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僕が頼まれた”男の一生のお願い”は、遠く離れた娘さんへの伝言だった・・・

「先生、俺はもう死ぬのか?」

私の目をしっかり見つめてい言ったその言葉に、嘘をつけなかった。

僕はゆっくりと頷いた。

彼は一瞬目を瞑ってから僕にゆっくりとこう言った。

「それなら、先生に一つお願いがある。

病気を治してくれとは言わない。

でも、もう死ぬのだったら俺の娘に連絡してほしい」


20年以上前のあの時のことは、目を瞑ると昨日のように思い出す。


60代の彼は独り者として入院していた。

面会者は誰も来なかった。

兄弟とも死に別れたと言っていた。

ガンの末期にもかかわらず、自分の下着をコンビニの袋に詰めて、週に一回外出して自分で洗いに行っていた。

天涯孤独なのかな・・?

弱々しく歩く男の後ろ姿に、僕は哀れを感じていた。


でも、

彼には実は家族がいたのだ!

彼はクシャクシャの紙に、鉛筆で殴り書きした電話番号を僕に渡した。

「娘にオレが死ぬことを先生から直接伝えてほしい。娘の名前は百合子。これを妻に言うと拒否されるから、娘に直接に言ってほしいんだ。看護師さんからでは無く、先生から・・お願いだ」

彼の目は真剣だった。

これがまさに

”男の一生のお願い“なんだなと、まだ若く独身だった俺は思った。

そして、なにか湧き上がるものを感じたのだった。


どんな過去があったか知らないけれど、やはり血を分けた娘のことは忘れられないんだな。

男ってそういうものなのか・・

独身の僕にはなぜかそれが新鮮だった。

父と娘・・・その時は全く知らない世界だったから・・。

医者として病気を治せないけど、何か彼の役に立ちたいと思った。


彼の家族のいる場所は遠く離れた九州だった。

電話が不得意でいつも看護師任せだった僕は、

受話器の中の呼び出しのベルを緊張感を持って聞いていた。

電話に女性が出た。

彼の妻だ。

「その人とはもう関係ありません。その人のことでは二度と連絡しないでください。ただ迷惑なだけです。」

驚くほど冷たい言い方で彼の妻は僕に言った。


でも、想定内だった。


僕は、彼の命はあと1ヶ月未満と思われること、そして娘さんに会いたがっていることを伝えた。

「その人は、そうやって自分の都合の良い時だけ私たちを利用してきたんです。もう懲り懲りです。迷惑です。電話を切ります」

奥さんの声は氷の様に冷たかった。


私は、慌てて静止した。

彼と血縁のあるのは奥様ではなく娘さんなので、血縁者に直接話させてもらうように頼んだのだ。

奥さんは渋々電話をおいた。

結構長い間待たされたのちに、20台と思われる若い女性が電話口に出た。


百合子さんですか?

「そうです」

しっかりした聡明そうな方だった

百合子さんのお父さんは、ガンで1ヶ月の命も無いこと。そして、死ぬ前にあなたに会いたがっていることを誠意を持って伝えた。


僕は彼女が都合をつけてくれると信じていた。

血を分けた親子なのだから・・・夫婦とは違うはずだ。

せめて電話で話してほしい!

そんな僕に、受話器の中で彼女は言った

「先生、その人を私は父だと思っていません。その人は、そうやって自分のためなら誰でも騙したり利用する人なんです。私たちはその人のためにとても辛い思いをしてきました。先生も利用されているだけです。そうやって平気で他人も騙す人なのです。
申し訳ありませんが、関係は絶っています。もう電話はしないでください。死んでも連絡はいりません。」

私の思い描いていたストーリーは、いとも簡単に壊れ去ってしまった。


翌日、この話を僕は彼に伝えた。

適当な嘘をつくことは簡単だったが、私は悩んだ上で真実を伝えた。

それが私が彼にしてあげられる精一杯のことだと思ったから・・。

彼は目をつぶって聞いていた。

「俺が悪いんだよ。わかっている」と眼を開けずに言った。

「娘さんに伝えたいことがあったのですか?」と聞くと

ただうなずいていた。


それ以来、彼はほとんど話をしなくなった。

そして翌週、彼は誰にも見守られずに息を引き取った。

死は私が思っていたより早くやってきた。

ご遺体は役場が処置をし、看護師がかけた家族への電話は二度とつながらなかった。


涙を流す人も見送る人も誰もいない死だった。

私はなんとも言えない思いだった。

死を迎える最後の瞬間に、家族の人生が凝集しているように思えた。

そして人生の怖さを感じた。


何がこの家族をここまで追いやったのか、私が知る術もない。

女性問題だという噂だったが、詳細は不明だ。

あれから20年以上たった今も昨日のことの様に目に浮かぶ。


いま、僕も彼の歳に近づきつつあって、娘がいる。

彼の辛さが、今わかる気がする。

たとえ何があっても、誰が悪くても、

彼の娘への思いはきっと残っていたと確信できるのだ。

それは自分が子供を持つ身になって初めてわかる直感だ。


しかし、それを受け入れてくれる家族を彼は失っていた。

せめて、娘さんから最後にお”父さん”と言う言葉を聞きたかったに違いない。


病院の冷たいベッドの中で

彼の頭の中は娘さんが生まれた時からのことが走馬灯のように巡り、

そのきっと美しい記憶と共に旅立って行った。

そう思いたいものだ。

彼の命日が近づいてくる秋に、僕はこの事を毎年思い出す。


娘に会いたいと言った彼の言葉はわがままな暴言だったのだろうか・・

それとも人として許されることなのだろうか・・

僕は彼の心を救う嘘を言ったほうが良かったのだろうか・・・


今でも正解はわからない。

いや、子供を持った今だから、さらにわからなくなっている気がするのです。

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