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「演じる人」の神話

 小沢健二の歌を聴くと、身体が、愛そのものになってしまう。しかし、歌の中で彼が声をかけてくれていても、まったく僕らにそっぽを向いた彼まで同時に視えてくる。

 僕が中学3年生の頃。なんだか人と話してても、本当の自分(と思える自分)が見えてこなくて、新世紀エヴァンゲリオンなんか見て、目の前を流れる「憂鬱の画」に自分の鬱屈した思いを預けていたりした。まったくわけがわからないけど、自分のドロドロした想いが目の前に表象されていると思った。


 まわりの大人は僕に、「思春期特有」「僕/俺/私もそういう思いを抱えてたことあるけどいつか気にしなくなるよ」と慰めてくれた。しかし、僕は「その人たちにはこの思いを脱け出しきれるきっかけがあったんだな」と思い、真に受けなかった。僕は15年間しか生きてきていなかったし、今を生きる大人たちには訪れたきっかけが、確実に僕の下にも訪れると思えなかった。それに、僕をありきたりな言葉とフレーズで理解した気にならないでほしい、なんて思っていた。


 今は、人生案外、憂鬱の沼底からいつか浮力で浮き上がるようにできていると思ったりする。二週間ほとんど外に出ずとんでもなく寂しくなった翌日には、友達の家で友達と笑い転げていたりする。あんなに太陽の下に出たくないと思っていたのに、散歩したら良いお店を見つけたりもする。


 そして、自分という存在は、自分しかわからない部分と自分でも全くわからない部分があることも知った。それはまるで光の屈折のように、自分の思う自分と、他人の思う自分、自分にも他人にもわからないけど確かに存在する自分が混交して、あいまいに存在する、ただそれだけである、と思う。

 小沢健二と出会ったのも、中学3年生の頃だった。朝のワイドショーで司会者が、オザケンこと小沢健二をある冒険からの帰還者みたく歓迎したのを見た。それもそのはず、彼は19年ぶりにシングルを発表したのだった。司会者は、彼を、かつて渋谷系(渋谷のあるレコードショップ発祥と言われる1990年代の代表的JPOPジャンル)を賑わせた“王子様”で、今はアメリカで暮らしていることを紹介した。彼は「流動体について」という曲を歌った。外国から東京へと帰った者が、都市と言葉に思いを馳せるさまを歌った。僕は、僕の耳の中でごくごく小さかった感受性が大爆発したように思った。彼にすっかり、虜になった。


 学校帰りにTSUTAYAへ足を運び、彼のメジャーなアルバムなどを手に取って、借りた。『流動体について』と『LIFE』と『刹那』だったと思う。彼の甘い声、やわらかいメロディー、素敵なモチーフ、ずっと輝いたままでいる言葉に耽った。

「愛し愛されるのさ」で、互いを想い合うことの素敵さを知った。「今夜はブギー・バッグ」で、気怠さに憧れた。「僕らが旅に出る理由」で、過去とやさしく決別し、どこかでたしかに生きる人を想うことを知った。「痛快ウキウキ通り」のように、ダメ男でも軽やかに可愛く生きたいと強く思った。「流動体について」で、個人と都市と言葉について考えるきっかけを掴んだ。「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」で、岡崎京子と小沢健二の関係性に、僕と友達の関係を重ねた。

「ラブリー」は、ちょっと眩しすぎたかもしれない。

 とにかく、誰にも知られない時間を一人きりで過ごす素敵さを、彼の音楽から知った。インスタグラムのストーリーや投稿に載せることもなく、誰と共有するわけでもない。ただ、誰でも、一人旅に行くように、誰にも知られない時間を持つということ。好きなのは僕ただ一人だけ、と思えること。それでいて、「喜びを人と分かち合う!」ことの素敵さを知った。あいかわらず人にあんまり積極的になれない自分は嫌だったけど、人といることが好きになった。

 19歳の今になり、沖縄に来てから、小沢健二を聞いたりするのは関東にいた頃を引きずるようで少しためらいがあった。それに気候と音楽が合わない気もした。けど、沖縄に来てからまたけっこう聴くようになった気がする。ただ、前と違って「ある光」や『球体が奏でる音楽』など、彼がアメリカへ発つ直前や、90年代の活動後期のものを聴いている。はじめて夢中になった中学3年の頃から歳を経て、静かにメッセージを放つものが身体に響くようになった。すごくベタだけど、昔よりも富んだ思考と経験、憂鬱や後悔を重ねてきて、だんだん歌と自分の思いの重ね方も変わってきたようだ。いまだにオザケンは、僕の推しでい続けている。

