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A24 『C’mon C’mon』 子どもの自己肯定感

久しぶりなので走り書きで好きなままに書きます

A24 『C’mon C’mon』

今年5月、A24の「C'mon C'mon」を見に行った。
これがなかなか自分の中で印象深い映画になり、この映画からアメリカと日本の子どもの意識について差があることに興味を持った。(ぜひ見てほしい!)

主人公はラジオジャーナリストとしてアメリカ各地に出向き子どもをターゲットにマイクを向けてインタビューを録音している。


「好きなものはなに?」
「将来はどんなふうになると思う?」
「正しい道を進むために大人は何ができたと思う?」
「自分の何かを一つだけ変えられるとしたら、何を変える?」


お馴染みの質問からなかなか子どもには難しいと思える質問を投げかける。

ただ、この映画のユニークなところとしてその問いに対する子どものアンサーに台本はない。つまり出演している子自身の考えがかえってくる。ドキュメンタリー的なシーンが絡む映画になっている。

驚いたのはこれらに対して子どもはしっかり自分のアンサーを出していた。そのアンサーは理屈に伴った考え方から、感覚的ではあるけどハッピーな視点からの考え方など色とりどりで、たかが子どもの考えという見方ではいられなくなる。子どもはしっかり持論を持ちそれを伝えることができていた。日本の子どもに同じ質問を投げかけてもはたしてしっかりとした持論がかえってくるだろうか。きっと困惑の表情を浮かべその場から逃げてしまうだろう。どうしてこの差があるのか。

持論を持っている子どもたち

持論を持っているとはどういうことか。
自分が考えるに持論を持つとは他人の考えをある程度共感、理解(たとえ納得できなくても)し、自分のこれまでの経験を振り返って他人との見方の違いを認識している行為だと思う。
映画では子どもたちは自分の独立した存在を早い段階から理解し持論を展開していた。そして自分の考えが周りと違うこともちゃんと理解していた。(映画の演出として、そういう子どもだけを採用している可能性もあるけども)子どもの自身への自己意識の持ち方が日本とアメリカでだいぶ違う。

かわい

ちょっとだけ調べた

少し調べてみると持論を持つことは自己主張に当てはめられ自己主張は自己肯定感と相関関係にあるとされていた。ここで考えてみると自己主張、自己肯定感は日本の周りに合わせ溶け混もうとする文化と相反するものである。人様に迷惑がかからないよう腰を低くする精神。

そしてそれら自己肯定感はやっぱり文化や教育の仕方の違いに生まれるとも書いてあった。
アメリカでは子どもに選択させる教育が昔から見られたらしい。

It's up to you.
It's your choice.

親が子どもを一人の独立した存在として見ているからこそ生まれる言葉である気がする。
子どもは大人になる手前の存在であるという見方をしていないような。
そこにたしかに存在する独立した人格として尊重している。

結局教育するのは親であるから親の自己表現、自己肯定感が教育に現れるし。(連鎖やん)

映画を通しても感じたことだけど、やっぱり親や大人から送られる言葉やコミュニケーションで子どもの自己意識は大きく変わる

映画の紹介

このタイミングで映画の紹介するなんてまとまっていない投稿になるけど、
この映画のテーマを自分なりにいうとしたら「人との分かり合えなさ」だと思う。わかり合えないからこそコミュニケーションが必要っていうざっくりした感想。面白いか面白くないかで述べるより好きかそうでないかに分かれる映画だと思う。実際に暇な映画とレビューする人もいたしそれは否定できない。まあA24だし合わない人は合わないだろうし。理屈ではなく感覚の深い部分で映画を覗くような映画。今は有料で配信されてる。いつかネトフリでまた見たいなあ。ぜひ見て

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