雑踏、雑音ならば寂寥の寂しさの方が良い
仕事から帰宅し、風呂に入り、粗末な飯を相棒に晩酌をするのが私の慣わし
しかし、いつものようにPCでBGMのように流しているyontubeでさえ、雑音に聞こえ、途中でPCをシャットダウンしてしまう
すると、聞こえるのは私の呼吸、咀嚼音、ため息、意味のない独り言
息子から送られてくる孫の写メを見て、返信し、可愛い孫の姿を特定のフォルダに格納する
そして、いくつか在籍しているブログへ日々の思いを綴り、床につく
気になる記事、気になる文章力のある方のブログは遡って拝読し、人生というのは、様々なのだな、と理解して
また、明日から頑張ろう
そんな力を貰う
一拍置く
何があっても、一拍の時間を置く
"雄弁は銀、沈黙は金"
それよりも、効果的で、全てがどーでもいいくだらない事だ、と思わせるのが愛孫の写メを眺めることだ
孫の無垢な笑顔、寝顔を眺めると
夜空に浮かぶ星座のように、ちっぽけな自分が浮かび上がり狭い世界で悶々としていた自分がアホ臭くなる
こんな無力で非力な赤子よりもアホとは悲しくも寂しい大人を装った人間が多い
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