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納富信留 「プラトン哲学への旅: エロースとは何者か」(NHK出版新書)


最近「哲学お好きなんですね」と言われることがあったのですが、割と好きではあると思うのですが、哲学者の本人の原典をちゃんと読んだことはほとんどなく、解説書とか入門書でお茶を濁しているニワカだと思っています。なので、本当に哲学書を読み込んでいる方々からすれば、そういう方に対して、「哲学系好きです!」というのは正直憚られるところがありました。

もっとも、本noteのコンセプトは、「読んでいない本について堂々と語る」ですから、合っていても間違っていても、気にせず堂々と語ることにします。

※Amazonのアソシエイトとして、本記事は適格販売により収入を得ています。


本書は、プラトン研究の第一人者の納富信留さんによる、プラトンの「饗宴」の入門書的位置づけの解説書です。


面白かったです!


御多分に洩れず、「饗宴」そのものを読んだことはなかったのですが、本書を読んでから「饗宴」を読んでみたくなりました。


納富信留さんは、今ざっとググっただけでも、現在東京大学大学院の教授で、現在は日本哲学会の会長、しかも国際プラトン学会の元会長ということなので、間違いなく日本のプラトン研究の第一人者といっていいと思います。


そんな納富信留さんが書いた「プラトン哲学の旅」。

どんな本なのかというと、「饗宴」の内容をわかりやすく解説する本で、語り口も平易です。


しかし、一番びっくりなのは、なんと著者本人が読者と一緒に「饗宴」の中に入り込んでしまう設定なんですね!


ソクラテスやアガトン、アリストファネスといった「饗宴」の登場人物が普通に出てきて、「私」と会話をしています。「饗宴」には出てこないけど飲み会にはいた(小)ペリクレスとかも出てきます。


そういう意味で、ファンタジーというかフィクション要素もあるのですが、細かい設定もいろいろあって面白いです。
アカデメイアに立ち寄って、プラトンの創作現場に入ってパピルスの巻物を読んで何が書いてあるのかなーって見たり、ワインを飲んで古代のワインは「酢っぱっ!」ってなったり、「イギリスではシェイクスピアがいて…」なんて言ったら、「それはどこの国だい。まあいい・・・」みたいな感じで普通に会話が続いていたりします。

「饗宴」なので、酒を飲みながら演説会をしているんですね。

で、演説会がひとしきり盛り上がると最後のほうは飲みすぎて脱落者が出ます。寝落ちする人もいます。
現代だったら、ひどい飲み会だった。大事故ですね。

途中で、ディオティマという女性(実在していない?)と別世界に行くみたいなすごい展開もあります。

そんなパロディーのギャグ要素も面白く盛り込まれているのですが、内容は、浅くない。
登場人物の演説とそれに対する「私」の分析にはさらりとしかし鋭くとても深いことが書いてあると思います。


演説のテーマが「エロース」について
「エロース」というのは、ギリシャで進行されていた神で、愛や欲望を意味するとされています。

「エロース」とは何なのかを、「饗宴」の参加者が反時計回りに順番に語っていくという流れです。まあ飲み会なのでそのあとぐちゃぐちゃだけど。


みんなしゃべりがうまいんですね。ソフィストというか。


そして、宴会のホストであるアガトンのエロースを賛美する演説。拍手喝采。

そこで、出てくるのがソクラテスです。

そのあと、ソクラテスが全く空気を読まない問答を仕掛けます。飲み会だったら絶対嫌われます。

しかし、この問答であらわになるエロースの矛盾が衝撃的でかつ鮮やかなんですね。飲み会だったら絶対嫌われるけど。

そこで、アガトンがソクラテスの意地悪な追及に対して、驕ることなく謙虚に自分の知の欠如を認めるんですね。やっぱソクラテスさんすごいね。

よかった。これで、けんかになってたら大事故です。


拍手喝采。


そして、別世界でイデアに出会ったり、泥酔したりします(雑)。


そんな中に、普通に「私」がいます。


「饗宴」ってこんな感じなんだ。原典を読んでみたくなりました。


例えば、「私」が洞窟の中で、美そのものの顕現に鮮烈に出会うシーンは印象的です。

この世のもろもろの美しいものから出発して、かの美のために常に上昇していき、あたかも階段を用いるようにして、一つの美しい肉体から二つの美しい肉体へ、そして二つの美しい肉体からすべての美しい肉体へ、そしてさまざまな美しい肉体から人間の美しい営みへ、そして人間のさまざまな営みから美しい学びへ、そしてさまざまな学びから、他ならぬかの美そのものを対象とするこの学びへとたどり着き、最後に、まさに美であるところのものそれ自体を認識することになるでしょう。もしどこかにあるとすれば、人生のここにおいてこそ、人間にとってその生が生きるに値するものとなるのです。すなわち、美そのものを観照する時に。(『饗宴』二一一C‐D)

納富 信留. プラトン哲学への旅 エロースとは何者か (NHK出版新書)


後半では、「愛」とは何かみたいなことが語られます。
たった一人の運命の人を愛し続けるのが愛なのか、人を愛し続けることは必ずしも一人の人だけというわけではないのではないか

もう一つ、正反対のものを対比して、それは実は一つの同じものの両面なのか、あるいはまったく別の分断された二つのものなのか、そんなことを考えています。

例えば、喜劇と悲劇

本書の中のソクラテスは、実は喜劇と悲劇は一体なのではないか?と説きます。

シェイクスピアやチェーホフだけじゃない、もう一人いる。プラトンだ。このソクラテスを主人公にしながら、喜劇と悲劇のどちらの作風も自在に創作した、チャレンジングな作家が。この『饗宴』のような楽しい喜劇的対話篇もあれば、死刑を前にした静謐な悲しみを描く『パイドン』のような悲劇的対話篇もある。悲劇と喜劇は正反対に見えて、実は同じ一つの現実の両面なのかもしれない。人生の悲劇は、神々から見ると笑うべき喜劇に他ならない。古代ギリシアの世界に来て、この真理がなんとなく分かった気がする。

(中略)
でも・・・・・・と私はソクラテスの姿をぼんやり見ながら、さらに考えました。

悲劇と喜劇は、やはりなにか根源的に違うものじゃないか。世界や人間への見方、いや世界への関わり方、いや私の生き方に関わる、なにか忘れてはいけない違いがあるんじゃないか。それが一つであるべきだなんて、やはり強引だ。
(中略)
悲劇と喜劇、哲学と文学が一体化し手を取り合ってハッピーエンドに終わるなんて、なにか噓くさい

納富 信留. プラトン哲学への旅 エロースとは何者か (NHK出版新書)

 結局誰が挑戦されていたのか?

 そんな長くような短いような古代ギリシャの旅に連れていかれます。

 なお、本書では、プラトン本人は「饗宴」には登場しません。

 そう、プラトンの本が、ここにあります。  
 でも、プラトンに、私たちは会えませんでした。
 いや、プラトンは、私たちがエロースを論じていた時、いつもそこにいた、ですって。いったいどこに?

納富 信留. プラトン哲学への旅 エロースとは何者か (NHK出版新書)


ということで、面白かったのでお勧めです。


そんなわけで、ともに美のイデアを求めて、「今日一日を最高の一日に




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