あの頃はインタビュアーじゃなかった

ひさびさにテープ起こしをした。

しかも、自分がインタビュアーじゃないやつ。
これはもう、新卒のときぶりかもしれない。

初めて取材したのは大学1年生のとき。
雑誌を作る授業の課題で、だった。

たしか、大学の敷地内にあるコンビニの店長に、
「どうして猫缶が充実しているのか?」を聞きに行った。
(そして実際に試食した。味は・・・ツナ缶の味が薄いやつだったかな)

もう少し真面目に取材したのが、大学2年生。
なんと、京都で舞妓さんに取材させていただいた。

なぜか実家にあったテープレコーダーを握り締め、
まだ10代の若い舞妓さんから言葉を引き出そうと、
拙いなりに頑張ったが、いざテープ起こしをしたら内容は薄かった。

インタビューの難しさと、
何よりも自分の未熟さに呆然としたのを覚えている。

それでも、自分が担当したページは作らなくてはいけないので作ったが、
インタビュー記事だというのに地の文がやたら多い記事になってしまった。
幸いにもページ構成は褒められたが、やはり苦い思い出だ。

その後、着物絵師や花火の打ち上げ師にも取材した。

だが、面白い素敵な方々に取材しているはずなのに、
どうにも自分の取材記事はつまらない。
取材中もうまく話を聞き出せない。

取材じゃなくても、自分の文章はつまらない。
ある程度文章力が身につくと、それは如実になった。

なぜだろう・・・・・・。

取材させていただいた方に申しわけない気持ちでいっぱいになりながら
何度も何度も考えた。

そして、気がついた。

自分がつまらない、無知な人間だからだ。

そこそこ厳しい家で育った私は、
進学校で学んできたとは言え、世間を知らなかった。
まともに遊んだこともなく、どこかに行ったこともない。

だから、相手に聞きたいことさえ思いつかないんだ、と。

そう気づいてからは、できるだけ出かけるようにした。

先輩たちとの飲み会などに参加しては
できるだけ多くの方の話に耳を傾けたり、
お金が無かったので東京中心の関東ばかりだったけど、
いろいろな所に出かけては歩いた。

親からは「不良」と言われ、何度も怒鳴られたけど、
(世間的には普通の大学生だったけど)
そのおかげでようやく大学4年生の秋ごろ、自分の文章が少し面白くなった。

そして今がある。

マイナスからのスタートだった。
自分を勉強机にしばりつけ、自由を許さなかった親を恨んだこともあった。
私は作り手になれないんだと絶望したこともあった。

でも結局は自分次第だ。

同時に、あの頃と変わらないものもある。
それは、取材前のワクワク心。

これだけはあの頃のまま、
いつまでも絶対に失わないようにしたいな。

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