見出し画像

涙がでるほどの御飯だったろうか

”ごん母”がこの家で夏を送ったのは14回目。ごんが4歳の秋に家族3人でこの家に引っ越して来た。

この家は5DKだった。部屋が多いのは、夫婦が里親を志していたからいずれ必要になるだろうと思ってのことだった。
駅が近かったから、進学塾に勤めていて夜遅く帰ってくる”ごん父”に便利がいいと決めたのだった。

台所のシンク奥は緑のタイル張りで少し暗かったから、住んで半年ほど後に、台所と繋がっている応接間の壁を取り払って壁もキッチンセットも白くリフォームした。

壁の珪藻土は家族で変わりばんこに塗っていった。でこぼこなのも、手を真っ白にしてしまうのも、笑いながらみんなでするから遊びになり、自分たちで家の修繕をしたと思うと、達成感に喜び合って何をしても面白かった。

台所がきれいになると、料理が楽しくなり、ごん母はごんの幼稚園のお弁当づくりも、夫の会社弁当作りも毎日励んで作った。
以前から何かと手作りするのが好きだったので、下手ながらも料理をする時間が増えて健康にいいもの、などと拘って作っていた。

ごん父はなんでも有難がって食べてくれたからよかったが、ごんは成長するにつれ、好き嫌いが出るようになった。
母が作った食事を食べるより、インスタント食品を好むようになった。
弁当のおかずが地味だと言って文句を言い、作った夕飯も食べなくなっていった。

作ったものが食べてもらえないのは、とてもつらい。
ごん母というのは、物事のいろいろな様を擬人化してしまう感受性があるので、食べてもらえない食材が泣いているように感じてしまっていた。
もったいない、という物事をムダにできない、したくない、というケチなところもあったかもしれない。それに、時間と手間をかけて作ったのに、という労力を軽んじられたことに対する怒りもあっただろう。
だから、一口食べて残されるならまだしも、
一瞥しただけで、口にもしてもらえないことが増えていくのがつらかった。

文句を言わずに食べろ、というのがしつけの王道だろうか。
しかし、ごん母は、自分が満腹でも人から「少し残っているのを片付けて」とか、「あなたのために作ったのでどうぞ」と言われて断ることができないで食べて身体を壊しても来たので、ごんが自分の身体の要求に正直になれるというのを尊重したい気持ちがあったのは本当だ。

「身体は、ごみ箱じゃない」
結婚して、夫の母に言われて、初めて食べる量を自分で量っていいのだと知った。これを知っていれば自分の身体と仲良くなれると思い、子供にもそれを教えたかったからだ。


洋食の王様  ハンバーグ!


しかし、味付けの薄い野菜料理が多い夫婦に対して、カレーやラーメン、ハンバーグやとんかつ好きなごん。
ごんが食べてくれるなら、と洋食を作るものの、ごん母が食べたい料理は「どうせ私が作っても食べてくれない」とみじめな悲しい気持ちになってしまい、だんだん料理がおっくうになってしまった。
そして、自分の食べたいものを作ることができずに、スーパーの値引き惣菜を買ってくる、ということが日常になって行ってしまった。


何年も、何年も・・・


だから、ごん母は本当に忘れていた。
自分が食べたいものを作って、食べる、こと。
冷蔵庫にあるものを適当にアレンジして、味付けしてこしらえること。

ちょっとした工夫。
トマトに青紫蘇の千切りを散らしただけ、とか
茄子と豚肉、炒めて煮て出来上がり、とか
エノキを湯がいて梅干の果肉で和える、とか
チョー簡単なおかずで幸せだったということ。

心の底で、心の隅で、気持ちの余白の部分にまで入り込んでいた罪悪感なのか、自己憐憫なのか、よくわからない何かが、味わうことを撥ねつけていた。何度も食事を楽しもうとしたのに、家では全く楽しめなかったのだ。
食事はすべて餌になってしまった。
自分が自分に与えるのに栄養の事しか考えてない、ただの食餌…

ごんが家を出て行ってしまった、この夏、夫が家に帰ってきた。
昔、離婚寸前まで仲が拗れ、家を出て行ってしまった夫。

ごん母は夫とたくさん話をし、散歩にでかけ、外でも食事をしたが、家に居るときには以前のように料理をした。
自分の食べたい料理。
夫がリクエストしてくれた、酢飯が食べたいに対してのちらし寿司。

ごん母は、夫と一緒に食べていて、涙がこぼれた。
ただただ、一緒に食べてくれて、作ってくれてありがとうと言ってくれる人がいてくれて、それが嬉しかった。

そして、自分が今まで、希望に満ちて住み始めた家で、徐々に徐々に力を失って、自分から食べることの喜びを放棄していたという事実に気づいた。

決してご馳走というほど豪華ではない、家にあるものでささっと作った料理だった。何よりも、どんな高価なお料理よりも美味しい。食べていて嬉しい。自分で作っていながら涙が出るほど心が揺さぶられた。
一体今まで何をしてきたのだろう…


家族が暮らしていく中で様々なことが起き、その中で、何とか親としての役目を果たそうと、社会の期待に応えようともがいていたことは覚えているが、自分に対してはどういう扱いをしてきたのだろうか。


このご飯、特別に涙が出るほどの御飯だったのだろうか。
誰でも作れるような、ちらし寿司
しかも、人が作ってくれたわけでもない、自作もの。


でもね…

ごん母は、ようやく自分が自分に振り分ける時間を手にして、ここから一つ一つ作り直すつもりだ。
一度見失った自分を取り戻してみたいと思っている。
当たり前にあるようでも、とても大事な好きなもの。
一時的な出会いでも、丁寧につきあうべきもの。

ごんは出て行ってしまったけれど、出ていくことができるけれど、
自分は自分から出ていくことはできないのだから、
もういちど、ゆっくり自分を見直そう、と、ごん母は思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?