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祝福する「congratulate」〜18年来の友人の結婚式に参加しやした〜

昨日、友人の結婚式のため、久々に大阪へ行ってきた。

その友人との出会いは2006年、18歳だ。
その時の自分を思い出す。

高校を卒業して、田舎から都会へやってきた若かりし自分。初めての場所で、初めての人たちに囲まれ、初めての一人暮らし。全てが初めてなんだという事実が、まだまだ子供だという事実を自分に突きつける。

焦って必死に背伸びをしていたと、振り返りながらつくづく思う。その背伸びのせいで、旅立つ僕に親が決死の想いで渡してくれた軍資金を、僕は一瞬にして使い果たしてしまった。

ないものねだり。
周りの人たちがことごとく自分よりも優れているように見えた。見様見真似で、おしゃれな服を買い、彼女を作ろうと女の子に声をかけたり、留学してみたり。でも、そこには「本当」がなかったから、全てが中途半端。服は着させられているようにサイズが合ってなく、女の子には恋愛対象と見られず、留学もたったの一ヶ月。

それでもあの時の自分は、もがいてもがいて必死に何かを探していた。その必死さだけで生きていた気がする。それが若さなのか。必死にもがいて動いていないと、自分が消えてしまうような感覚。薄くてぼんやりしてて、実体がないような自分。

そんな自分を18歳から見てきてくれた友人が結婚した。

人生で一番付き合いの長い友人かもしれない。今自分は東京にいて、彼も一時期東京にいた。偶然、最寄り駅が同じだったこともあり、社会人になっても学生時代と変わらず頻繁に会った。

東京にいる友人という友人は彼だけだった。会うたびに、日々蓄積していた社会への愚痴や未だに抱いて離すことができない夢などを語り、酒を飲み、歌った。

今、36歳。
18年も経った。

18年も経ったのに、自分が相変わらず何かを探して必死にもがき続けていることに気付き、思わず笑ってしまった。そしてその変わらなさに少し落ち込んでもいる。

その友人は2012年に就職したのだが(僕らは、これも偶然だが、お互い大学院に進学した)、つい3年ほど前(2020年くらい)に、2012年当時に第一志望していた会社に見事転職を果たした。
彼はどちらかというと、人の話を聞くタイプだった。だから僕といるとだいたいが僕が一方的に話す。彼は聞くのが上手いから、僕は永遠と語ることができた。ものすごくありがたかった。彼は一年浪人していたから僕のひとつ上なのだが、それを意識させない寛容さが彼にはあった。それでも今思い返してみると、兄貴的な存在でもあったのかもしれない。

僕は彼の核心的な部分を何も知らない。彼が本当のところ何を考えているのか。嫌味や愚痴をほとんど言わない。いや、聞いた記憶がない。人生の苦しさを吐き出すところを見たこともない。

そんな彼だから、彼が第一志望の会社に転職したことは、心の底から尊敬できた。素直にかっこいいと思った。

それがある種の答えでもあった。彼も彼で、彼なりにずっともがいていたのだ。もがいてもがいて、彼はそれを掴み取ったのだ。僕はまだ何も掴み取れていない。でも、昔みたいに焦りのようなものが、なくなったとまではいかないが、薄くなった、気がする。

彼は掴み取った。けれど、それが人生のゴールで、もうおしまいということではない。明日は続くのだ。だったらまた何かを探して彼なりにもがいているのだろう。きっとそうだろう。

そして彼は大事な人を見つけて結婚した。
それでもまだまだ続くのだ。人生をもがくのだ。

だからだ。

何かを探して必死にもがくことを僕は受け入れることができた。それが自分なのだ。不器用だから遠回りをする。他人の道が近道に見えて真似してみるが上手くいかない。また遠回りをする。気づいたら自分が今どこにいるかわからなくなったりする。それでもいい。それでもいいから、とにかくもがくのだ。どこへ行っても、それが、前だ。それが自分の道なのだ(アントニオ猪木みたいになった)。

品川から新幹線に乗って、大阪へ向かう。11時からだから、ものすごく早起きだった。5時起き。だから昨日はなるべく早く寝ようと思っていたが、ふとひらめきが発生してしまったので作業を開始。終わったら24時を過ぎていた。

僕はこれまで参加した結婚式では、兄の結婚式を除くと(僕には2つ上の兄がいる)、全て余興をした。しかし歳も歳だから落ち着いた式をやろうぜ、ということなのか、友人からは余興の依頼はなかった。

もう10年近く誰かの結婚式に参加していなかったので、正直、もし依頼されたらどうしようとは思っていたが、依頼されなかったらされなかったで寂しかった(やっぱり、彼との関係の中で僕は弟のようだ)。
でも、まぁ、今回は静かに温かく彼らの門出を見送ろうと思っていた。

しかし、昨日の夕方くらいに、あっ!とひらめいてしまったのだ。そこからは時間を忘れて熱中。手紙を書き、歌を収録し、動画を編集し、QRコードを作成し、モンスターボールでそれらを包んだ(詳細は謎のままに。くだらないものを作って彼らだけに贈ります)。

そのモンスターボールを携えて大阪へ向かう。
今、実家のある滋賀県を通っている。もうすぐだ。親は最近よくラインを送ってくる。「元気か?」と。元気だ、以外の答えがないじゃないかと僕は思う、息子なのだから(心配をかけたくないのが子供。それでも心配してくれるのが親)。

他の友人たちとも会うのはものすごく久々だ。ドキドキとワクワクがどんどん大きくなっている。
少しでも大人っぽく、スマートに、かっこよく振る舞おうという自意識がやってくる。

「まぁ、それはそれでいいかもしらんけど、柄に合わんことはせんでええで」

と、もう一人の僕が言う。

格好だけは、結婚式に見合うように、シルバーのネクタイをしめてベストを装着、ダークグレイのスーツを羽織った。スマートさはそれだけでいい。

後は、ただただ祝福だ。
祝福する。congratulateだ。

大阪に着いた。

さて。

それでも、やっぱり、ちょっとスマートに歩こうとする自分がいる。

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