 僕の小沢健二が好きで好きでたまらないところは「強烈なアンビバレントさ」にある。

 彼は、この世の中で生きる喜び、人と人が出会うときの強い感動、日常の中に隠れた密かな驚きをモチーフに、歌を多く作った。しかし、そういったある種の”光”の部分を聴くことで、光によって生じた影の部分も同時に聴いている心地がするのだ。その影の部分は、「ほんとは誰にもわかってもらえない」「こんな僕は本当の僕じゃないですよ」という孤独さである。これも小沢健二についてのベタな語られ方の一つではあるが、やっぱりそう感じる。特に「ある光」という歌では、彼の歩んできた時が輝かしく歌われ、だからこそ「この線路を降りたら/虹を掛けるような誰かが僕を待つのか」というフレーズが彼の中で強く問いを投げかけているように聞こえる。


 彼の話す言葉を読んだり聞いたりすると、ちらっとそういうものが強く現れることもある。

 司会者が「東大卒とか言われるでしょ?」と問うと、「どうでも良いんですけどね…」と吐き捨てるように言い、「モテる原因は?」と問うと、「スタンバイ、出てます」とするりと逃げようとする。誰かから、自分の肩書きや放つ言葉で評価されることを爽やかに、そしてわりと露骨に嫌がっているように見える。

 「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」では、当時小沢健二と仲の良かった岡崎京子という漫画家と思われる関係性が謳われている。岡崎京子は「リバーズ・エッジ」や「ヘルタースケルター」などの漫画を世に送り出した売れっ子だが、交通事故にあい、ご存命でリハビリ中ということ以外消息がわからない状態である。


 小沢は、「消費する僕と消費される僕」をからかう”君”との思い出を思い出す。彼の元カノは”君”が大嫌いだったが、その元カノも小沢の友人と結婚した。小沢は“君”から、「小沢くん、インタビューでは本当のこと何も言ってないじゃない」と言われたりしながらも、電話を通して友情を育んでいく。


 小沢は、自分と真正面から対峙してくれる“君”のような人にこそ、信用を感じていたのかもしれない。小沢健二の上澄みだけを楽しむ人ではなく。“オザケン”のことはよく知ってても小沢健二についてはよく知らない、それでいて小沢健二のことも理解し尽くしているように言う人でもなく。お互いの心で直接“歌”を響かせあえるような人を、欲していたのかもしれない。

 小沢は、世間から言われる評価を内面化しつつある自分が嫌だったのかもしれない。そして、本当のことを言えていない言葉こそ世間に歓迎され、小沢健二とオザケンの境界がどんどんあいまいになっていくことが。


 きっと “オザケン”は、小沢とその観客が作り出した強いフィクションだったのかもしれない。観客に「いつもありがとう!みんなのおかげで…」と笑いかけながらも、こんなの、誰かさんの振りかける好き勝手な好意から生まれたフィクションだ、と思っていたのかもしれない。

 こういったことも、渋谷系ブーム真っ只中の当時はまったく言われていなかったのかもしれないし、言われていたのかもしれない。僕は2000年代に生まれたし、しかも2017年からオザケンの歌を楽しみ始めた人間だから、当時の実感と絡めて書いたりはできない。

 他人について語るとき、僕はその人ではないから、かもしれないが、とばかり言ってしまう。いくら断言を重ねても、本当のその人には辿り着かないし、そんなものそもそも存在しないかもしれない。“想う”ことを通してでしか、他人について語ることはなかなかできない。

 ところで、演じることが上手い人は存在すると思う。もっと言うなら、相手の思う自分を提供することが上手い人。


 他人が「こうであって欲しい」と思っているイメージを的確に掴み、嫌であれなんであれそういう自分を見せることができる人を、僕は友達の中でも何人か知っている。多くの人がこういう方向に頑張ろうとすることがある、とは思う。しかし、たいていは相手の抱くイメージを掴み損ねるか、一回イメージを提供することに成功してもいつの間にかズレ始め、いつまでも内面化したイメージ通りではない自分との葛藤に悩むと思う。


