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学問の「私立」 【小林秀雄「福澤諭吉」(文藝春秋・昭和37年6月)】 

福澤の「学問のすすめ」は、洋学のすすめではなく、学問の「私立」を説いたのだ。
(中略)
「私立」とは、「学者は学者にてわたくしに事を行ふ可き」である。

小林秀雄の「福澤諭吉」(文藝春秋・昭和37年6月)

小林秀雄が言っている「学者」とは、専門家ではありません。「学ぶ者すべて」のことを言っています。

「私立」の本義とは、「君自身の内的な経験そのもの」であり、それが福澤の目指した「啓蒙」だ。
(中略)
福澤全集の緒言に、彼の自作の率直な解説を読む者は、西洋文物の一般的解説が、いかに個人的な実際経験に触発されて書かれたかを見て驚くであろう。彼の文は、到るところで、現すまいとした自己を現している。

小林秀雄の「福澤諭吉」(文藝春秋・昭和37年6月)

その一方で、「福澤が常に天下国家の事を案じていた」ことは否定できません。
小林秀雄は、「痩我慢やせがまんの説」という福澤の著作から、「立国はわたくしなり、おおやけに非ざるなり。」という冒頭の文を引用しています。

物事を考え詰めて行けば、福澤に言わせれば「哲学流」に考えれば、一地方、一国のうちで身を立てるのが私情から発する如く、世界各国の立国も、各国民の私情に出ている事は自明な筈である。これは「自然の公道」ではなく、人生開闢かいびゃく以来の実状である。

小林秀雄の「福澤諭吉」(文藝春秋・昭和37年6月)

ここで言っている「私情」は、「エゴイズム」や「利己主義」の事ではありません。
小林は、国家の建立というものは、政治的イデオロギーやコンセプトからではなく、人の感情や想いから始まっていることを言っているのです。
アメリカ建国の例をみても、ピルグリム・ファーザーズらが、ボストンの新天地におりて、そのような「私情」に燃えたことから、国家の建立が始まっているという事実を言いたいのでしょう。
それは、次に続く一文からもわかります。

この物事の実をず確めて置かないから忠君愛国などという美名に惑わされるのである。たかが国民の私情に過ぎぬものを、国民最上の美徳と称するのは不思議である。
世人は、物を考え詰めるのを嫌がるから、『哲学の私情は立国の公道』であるというこの不思議な実社会の実状が見えない。

小林秀雄の「福澤諭吉」(文藝春秋・昭和37年6月)

「忠君愛国」という美名美徳は、現代で言えば、「民主主義」「国民主権」「人権」といった、政治的イデオロギーやコンセプトにあたるのかもしれません。
人は「民主的」であるというだけで、何でも許されると思いがちです。
耳障りの良い美辞麗句が繰り返されると、それが例え実体が無いものであっても、何か良いことが実現されるかのように勘違いして、暴走してしまうのです。
深く考えることもなく、言葉だけが先行し、スローガン化していくのは、今も昔も、変わりが無いような気がします。

福澤は、「天下の公道」が「個人の私情」に必ずしも利することにならないことを見抜いていました。
それは、太平洋戦争当時の人々の様子を見てもわかるでしょう。
「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」というスローガンばかりが先走り、国民の私的な感情は圧殺されていました。私的生活の豊かさが犠牲となっていたのです。

私学の建学精神は、個人の「私的な感情」が原点にあると思います。
それは、誰もがわかるような「公的な美名」ではなかったはずです。
むしろ、誰もが納得できる分かりやすい言葉ほど危険なものはないと考えていたかもしれません。
それは「天下の公道」という名の下に、政治的なプロパガンダとして悪用される危険があるからです。

「ペンは剣よりも強し」とうい建学精神は、「私立」の精神として、福澤の「私情」から生まれたものなのかもしれません。

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