定期的におとずれるTwitter疲れる期

普段主に使用してるSNSはLINE、Twitter、Instagram。
趣味が多いのでメインで使用するアカウントの他にTwitterには音楽用の、Instagramには読書用の趣味アカウントをそれぞれ所有している。

今回はその中でもTwitterの話。
自分も投稿するけどTwitterに関しては特に好きなアーティストの情報を見るためってのが大きい。ライブの情報得たりアーティスト同士のやりとりや近況を見たりするのが楽しい。
あとは、時々趣味の合うフォロワーさんとやりとりしたりくらい。

今回は、サマソニの一件(詳細は割愛)があってTwitter上でずっと賛否両論やそれに対する意見がずっと溢れかえってて、一夜明けた月曜日もTwitterの内容は同じようなものばかり…
サマソニと同日に私は行きたかったけど行けなかったフェスがあり、その情報を見たくてTwitter開きたかったのに嫌でも目に入ってくるたくさんの意見に生気を吸い取られたような感覚があった…

Twitter見たいのに見たくないジレンマもありめちゃくちゃ疲弊してしまった…

この感覚は安倍元総理が撃たれた事件の時も同じで、Twitter見ないように心がけててもLINEニュースやInstagram、ネットニュースどこにでも情報が見えるようになってて、この世の中で過ごしていると情報を遮断することは不可能なのかもなと思って怖くなった。

飲み会でも会社にいても人の悪口や不幸話怒鳴る声みたいなマイナスな言葉を浴びてしまう環境に身を置くことが本当に苦手で、その度に自分のことを言われてなくても耳を塞ぎたくなるタイプだと自覚している。
あと陰謀論とかも苦手。例えば少し前によく聞いていた、コロナワクチンに関する陰謀論とかも結構キツかった…信じる信じないとかじゃなくて、打たないことを選んだ人が打ったことを選んだ人に対して思う発言とかそれに対する反論とかを聞くのがしんどかったからだと思う。

世の中の動向を知るためにニュース見たり情報を得ることは大切だとは思うけど、今は触れたくないと思う情報も簡単に目に入ってしまう環境で生活していることが時々苦しくなる。

SNSやめればいいとかっていう考え方もあるかもだけど、各趣味アカウントで大切な情報や知りたかった情報を得られる喜びや楽しさというプラスの感情が得られる瞬間まで捨ててしまうことは、自分にとってもっと生きることに悪影響を及ぼす可能性気もしてて。
しかも仕事でパソコン使ってる時点であらゆる情報から離れることは不可能だと思う。

便利な夜中だけど、もっと自分が見て感じたものを大切にできる世の中で生きていきたい。

本来音楽は好きな曲を聴いて好きなアーティストのライブを見て楽しむことが醍醐味で、その音楽を聴いてどう感じたかも人それぞれなはず。歌詞が好きな人もいればメロディーが好きな人もいるだろうし。自分の好きな音楽を嫌いな人がいることなんて当たり前なはずだし、そんなにネット上でマイナスな発言を敢えてしなくてもいいのに……

正解がないものに無理やり一つの正解を求めているような雰囲気が怖い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?