#5 父が定年退職しました。
父が今日、定年退職しました。
数日前におかんからラインが来て、46年働いたお父さんが29日に定年退職します。サプライズがしたいので、労いのメッセージを送ってあげてくださいと。
46年かぁ。と思ったが、正直ピンと来なかった。
すごいっちゃあすごい。もちろんすごい。20代から父は働き始めて、おかんと出会い、僕たち3兄弟(僕は次男です)が順番に生まれて、みんな実家を巣立って、成人して、兄貴は結婚して孫が誕生するまでに至った今。
その長い年月を父は働き続けた。
でもピンと来なかった。それはたぶんだけど、父の人生だからだと、この数日でふと思った。
あくまで僕は僕の目線で父を見ていただけだ。父がどういう人生を歩んできたかは知らない。
思い返すと浮かんでくるのは、僕が幼い時、父が働く会社の実業団バレーの試合を見に行ったこと。試合のことは全く覚えていない。覚えてるのは会場で弁当を食べたこと。クジラの肉が入っていたこと。人生初めてのクジラで、それまではクジラが食べ物だと思っていなかったので、そのことが衝撃だったけど、みんな当たり前のように食べていたこと。味が、ツナをぎゅっと押し固めたような、甘辛い味で、どこにでもあるようなものだったから特に味では衝撃も感動もなかったこと。ただただそのクジラがサイコロみたいだなと思ったこと。
次に頭をよぎってきたのは、帰ってきた父が怒り奮闘だったこと。会社で腹立つことがあったらしい。その怒りが家に帰ってからもおそらく同じ熱量だったこと。餃子の王将で自棄食いして気持ち悪いくらい食べたということを話していたこと。僕たちが1日では食べ切れないくらい餃子のおみやげを買ってきてくれたこと。食後の僕らでもヨダレが溢れてくるくらい美味しいニンニクの匂いがリビングと父から放たれていたこと。あきれた表情をしつつも、そこに温かさがあったおかんの顔。
そういえば父は怒り奮闘した帰り、もしくはパチンコで勝った時に、僕らにおみやげを買ってきてくれた。父が帰ってきて、みんなでおかえりーと言うと、父がパンパンのビニール袋を両手にぶらさげてリビングに入ってくる。僕らは台所のテーブルの上に中身をひっくり返す。次の日の朝ご飯や昼ご飯をその中からみんなで選ぶ。ワクワクしたこと。みんな目がキラキラだったこと。自慢げな父の顔。その部屋の雰囲気が好きだったこと。
僕は高校からほとんど家にいなくなった。
というのは、同じ県内の学校だったけど、片道1時間半くらいの通学になり部活もしていたからだ。毎日朝ご飯と夜ご飯を食べ、寝るだけの家になった。
その頃から家族の記憶がより薄くなっていった。
おはよう、おやすみ、いってきます、ただいまだけが繰り返されるような毎日になっていった。
大学に進学するタイミングで実家を出て一人暮らしが始まった。家族を見ない毎日が続いた。卒業しても実家を離れたまま今に至る。大人になっていったのだ、僕も。未だに大人だと胸を張れない自分はさておき、大人になっていったのだ。
家族よりも広い社会で生きていくようになったのだ。だから家族が薄く見えていったのだろうと思う。
生まれた時からあるものだから、もうずっと存在しているものだから、当たり前でしかなかったのだ。
でも、こうするとすごく、なんと言えばいいか、父の偉大さを感じられる気がする。
僕自身の人生を通して、父を見てみるのだ。
僕は独身だ。自分自身で生きていくのに精一杯なくらい。毎日朝起きて働きに行って、ご飯を食べ、寝る。腹が立っても、体が調子悪くても、泣きたいくらいしんどいことがあっても、絶望するような気持ちになっていても、働かなきゃ家賃払えないしご飯を食べれないし風呂にも入れない。
わからないけど、わかるのは、自分もそうであるように、父にも色んなことが、ほんとに色んなことがあったのだ。
それでも僕が知ってる父は淡々と毎日働きに行っていた。働きに行きたくないという素振りを一切僕に見せなかった。ただ淡々と毎日会社に向かっていた。僕はその背中を覚えている。その、幼い頃から覚えている背中が、46年間ずっと今日まで続いていたのだ。
そう思うと、ピンとこなかったはずの「すごい」が、心の底からの「すごい」になっていた。
46年間、ほんとうにお疲れ様でした。
改めて、自分は父の人生のおかげで生きているんだと実感した日になりました。
・・・とは、あまりにも長すぎるし、恥ずかしさもあるので、さっき送った父へのラインにはあっさり労いのお言葉を送った僕でした。
それはそれで、今これを書きながらまたまた思い出したことがある。
小学生の頃、冬になると父はよく有給を取ってスキーをしに出かけていた。父はスキーが好きだった。そして父はよく「学校休め、スキーに行こう!」と僕たちを誘った。変にまじめな僕はおそらく1回も父の誘いに乗らなかった気がする。
馬鹿だなぁ。全部行けばよかったのに。
と、今は思う。
まぁ僕は僕で、自分の人生に精一杯だったのだけれども。それでも、あぁ馬鹿だなぁと、自分に思った。
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