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熊本での難題、私はこう向き合った〜熊本副知事退任会見全文(6/8)

お忙しい中お集まりいただきまして有難うございます。
先程最後の県議会に出席をいたしました。

本日付で辞職しますので、今日も開会日に出席をさせていただき、そして議員の皆様方にも先ほどご挨拶をしてまいりましたけども、いよいよ熊本を離れて、12年間勤めてまいりましたが、明日から東京へ上って、そして投票日まで選挙の活動を続けるということになります。

これまでの12年間を振り返りますと、蒲島県政が始まった時は色んな課題がありました。

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画像引用:wikipedia 川辺川ダム より

最初の最大の問題は川辺川ダム問題でした。
地域が分断されてこれからどのような方向に行くのかが分からない状態で、県政がバトンタッチを受けました。その表明文を出す。

私も未だに覚えていますが、朝の8時ぐらいまで、議会が10時に始まるんですけども、最後のギリギリまで手直しをして2人で作業したことをはっきりと覚えています。

非常に難しい問題で、ダムを作るということにも合理性がありますし、川の環境を守りたいという住民の皆さま方の思いもこれもまた同情できるもので、非常に難しい判断でした。

知事も悩む中、私も今からどのように書けばいいのかと悩みましたが、知事と一緒に、最後はこういう決断にしようということで白紙撤回ということにしました。

それが一番蒲島県政始まって最大の難題だったと思います。

その他にも蒲島県政は難しい問題を沢山抱えて、そしてそれを一つ一つ、丁寧に対応して前に進んできたと思います。

水俣病問題にしても、今も救済を待ち望んでおられる方々もいらっしゃいますし、またその後の、患者様に関してもしっかりとしたケアをしなければいけないというようなこともあります。

知事はそこに心を砕かれたわけですが、節目節目で私も手伝いをしてまいりました。

その後はリーマンショックですね。
これからもコロナで大きく経済が落ち込むということも考えられますが、多くの失業者が沢山出られて、どのようにセーフティネットを作っていくかという事も制度を作って行ってきました。

そして他にも荒瀬ダム問題ですとか、公共関与の(産業廃棄物)最終処分場とか、住民の皆様の怒りが爆発して、その中で非常に辛いお願いをしなければならなかったり、あるいはとことんまで膝詰めで話をして妥協点といいますか、納得いただけるような道を探っていくというようなこともやってきました。

今から思えばそういう場面はもう無くなってきましたが、本当に怒号が飛び交う中で正座して、お話を聞くようなこともあったなぁと覚えています。
そして私が参与の時の最後の頃が東日本大震災でした。

この時に知事から言われて、他の職員さんを危険に晒すわけにいかないから「お前が行け」ということで、当時の兵谷さんの秘書をしていた清田さんと一緒に二人で、東北がどういう状況になってるか分からない中、とりあえず詰め込めるだけの物資を車に積んで、そして全国知事会で熊本県は宮城県を応援してくださいってことでしたので、宮城県庁へ。

そして東松島市を熊本県さんやってくれませんかということで東松島入りして、そこからリエゾンとなって第1陣、第2陣、第3陣という風に順々に送り出していくようなことをしました。

東日本大震災の経験というのも、その後に熊本地震が起きたのですが、とても貴重な経験をしたなという風に思っています。
そして蒲島知事が2期目に入った時に、副知事をやるということで6月に拝命されました。

議会の方では、当然私が一体何者か?当時38歳でしたから、全国で最年少でしたがそんな年でやれるものなのかと、しかも実績はどうなんだ、というようなご懸念、ご心配はありました。

そういう中でもお任せ頂いたということで、私もそれに応えなければいけないということで一生懸命やってきました。

非常に記憶に残ってるのは、就任して2週間後。
熊本の広域大水害が起きて、その時知事は韓国に出張していました。そして村田副知事もアメリカに出張していました。

私しかいなかったのですが、慣れないながらも人命の救助を最優先にして、(本庁の)隣の防災センターで指揮をとったのを、ものすごい緊張感でやったのを思い出します。

くまモン

画像引用:熊本県庁 くまもん公式サイト より

もちろん、前向きな仕事もありました。くまモンをどういう風に広めていくのか、著作権を買い取って、その後県内の企業さんには使用料フリーで商品を作っていただこうというのも決めました。

そういったことでどんどん(販売が)伸びていきましたが、見ていてそこで気付いたのは、海外で人気があるんですけれども、どうも海外の方が欲しがる商品がくまモンにはないんですね。

熊本県内の事業者だけではなかなか海外のマーケットを分かっていないので、しかも商品点数が少ないので、くまモンは香港や台湾に行っても、商品自体が少なくてなかなか売上が上がらないということがありました。
それはお客さんにとっても非常に残念なことでもあります。

それを見て私は、これは海外の企業にもライセンスを解放して、そしてくまモンを楽しんでいただくような環境を作らなきゃいけないと思いました。
海外の企業にはもちろんライセンス料はいただきます、それは著作権の管理のために使わせていただくんですが、海外の企業にもくまモン商品を作っていただくというところもありました。

そういったことで様々な仕事をやってきましたが、ただ総じて言うと困難の仕事が多かったかなと。

熊本地震もそうでした。この四年間は熊本地震を中心に創造的復興をどういうふうにするのかと、住まいの再建をどういうふうにするかってことを一生懸命やってきました。

そして今このコロナ禍ということで、熊本も感染爆発が起こりそうな時もありましたけども、知事はじめさまざまな方が、医療関係者の方も、努力されて今落ち着いているということになっています。

出馬の会見はもうしましたので、そのことは繰り返しませんけれども、私も今日で熊本での仕事を終わって次のステップに行くことになります。

今まで通り、本当に愚直に、まっすぐに自分の言葉で相手の目を見てお話をして、そして私がどういう人間なのか、そして何を考えて何をしようとしてるのか、ということをお伝えできればという風に思っています。
そのこと以外にはないかなと思います。

この(選挙までの)期間がありますので、様々な方にお会いすることになると思います。

そういった方々のご意見をよくお伺いをして、そして一体東京・日本の将来になるためには何をなすべきなのか、ということをしっかりと自分の頭でも考え、そして支援してくださる仲間とも考えて、良い政策をご提示できるように努めたいと思ってます。

いよいよ明日から上京しますので、私もこれから違う環境に入っていくので、なかなか慣れない所はあるのかなと思いますが、短期間ですので、一生懸命突っ走って悔いのないようにできればなと思います。
よろしくお願いします。

退任挨拶


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