【小説】ミモザとマーマレード
【月を拾う旅シリーズ:No.3】
「美しい庭ですね」
水やりをする後ろ姿に声をかけた。
「あら、お客さん。珍しいわね」
振り返った女性は、チェック柄のロングワンピースに頭には三角巾。いかにも「お母さん」という出で立ちである。
「あの、月の落とし物について何か知りませんか」
女性は目を丸くした後、明るく微笑んだ。
「もしかして、アレのことかしら。待ってて、いま持ってくるから。そこのベンチに座っていて」
そう言って家の中へ入っていった。
「今回はあっという間に終わりそうだね」
モスグリーン色のガーデンベンチに腰掛け、旅の相棒に話しかける。
「だといいですけど、そんなに上手くいきますかね」
黒い犬……ハルマさんが不穏なことを言うので、その耳を軽く摘まむ。
「そういうこと言うと、本当にそういうふうになっちゃうでしょ」
「お待たせ。紅茶をいれてきたから、飲んでいってちょうだい」
あれ? 月の落とし物は?
そう書いてあるだろう私の顔を見て彼女は小さく吹き出すと、ココにあるわ、とティーセットをのせたトレイをベンチに置いた。
「たぶん貴方が探しているのは、このティースプーンだと思うの」
見ると華奢な印象の柄の部分に、月の王国の紋章がデザインされている。探し物はコレで間違いないようだ。
「このスプーンで飲み物をかき混ぜると、カップの中に思い出の光景を映し出してくれるのよ」
説明しながら実践してくれた紅茶を覗いてみると、キッチンに並んで立つ仲睦まじい母娘の姿が映っていた。
「私は月の落とし物を拾い集めているので、コレも回収させてほしいんだけど……いいですか?」
「もちろん。でも……お返しする前に、お願いがあるの。貴方、ちょっと手伝ってくれないかしら?」
私とハルマさんは顔を見合わせた。
ほらね、とでも言いたげな犬の耳を、私は黙って摘まんだ。
***
私たちはマム(と呼んでと言われたのでそうしている)のお願い事、庭の草むしりをすることになった。
借りた大きな麦わら帽子のおかげで、日差しはあるがそれほど暑さを感じない。
ハルマさんは少し離れたところでムシャムシャと草を食んでいる。
本当に食べているわけではないんだろう。あの口の奥は便利な収納庫になっているのだ。
庭には大きな木も生えていて緑が溢れている。ガーデニングに詳しくはないけど、ちゃんと手入れされているのだろうと思う。様々な花が美しく咲いている。
虫との遭遇や、慣れない姿勢での作業に苦労していると、マムが冷たいレモン水を持ってきてくれた。
「休憩にしましょう」
「わあ、ありがとう!」
ベンチに座り一服する。
草むしりの手伝いをしているだけなのに、目の前の風景に愛着が湧いてきている。
「マム、この庭を大切にしているんだね」
「お庭がキレイっていうのが、家族の幸せの象徴のようだと感じるせいかしらね……」
マムがため息をつく。
「実はね、ここを美しく保つことが、私なりのお祝いのつもりなの」
「何のお祝い?」
「娘が結婚するの」
それはおめでたい。
「おめでとうございます。その娘さんは一緒に暮らしてはいないの?」
彼女は家の玄関扉に顔を向けて、遠い目をした。
「喧嘩しちゃって。結婚することもね、人伝に知ったの。本人からは何も」
***
「私と貴女は違う人間なの。どうして分からないの?」
そう言って出ていってしまった娘。
「たくさん我慢してきたものが爆発してしまったみたいだった。私はその時まで、あの子が何を考えているか想像したこともなかったのかもしれない……」
マムがベンチのそばに生えたミモザの木を見上げる。
「娘の名前ね、ミモザっていうの。私の大好きな、幸せの色をした可愛い花」
「ミモザさんを直接お祝いしてあげたらいいじゃない。こんな遠回しの方法じゃなくてさ」
「いいの。私が勝手にやりたいだけだから」
***
私はティースプーンが見せてくれた過去のマムとミモザさんを思い返していた。
これは一緒にマーマレードジャムを作っているところね、と懐かしそうに言ったマム。
「どうにかできないかなぁー」
