋と、南の大国=楚にはさまれていたことから、常に滅亡の危機にさらされていました。
弱国=鄭は、晋と同盟を結んでいても、楚に攻め込まれると、晋を裏切って楚と同盟を結ぶということを繰り返しながら、国を存続させていました。
大国である晋や楚に軍事力では対抗できないため、外交術で生き残るしか手段が無かったからです。
このような鄭のやり方を見て、信義に欠けるといった道徳的な観点から考えていたら、状況を見誤る可能性が高いです。
なぜなら、通り一遍の正義感などが通用しないような「生きるか死ぬか」というギリギリのところで外交が行われていたからです。
少しでも判断を誤れば、国は滅亡していたでしょう。
白川静さんは、現代日本の外交状態について、次のように指摘しています。
外交官になるのであれば、英会話のスキルアップも重要かもしれません。
しかし、それだけに留まらず、日本の「文化的魂」と言うべき漢学、中でも『左伝』をマスターすることは必須ではないでしょうか。
日本の古典や漢学を学ぶことで、「魂の力」「胆力」を練り上げ、どのような外交の場面でも戦うことができるような人物が次々と輩出されることを心から願ってやみません。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?