社会的なるものの勃興 / 「人間の条件」(ハンナ・アレント)をド素人が読み進める(8)【第2章-6】
前回
私的領域と公的領域は、時代に応じてどのように変化してきたのか
前回、家族的領域(私的領域)と政治的領域(公的領域)は、古代ギリシャにおいて明確に区別されていたと述べた。
そして、「明確に区別」について少し掘り下げて、考えた。
古代ギリシャでは、明確に区別されていたということは、今は明確に区別されていないということである。
言い換えれば、社会的領域が誕生し、区別があいまいになったともいえる。
このことについて、アーレントは、「これは単に重点が移動したという問題ではない」という。
これはどういうことか。今回はここをスタートに考えを巡らせてみる。
古代ギリシャにおいて、政治的領域は、勇気という徳をもって、善き生活のために飛び込む領域であった。前回登場したギリタンは、命がけでポリスに飛び込んだ。
一方、私的領域は、「愚かしい」「奪われた」「欠如した」領域とされていた。典型的には奴隷のイメージだとおもう。
しかし、現代の私的領域に「愚かしい」「奪われた」「欠如した」イメージはない。今のプライベートが、「愚かしい」「奪われた」「欠如した」領域、奴隷のイメージであれば大変である。
アーレントは、今日における私的領域を、親密さ(インティマシー)の領域と呼んでいる。
親密さというのはどういう意味だろうか。
ここでアーレントは、ルソーを取り上げる。
ルソーは、自身の魂の親密さを最初に明晰に探究し、これに反するものに対抗したという。この親密さの対戦相手が社会だという。
ルソーにとって魂の親密さは、人間存在の主観的な方式であり、目に見えない。
ここに客観的な居場所がはっきりしている家族(ギリシャ時代の私的領域)との違いがある。
一方で、魂の親密さの対戦相手である社会も、政治的領域(ギリシャ時代の公的領域)と同じような確実な場所を持つことができない。
ルソーの頭の中では魂の親密さと社会が葛藤している。その葛藤はいずれもルソーの主観の中であり、ルソーは果てしのない葛藤の中にいる。
この葛藤の結果、「親密なるもの」の発見がされたとアーレントはいう。
つまり、最初は親密なるものの存在は、認識されていなかったが、対戦相手である社会に対する反抗と葛藤から「親密なるもの」の存在が発見されたという順序になる。
ここに、「私的領域」と「公的領域」の明確な区別とは異なるあいまいな領域の誕生を見て取ることができる。そして、それに応じて各領域に変化が生じている。
ここの構図は、簡単に言うと以下のように整理できると思う。
社会が他の領域を凌駕していく
近代にいたる過程で、「社会的領域」は、次第に広がっていく。
その社会に対して、反抗的態度を示したのがルソーであった。
ルソーは何に反抗したのか。
ルソーの反抗的態度は、社会的なるものが押し付ける一様化の要求に向けられていたとアーレントはいう。
今日の画一主義である。
社会は、「その成員が、たった一つの意見と一つの利害しか持たないような単一の巨大の成員であるかのようにふるまう」。
これはどういうことか。
この点についてもやはり、ギリシャ・ポリスを対比するとわかりやすいと思う。
古代ギリシャのポリスは、個性の時代であった。
ポリスの中では、言論と活動のみが是とされ、構成員は命を懸けて、良き生活のため、必死で言論と活動をする。
たぶんポリスの中では、画一主義なんて態度をとったら死んだも同然だったんじゃないかと思う。
一方、ポリスの外では、家長が家族を支配していた。その中には、暴力的な支配もあった。
この私的領域において、被支配者側はある意味、平等である。この被支配者側の平等は、社会集団の平等に似ているかもしれないとアーレントはいう。
違うのは次の点である。
つまり、画一主義が浸透した社会では、ギリシャの私的領域の家長のような代表する支配者がいない。一方、画一主義が浸透した社会では、支配者がいないのに、皆が同じ方向を向き、強い力を発揮している。支配者がいないのに統制がされている状況である。
これが、「その成員が、たった一つの意見と一つの利害しか持たないような単一の巨大の成員であるかのようにふるまう」ということではないかと思う。
ワンマンルールならぬ、ノーマンルールである。
この状況をどうとらえるべきなのか?そして、ルソーは何に反抗を示したのか?
