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「未来は決まっており、自分の意志など存在しない 心理学的決定論」(妹尾武治著)は希望か絶望か?決めるのは…

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未来は決まっており、自分の意志など存在しない―

あなたが本書を手にすることは、138億年前から決まっていた—

 タイトルからして、心のざわつきを禁じ得ません(笑)

 本書は、心理学者であり、「サブカル大好きおじさん」である著者が「心理学的決定論」を心理学、生理学、脳科学、哲学、アート、文学といったさまざまな角度から論じ、「未来は決まっており、自分の意志など存在しない」=「心理学的決定論」を受け入れるしかないと思わせるような論証を展開していく本です。

この世は全て事前に確定しており、自分の意志は幻影だ。

 衝撃的な仮説ですが、豊富なエピソードと知見で「あ、もしかしたら本当に『未来は決まっており、自分の意志など存在しない』のかもしれない」と思わさせられてしまう展開は圧巻です。

 著者の豊富な知見とエピソードトークは、本書を読んでお楽しみいただければと思います。

 本noteでは、「この世は全て事前に確定しており、自分の意志は幻影だ。」という心理学的決定論(のせい)でざわついた心をどう受け入れたらいいのかを妄想して、なんとかぐっすり眠れるようにしたいと思います。

 なお、全体的に個人的考えです。著者の意図と違っているかもしれませんが、本noteのコンセプトどおり、読めていなくても堂々と語りたいと思います。

「心理学的決定論」の限界? —私の限界(笑)

 次々と繰り出される論拠

 著者は、世界の本質が情報であり、「意識とは情報の変動に過ぎず、自然法則に従う」と述べます。
 そして、「すべての情報の変動(行動)は、環境との相互作用によって事前に決まっている」といいます。

 じゃあ意志はないのかというと、われわれが「自由意志」だと思っているものは「錯覚」「幻想」であるといいます。けっこうはっきり言います。

 その論拠の数はめちゃ多いので書ききれませんが、私の意志より先に「体」が「脳」が動いている、私の意志は外からの刺激に耐えられない、私の意志より先にAIが答えに到達する、、、などの、「意志」は、幻想に過ぎないという論拠が著者から、次々に(笑)繰り出されます。

 ああ、やはり「自分の意志なんてものはなくて、最初から全部決まっている」のね・・・

 第一線の学者さんにここまで、言われてしまったらもうあきらめてしまいそうです。

〈私の限界〉

 ただ、ここまでサンドバック状態になってきて、あることに気が付きました。

 「あ、自分はたぶん死ぬまでに「心理学的決定論」を完全に理解することはできないのではないか(というか、ほぼ理解できない)」。

 すなわち、私視点で見ると

 意志より、先に、脳が動き、脳波が出て、体が動いているとしても、自分はそれを体感することができない

 未来を決めるすべての外部環境を把握することは自分にはできない

 AIが圧倒的スピードで先に答えにたどり着いても、自分はたぶん意味が分からない

 わけです。


 「心理学的決定論」はもしかしたら真理かもしれないが、「『心理学的決定論が真理であること』を理解すること」は、おそらく死ぬまでできないのではないか

 これは単に私の能力的な問題という可能性も残りますが(笑)、「環境がすべてを決めていて、そこに自由意志がない、心理学的決定論が仮に真理なのだとしても、すべてを決めている要因は少なくとも私には理解や認識ができないので(私の限界)、私には『心理学的決定論』が真理なのかが決断できない」ということになりそうです(もしかしたら、哲学ってだいたいそうかもしれないですが)。

 じゃあ、この話どこに落ち着かせたらいいのか。
 自分がもっと楽に使える考え方にできないか、巡ってみたいと思います。


「心理学的決定論」は絶望か?希望か?