 しかし、葛藤はあるにしても、具体的に相手の願望通りの自分でいたままでいることができる人はいる。これに関しては、そう言った自分でい続ければい続けるほど、苦しいと思う。


 なぜなら、演じること自体の苦痛の上に、演じている自分が評価されるべくして評価されてしまうからだ(本当の自分と思っていない自分でいることを仮に「演じる」と言うなら)。そして、演じるという選択を取った自分もいる。演じているとは言っても全てが演技というわけでもなく、演じている自分と、本当の自分が同居しているから、自分のどこを否定することもままならない状態に立たされてしまう(否定した途端、どちらの自我も共倒れしてしまうようなことになってしまいかねない)。演技と素のあいまいさ、そしてそのあいまいさが評価されてしまうから、そのまま葛藤し続けるしかない。

 ゆくゆくは、そんな二つの自分の葛藤もそのうち融けて、自分という存在そのものになってしまうのかもしれないが、溶けていく間はものすごく苦痛である、と思う。

 そんな葛藤が、小沢健二の歌からは聴こえてくるように感じるのだ。一つの曲から、光と影の二つの“意味”が同時に脳裏をよぎる。その二つの”意味”がぶつかり合う時、どうしようもなく人間臭くて、病的なこだわりが、鮮烈に輝く。

 誰かに憧れた人は、抱いた理想像に向かって走り続ける。憧れの人の放つ光が、原動力となる。小沢健二を聴いた僕が、彼の生み出すいろいろな歌や言葉やモデル写真を通して、毎日生きようと思えているように。しかし、その光は非常に作為的な光であるかもしれない。光の意図は、光を放つ本人によるかも知れないし、光をどうしても見たい人の欲望の反映によるかもしれない。しかし確実に言えるのは、誰かの放った光が、誰かの原動力になりまた新しい光を生み出すかもしれないということ。言葉にすると、すごくクサイが。

 ある神話の書かれた本があるとする。神話で起こった出来事は、いつ起きたかも、もはや本当にそんなことがあったかもわからない。それに、本、もっと言うなら一つ一つの物語として編集されているから、誰かの意図や主眼が多分に組み込まれている。それは、事実ではない。

 しかし、その本を読んだ人は、自分が今生きているのとは全く違った次元でそれを理解し、さらにはある種の事実として受けとめるかもしれない。そして、この神話が存在する世界のもとに生まれた自分を再確認する。この神話の系譜の延長に、自分もいると。

 それは、古事記や日本書紀を読んだ日本人、聖書を読んだ信者、地球上のある村で神話を聞いた村の人間に見られるような精神状態な気もする。なんと言っても、小沢健二に夢中な僕も、そんな感じである。

 彼の歌を聴いて、彼のように愛を歌いたくなったり、喫茶店でワイン飲んで酔っ払ってしまった!こんなハズじゃなかった!とか言ってみたくなる僕。僕は、小沢健二になりたい気がすると同時に、僕の一部に小沢健二を取り込みたい気もするのだ。ということは、僕は、彼の系譜の延長に自分がいることをやっぱり感じているのだろうか。

 誰かに憧れるって、こんなに複雑なことなのか。


あたしは彼と繫がり、彼の向こうにいる、少なくない数の人間と繫がっていた。

推しを取り込むことは自分を呼び覚ますことだ。諦めて手放した何か、普段は生活のためにやりすごしている何か、押しつぶした何かを、推しが引きずり出す。だからこそ、推しを解釈して、推しをわかろうとした。その存在をたしかに感じることで、あたしはあたし自身の存在を感じようとした。推しの魂の躍動が愛おしかった。必死になって追いつこうとして踊っている、あたしの魂が愛おしかった。
-宇佐見りん『推し、燃ゆ』


 いつか、宇佐見りんの小説である「推し、燃ゆ」についても書こうかな、と思う。

 ここに書いたことは、別に良い悪いというために書いたわけではない。たしかに、こう言った状況の贅沢さや悲惨さというものは存在するとは思うけど、ただここに、とりあえず今、考えたままを書き留めたくなっただけ。

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