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価値のパラダイス、この世界

これからうちは、
お金の話を始めるけれど、
伝えたいことは別にある。
お金はきっかけ。

外貨両替で損をしないことと、

面白い文章を書いたり
素敵な絵を描いたりすることとは、

つながっている。
と気づいた時の話。

*************

26歳の夏、うちは、
手痛いミスを反省すべく、

台湾桃園国際空港の片隅のベンチで
うなだれていた。

その一ヶ月ほど前に、
イタリアからウクライナ経由で
バンコクの空港へ着いた。

その時も、
ユーロからタイバーツへ為替交換を済ませると、
明らかに戻ってきた額が少なかったのだ。
30,000円相当のユーロを交換して、
3,000円分くらい目減りしたバーツが戻ってきた。

そして、タイから台湾へ移った。
同じように台湾の空港で外貨両替をしたら、
ここでもやはり
10パーセントくらい目減りして戻ってきた。

何かがおかしい。

うちは、
スマホ(旅のお供、文明の利器)に
聞いてみた。
「外貨 交換 安い どうして」
「出国 入国 空港 外貨交換」
とか。


外貨の交換だけでこんなに
金銭的損失を出したのでは
納得がいかない。

自分の側に何か、
問題があったに違いない、と思った。

お金は天下の回りものだとしても、
こんな回り方では正直きつい。


とりあえず納得のいく答えを見つけた。
「出発国、到着国、
どちらで外貨交換をしたほうがよいかといえば、
原則的には出発国で両替した方が損をしない」というのだ。

うちがやったのと逆だ。

うちの場合でいえば、
出発地のタイで、タイバーツを台湾ドルに交換した方が
レートは良かった
ということ。

その理由は、
「その国の通貨を一番必要としているのは、その国の人だから。」
とのこと。


はい、きました。
聞いてみれば
シンプルなことでした。

そのとき
うちの頭の中で、
カチ、と音がなった。

価値、というテーマについて、
深く腑に落ちたことがあった。

その時リュックに入っていたノートに、
すかさず書きこんだ。

少し長いけど以下が、
その時
ガガガっと
鉛筆で書いたことのすべて。


 「価値」というテーマについて、一段階深いところで問題が見えたような気がしました。

 タイの通貨、タイバーツは、タイ国内において、モノを買ったりサービスを受けたりすることのできる通貨です。他の国においては、相対的に低い価値しか持たないのは当然のこと。タイバーツは、タイにあってこそ役に立つのです。
 他の国、例えば台湾におけるバーツの紙幣は、紙としての価値にプラスして、輸入、タイへの投資、あとせいぜい自国通貨の買い戻しに使えるにすぎません。タイバーツが必要とされる量と切実さが、タイと台湾では全然違います。
 
 そこで今回私が行った両替について考えてみると、私の手痛さ加減が分かりました。
 私は、「タイ国内において価値のあるタイバーツ」を、それが相対的に必要とされない台湾へと持ち出し、台湾の空港では、「台湾にとって利用可能性の低いバーツ」を差し出す代わりに、「台湾において利用価値のある台湾ドル」を交換してもらおうとしたのです。
 これを商売に例えるなら、「本当はゆずりたくないんだけど、高い金出すなら売るよ」と売ってもらったものを、「それあんまりいらない。安くていいなら買うけど」という相手に「そこを何とか、お願いします(拝み)」といって買ってもらうようなもの。
 つまるところ、これは誰の役にもたっていません。そのような「他者の役に立たない行為」が、自分の財布の中身をも目減りさせてしまうのは、怪しむに足りないことでした。
  求められていない場所に差し出したところで、返ってくる価値が少ないのは当然のことなのです。

 ここで話が終わっては反省だけなのですが、私には希望が見えました。
 裏を返せば、その場所においてはあまり利用価値がないものを、それが必要とされる場所に持っていくと、高い価値が付与される、ということです。コーヒーや砂糖の輸出入で、貿易がもうけを出す仕組みはまさにそれでしょう。 
 言葉としての原則はおそらく、経験から多くの人が知っているでしょうが、行うは難しで、
・どの場所の人間が何を必要としているのか
・それを豊富に持ち合わせているのは(自分を含めて)誰か
・どのような工夫を加えて運ぶのか
それらを感じ取ること、考えることは、冷静な分析と情熱と決断を要する仕事かと思います。他者に、世の中に対して関心がなければできないことです。それがセンスと呼ばれるものであり、仕事の中のクリエイティブと呼ばれる部分でしょう。
 儲けにつながっているあらゆる第1次、2次、3次産業の根本にも通じる原則だと思いました。「それ」が必要とされていない(けど、割とたくさんある)場所から、「それ」が必要とされている場所への、的確な移動。輸送。
 農業というものでさえ、空気や土中に豊富にある、そのままでは人が食せない窒素他栄養分を、作物という形で取り出す輸送業。価値の生成という意味での、仕組みは同じ。アイデアと経験則で、より的確に運ぶことだといえるでしょう。
 
 そして最後にこれが一番言いたいことなのですが、漫画を描いたり、歌を歌ったり、文章を書いたりする「表現」も、貿易の原則に支えられているんじゃないかということです。
 「表現」は、アイデアの貿易業です。自分一人の中にあっては、ありふれた平凡な、ヘイヴンな、能天気な経験、考え、アイデアだったとしても、それを必要としている人はいる。だから、自分の外に取り出すことに価値がある。何も突飛なアイデアでなくても、自分が考えているのと同じことをほかの人の口から聞きたい人もいるでしょう。それを聞いて安心する人がいるでしょう。自分に不足していたアイデアを調達して役立てる人もいるでしょう。
 表現によって、各人に共通の問題が掘り起こされ、問題の共有が起こり、実際的な方面で解決に向けて大きく動き出すこともありうるでしょう。
 表現することには、多く、深く、幾重もの価値がある。その価値を一貫して支える原則は、貿易業と同じ、「的確な移動」にあると、今日私は思いました。

振り返って、今思うこと。

少なくとも、うちは他者の表現にずいぶんと助けられてきた。
書籍に始まり、このnoteでもまさに。

北海道の昆布を、沖縄の砂糖を、
おいしいといって食べるように。
「美味しい美味しい。運んでくれてありがとう。」
と言いながら、人のアイデアを栄養にした。




文章という船、絵画という飛行機に乗って届けられた、
遠い場所の作物。
好奇心と不思議な共感とをもって味わった。

隣村からの、思いもよらぬおすそ分け。
ありがとうを言って
いただいた。
おらが村、ちょうど飢饉だったんだ。




だから、うちも運ぼう。
せっせと、特別なものでなくても。
こちらにとっては
特別でないからこそ。
運ぼう。

余裕があるならば、
できればひと手間加えて、
美味しく料理して届けられたら、
なお良いな。
六次化というやつだ。




うちにとってありふれたものでも、
他の人にとっての栄養になると信じて。

うちを苦しめた葛藤でさえも、
他者にとっての光になると信じて。

おちついて、情熱的に。
人と関われることを、
今日も喜びながら。

27years old,4.26 Mizuki,「ま」p64

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