 強力な「138億年前から決まっていた」構文


 未来は決まっている、自由意志などないと言われたら、自分の意志で頑張ろうを決めたことは、なんの意味もないような気がしてあきらめたくなりそうです。

 しかし、著者が言っているのはそういうことではないと思います。

 一ついえるのは、それであきらめたとしたら、「そうやってあきらめることすら、138億年前から既に決まっていたのだ」ということになります。
 あきらめることすら意志ではなく138億年前から既に決まっていたことだと言われて、なんだコノヤロと頑張りだしたとしても、「やっぱり頑張ろうとするのも意志ではなく138億年前から既に決まっていたのだ」ということになります。


 メタ認知のコンボみたいなのが続きます。


 「138億年前から決まっていたのだ」構文は強力です。 

 しかし、「自由意志」が「錯覚」であり「幻想」なのだとしたら、「138億年前から決まっていたのだ」としたら、世界は別の様に見えてくるかもしれません。

 それについて、いいときと悪いときで考えてみようと思います(作用の仕方が少し違う気がするので)。


 調子がいい、うまくいっている場合の「心理学的決定論」


 今、仕事や人生が、調子よくてうまくいっている、いい感じだという場合に「それは、138億年前から既に決まっていたのだ」と言われたとします。

 なんだよ、こんなに自分の意志で頑張ってきたのに、水を差すなよという発想もありそうですが、ちょっと立ち止まってみます。

 そもそも、「自分の意志だと思っているもの」は幻想であり、ここまで来た結果のための既に決まっていた要因の一つということになると思います。 
 「自分が意志だと思っているもの」は、無駄ではないですが、既にあった要因の一つであるわけです。
 それ以外に既に決まっていた様々な要因によって、今、いい感じになっているわけだとおもいます。

 そうしたら、「それは、138億年前から既に決まっていたのだ」から、今ある状況に感謝しようという気持ちになれる気がします。
 だって、自分の意志ではないのだから。

 つまり、環境とか周りに感謝しましょうという発想が出てくるのではないでしょうか。

 周囲に感謝する発想というのはもしかしたら、心理学的決定論と親和性があるかもしれません。


 辛くてうまくいっていない場合の「心理学的決定論」


 逆に、仕事や人生が、うまくいっていなくて辛いという場合に「それは、138億年前から既に決まっていたのだ」と言われたとします。

 なんだよ、やっぱり自分の人生は無意味なのかと絶望的な気持ちになる考えもありそうですが、やはり、ちょっと立ち止まってみます。

 もし、絶望的な気持ちになったとしても、「それは、あなたの意志ではなく、138億年前から既に決まっていた幻想」でしかないことになります。
 つまり、絶望的な気持ちになることは、自由意志ではなく幻想ということになります。
 そして、そのあとどうするか(行動するのか、あきらめるのか)も「138億年前から既に決まっていた」ことになります。

 つまり、「心理学的決定論」によって、絶望・マイナスな意志は、ゼロになるのではないでしょうか(たぶん、プラスにもならない。意志はないのだから)。

 一見絶望を与えそうな「心理学的決定論」は、これによって、絶望ではないと言えるのではないでしょうか。


まとめ 「心理学的決定論」の効用


 以上より、「心理学的決定論」の効用は

うまくいっているとき → 感謝の気持ちが持てる

うまくいってないとき → マイナスをゼロにする

というところにあるのではないかと思います。

 そして、もう一つキーのような気がするのは、「一回立ち止まって考える」ことだと思います。
 「138億年前から決まっていた」構文は、強力がゆえにダメージが大きい気がします。
 それゆえ、立ち止まるのが重要そうです。


 以上より、私の個人的結論は、

  • 「心理学的決定論」は仮に真理だとしても、私は、たぶん真理には辿り着けないから、普段使いでうまく取り入れられるようにしたい。

  • 「心理学的決定論」は、うまくいっているときには感謝の気持ちにつながる、うまくいっていないときにはマイナスをゼロにできる。

  • 一回立ち止まって考える」ことで、「心理学的決定論」は絶望にも希望にもなる。

 となります。


 つまり、「心理学的決定論」は、希望か?絶望か?


決めるのは・・・あなたです。


 図らずも、「決定論」なのに決めるのは一回立ち止まって考えるあなたという矛盾した結論になりました(笑)


 という結論をここで出すことも、「138億年前から既に決まっていた」ということになるのでしょう(笑)


 このくらいにします。

 お付き合いありがとうございました。


追伸 著者のよる本書の続編的エッセイが連載で出てます。まだ途中ですが、こちらも面白く読んでます。



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読書感想文/備忘/関東郊外在住🌳/約2年前に読書感想noteを始めるも即挫折/2022.5「読んでいない本について堂々と語る(ピエール・バイヤール)」を読み、「読めてなくてもよい、むしろその方がよい」と開き直り、再開/〈図書館〉をつくりたい/アイコンlionだけどヤクルトファン