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「活力こそ社会を幸福にする」 【J・S・ミル『自由論』】

個人の自由というものは、意見表明の自由だけでなく、行動の自由と多様性を要件とする。

J・S・ミル著「自由論」関口正司訳・岩波文庫

これは、J・S・ミルの『自由論』の第三章に記されている主張です。
「個性の自由な発展」が、「人間の幸福」に関する重要な要素の一つであることに、異論をはさむ人はいないでしょう。
ところが、伝統や習慣というものが、個人がもつ「個性の自由な発展」を妨害することがよくあることです。
その時に問題となるのは、「個人の欲求や衝動」が、「他人の幸福や利益の妨げとならないか」ということでしょう。
自分の感情に素直で衝動的な人は、社会全体からみると、秩序を乱す人というレッテルを貼られることが多いかもしれません。
衝動的な人は、とかく自制心が欠如していて、他人に害を及ぼすことが多いと思われることが多いからです。
ところが、ミルは、衝動について、次のように述べています。

強い衝動は強い良心と結びついている。
人々が悪行に走るのは、欲求が強いからではなく、良心が弱いからである。

J・S・ミル著「自由論」関口正司訳・岩波文庫P.134

現実問題として、社会から犯罪が無くなるということは非常に難しいことでしょう。衝動的な動機による犯罪が、毎日のように起きているという事実があるからです。
そのような現実を目の当たりにしてしまうと、犯罪を起こしてしまった人たちに、良心はあるのだろうかという疑問を抱いてしまうのは仕方ないのかもしれません。

ところが、J・S・ミルによれば、「強い衝動が危険になるのは『適正なバランス』を欠いているからだ」ということになります。
決して、良心がない訳ではないのです。
ミルは、「社会のモラル」というものを全面的に否定している訳ではありません。また「良心」も否定していません。
むしろ、良心の表れである「自己抑制」というものを厳格に要求しています。

強い衝動とは、まさに活力の別名である。
怠惰で無感情な性格の人に比べて、より多くの善行が、活力に満ちた性格の人によってなされるだろう。
個人の衝動を生き生きとした強力なものにするのと同じ感受性が、美徳に対する最も情熱的な愛と最も厳格な自己抑制をもたらす源泉になるのである。

J・S・ミル著「自由論」関口正司訳・岩波文庫P.134~135

若い頃、粗暴な振る舞いなどで周囲の人や社会に迷惑をかけていた人が、いつしか見違えるように立派な社会人となって、大活躍をしているという例は、いくらでもあげることができます。
彼らは、若い頃、そのエネルギーを持て余し、「どうしてよいのか」わからなかったのでしょう。
自分に適した道を見つけることで、自らの中に漲るエネルギーや情熱を、思い切り傾けて取り組んでいるわけですから、社会で成功するのも当然のことなのかもしれません。

ミルの思想には、このように「深い人間愛」と「人がもつ良心に対する信頼」に基づく『性善説』が根幹にあります。
「活力とエネルギーに満ちた人間の方が、社会の役に立つ」というのは、「功利主義」の考え方です。
「活力に満ちた人間の方が、怠惰で無感情な人よりもよっぽど社会に役に立ち、多くの人を幸福にする」という思想だからです。
しかし、そこでは、「個人の行動の自由の保障」「個性の尊重」「人間の尊厳」「人の本姓のもつ良心への限りない信頼」が前提としてあります。
これこそ「信ずるものは救われる」という言葉の中身と言えるでしょう。

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