長生き、短命/祖母、親の死について

今週の勉強

個人情報、情報通信1周しました。(大原トレーニング行政書士2022)。
憲法も間違えたところを復習。

長生きと短命

最近、祖母が亡くなりました。90代後半で大往生ではありましたが、老人ホームに10年以上いて、認知症もあり、本人の思うように暮らせているとは見えませんでした。

それに対して、父親は10年以上前にがんで亡くなっているのですが、認知症もなく、最後の数か月前まではトイレにも行ってある程度、自分のやりたい(酒、たばこも医師からは禁止されていたがやっていた)もやっていました。

どちらがいいか、自分で選択はできないのは重々承知ですが、脳梗塞(身体的自由)、認知症(精神的自由)の期間が長いのはつらい。本人も、周りの人もなかなかつらい。

子育てと介護

子育ても大変な期間が長いと思うが、子育ての場合は子供が徐々に成長していく。今できないことが来年、もっと先にはできていることが多い。また成長曲線も個人差は当然有るけど、何歳になったらこれくらいのことはできると見通しが立つ。

介護の場合、今でも大変なのに来年、再来年にはできないことがさらに増え、さらに大変になっていく。この期間が何年続くのか、またできなくなる部分も人によって全然違う。先が見えないのは、なかなかつらい。

介護の長期化

医学の進歩のおかげか、介護の期間が長期化しているのも感じる。健康寿命を延ばそうと国はいうけど、健康寿命が延びると、そのあとの介護の必要な期間がさらに伸びるように感じる。

幸せとは

「介護をしてもらう人生も幸せ」と思えればいいのだが、長年、介護の仕事をしてきてなかなか思えない。時々幸せなことも見えるが、圧倒的に大変な時間が長い。介護受ける人も、介護する人も「人間として成長するための修行をしている」くらいに思えればプラス思考になれる。これは俗人にはなかなか難しい。

短命な人生は=不幸、長生き=幸せ、というのが多くの人が思っていると感じるが、短命でもそれなりに幸せではないかと思う今日この頃

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