ここから、本書冒頭の「人間の条件」の定義付けが、効いてくる。
社会が「活動」を排除する
「活動」は、人と人との間で行われる唯一の活動力である。
ギリシャでは、ポリス(公的領域)で政治的活動がいかんなく発揮され、家族(私的領域)では、「活動」が排除された。
ノーマンルールの画一的な社会は、構成員を「正常化」し、家長の支配なく、「活動」を排除し、「行動」を奨励する。
社会的領域には、家長による支配はなく、一定の構成員をすべて平等で均質化し、統制し、「逸脱」を減らし、画一化に向かっていく。
マルクスは、「人間の社会化」が全利害の調和を自動的に生み出すだろうとまで述べた。
アーレントは、社会的なるものの勃発後の、公的領域と私的領域への駆逐っぷりに言及する。
社会が勃発し、私的領域と公的領域の区別があいまいになり、家族や家計の活動力が公的領域に侵入すると、社会はものすごい勢いで広がり、私的領域、公的領域、親密なるものを貪り食っていく。
このすさまじさは一体どこから来るのか。
これは、この「行動」が生命過程そのものであることに由来すると思う。
つまり、アーレントの3分類の「労働」の特徴(人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力)である。
私的領域に閉じ込められていた「労働」は、社会の勃発により、他の領域に侵入するとその生物学的家庭に対応する活動力をいかんなく発揮し、公的領域、私的領域、親密なるものをどんどん駆逐していったということだと思う。
アーレントは、この過程を「自然的なるものの不自然な成長」という。
言い換えれば、絶え間なく加速される労働生産性の増大とも呼ぶことができる。
このようなすさまじい駆逐の文脈を見れば、アーレントが「これは単に重点が移動したという問題ではない」と述べた意味も見えてくるのではないだろうか。
「卓越」と奇妙な入れ違い
最後に、「卓越」というワードに触れてみる。
ギリシア人なら aretēと呼び、ローマ人ならvirtusと名づけたはずの卓越は、人が他人にぬきんでて、自分を他人から区別することができるものということになる。
そうすると、古代ギリシャでは、「卓越」はポリス=公的領域で繰り広げられたのだろうと自然に理解できる。
「卓越」は、比較する他人が必要である。
すなわち、その人と同格のものたちが構成する公的な形式が必要である。
では、社会的領域の勃興で、公的領域が曖昧になると「卓越」はなくなってしまうのか。
そうではないとアーレントはいう。
アーレントは、社会的領域でさえ、卓越と公的演技との関係を完全に消滅させることができなかったという。(公的演技がよくわからなかった・・)
社会的領域は、卓越を匿名化し、個人の成果よりも人類の進歩を尊重したため、公的領域の内容を見違えるほど変えたという。
しかし、公的に行う「労働」によって私たちは、「卓越」を示すようになった。
つまり、社会的領域によって、均質化し、画一化が発生したとしても、その領域で「卓越」を示すものは完全には消滅しなかったということになる。
一方で、社会的領域は、ポリスの構成要素であった活動と言論を親密なるものと私的なるものの領域に閉じ込めたため、私たちの活動と言論の能力は以前の特質の大部分を失ったとアーレントはいう。
ここに「奇妙な入れ違い」があるとアーレントはいう。
「奇妙な」というだけあって、わかりづらいが、たぶん以下のような感じだと思う。
公的領域/私的領域と労働/活動が、はっきりとはしないが、ぬめっと(?)チェンジしている感じである。
社会的領域は、公的領域と私的領域の明確な区別をすさまじい勢いで一新し、それらの区別をあいまいにしてぐちゃぐちゃにしたが、完全に消滅させるところまでは至らなかった。
そうすると、ここで改めて公的領域と私的領域とは何なのか、社会的なるものの勃興によって、何が変わり、何が変わらなかったのかを見直し、その本質に迫ってみる必要がありそうである。
ということで、さらなる展開が見えそうなところで、次回。
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