「星の子はお節介を焼くのが好きなようには見えませんが、違いましたか」
「まあね。でも……」
パグの鼻を人差し指でつつく。
「情けは人の為ならず、って言うでしょ。未来の自分に返ってくることを願ってるの」
「それは貴方らしいと言えるかもしれませんね」
私は勢いよく立ち上がった。
「うだうだ考えてもしょうがない! やるっきゃない、行動あるのみ!」
***
「マム、マーマレードの作り方を私にも教えて!」
「あら、いいけど……じゃあ金柑の実がなっているから、それを使いましょうか」
庭の真ん中あたりに生える金柑の木。可愛らしいオレンジ色の実がたくさんついている。
「あの子が生まれた年に植えたものなの。こんなに大きくなるなんてね」
収穫した金柑の実をよく洗い、下茹でし、実と皮に分ける。
皮は細くスライス。実と一緒に鍋に入れ、金柑の半量の砂糖と煮詰める。
「これなら、親子でできるね」
「あの子も、こんなに簡単に作れるんだ、って驚いてたっけ」
それからマムは私が鍋をかき混ぜている間、シナモンをちょっぴり足すと大人の味になるとか、ミモザさんはパンに塗ったマーマレードにココアパウダーを振りかけて食べるのがお気に入りとか、いろんな話をしてくれた。
話の流れに任せつつ、私は本題を切り出した。
「マム、マーマレードを作りすぎたから一緒にどう?ってミモザさんに連絡してみようよ」
「でも、しばらく会話していないし、また喧嘩になったら辛いわ。お互い意地っ張りなところ、そっくりなの」
「私がいるから大丈夫! って言っても、頼りないかもだけど……。とにかく何もしないなんてナシ。さあ、こういうのは勢いだから!」
***
ミモザさんは近くに住んでいるようで、その日のうちに会えることになった。
やっぱり意地を張ってるだけで、仲直りしたいんだろうな。
やって来たミモザさんのお腹は膨らんでいた。
「まあ! 何てことなの!」
驚いた顔で口を抑えるマム。
気まずそうにポソポソと喋るミモザさん。
「子供ができたの。この子の父親と結婚するわ」
どことなくピリッとした空気になる二人。
「はいはい二人とも、お茶にしよう」
成り行きを見守っていた私は、用意していたティーセットと手作りマーマレードを持って二人をガーデンベンチに座らせた。
「ジャムをスプーンで紅茶に溶かして飲むのがオススメだよ」
そう言ってマムにマーマレードを掬った月のティースプーンを手渡す。
マムがかき混ぜた紅茶に思い出の光景が浮かび上がる。
私はミモザさんに顔を向けて声をかける。
「ほら見て」
二人が覗き込んだカップの中には、生まれたばかりのミモザさんを腕に抱く若いマムの姿。
何とか泣き止ませようと手を尽くす姿。
危ないことをしそうになるのを必死の形相で止める姿。
眠る顔をこの世の何よりも愛おしそうに見つめる姿。
目を見張るミモザさんの頬をつたった雫が紅茶に落ちて、大きな波紋を作った。
震えた声でミモザさんが言う。
「子供ができたって分かったとき、怖くて、不安で。親になるんだって思って、貴女のことを考えた。ちゃんと話し合いたいって」
マムは潤んだ目でミモザさんの手を握り、力強くその肩を抱き寄せた。
「貴女の夫になる人を連れていらっしゃい。この庭でたくさん話をしましょう」
***
「また一つ回収できたね。はいハルマさん、あーんして」
ティースプーンは犬の口の中に飲み込まれていった。
「星の子のお節介が良い方に働いてよかったですね」
「今回みたいに上手くいくことばかりじゃないだろうけど……、これからも目についたものは見なかったフリしないで、できるだけ多くのものを拾っていけたらいいな」
「その調子でいきましょう。私もついていますから」
「頼もしいね!」
玄関扉に飾られた色鮮やかなミモザのリースを見る。幸せが訪れるように、とマムは言っていた。
「何だか黄色で真ん丸で、お月様みたいじゃない?」
「月は黄色くはないですよ」
私は口を尖らせて、つれない犬の耳を摘まんで揺らした。
【続く】
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