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ポルシェに乗った地下芸人.5

ネタを書き終えた僕は、会計をしてカフェを出る。

ついつい注文してしまったケーキと追加の飲み物で2,000円を超えてしまったが、良い環境でこそ良いネタは生まれる。これは必要な投資なのだ。

駐車場からアルピナを出して家に向かう。時間は21時を過ぎた頃で高速道路はまあまあ流れている。小一時間で自宅に着くと、妻がおなかが張ってきたと言う。

数日後に予定日を控えている。もしかしたら陣痛なのかもしれない。しかし僕にとっても妻にとっても初めての経験である。素人考えよりもプロの見解。すぐに都内の病院に電話をかけたところ、とりあえず入院の用意をしてくるように言われた。

え、もう産まれる感じなの?慌てて着替えを用意して妻を車に乗せて病院に向かう。アルピナは妊婦には乗り降りがしにくいようで、スライドドアの国産車で新宿区の病院に向かう。

検診などで慣れた道である。首都高を飯田橋で降りて病院へ車を走らせる。夜間外来の入り口に車をつけて妻を下ろして車を駐車場へ入れる。

よくわからない待ち時間が続く。妻が陣痛を伝える。看護師さんに伝えると妻は処置室に連れて行かれ、ベッドに寝かされた。

僕は待合室にいるように指示されたが、長引きそうなので外に出て自販機で買った冷たい緑茶を飲む。蒸し暑いから緑茶が心地よい。

さっきまで新宿にいて、またさいたま市の自宅から新宿区に舞い戻る。

とりあえず時間を持て余すので、スマホを開いてネタを見直す。

やはりよくできている。

「SMクラブに電話したら、ゴールデンボンバープレイがおすすめだと言われたんですよ。どういう内容か聞いたら、緊縛ですだって」

これは面白い。時事も取り入れている。ウィットに富んだ大人の笑いだ。

そう思いほくそ笑む。これはウケるぞお。待合室に戻り、文庫本を取り出す。

真山仁先生のハゲタカの続編である。これは実に面白い。読み応えもある。

あっという間に小説の世界に没頭する。主人公の鷲津はもちろん大森南朋で脳内再生だ。

看護師に呼ばれる。

とりあえず今日はこのまま入院になる。おそらく明日産まれるだろうから、また来てくれと。

もう23時を回っている。妻にお大事にと声をかけて駐車場に向かう。

妊娠出産は病気じゃないという世間の言葉を思い出す。いやいや、女性にとって命懸けの一大事業だろうと思う。安全に出産する為の医療的ケアは必須だろう。病気じゃなければ放置してればいいのか。それなら老化による様々な身体的問題も放置していればいい。いつまでそんな前近代的なことを言う人間を許すのか。

とかなんとか考えていたら、あっという間に自宅最寄りの高速降り口まで来ていた。高速を降りて信号を待っていると電話が鳴った。病院からだ。

「そろそろ産まれそうなので、戻ってきてください。」慌ててUターンし高速に乗る。今日は往復するなあ。急いで病院に戻る。1時手前。分娩室に向かう妻。

こうして僕は父親になった。元気な女の子だ。

小さな小さなその新しい命を手のひらに抱いて僕は思った。

「君は芸人の娘として産まれたんだよ。ママはまだ知らないけど。そして君にも今はまだそれを教えない。でもね。君がテレビを見られる頃には、パパをテレビで見るかもしれない。それまでパパが芸人であることは君たちには秘密にしておくよ。絶対に」

こうして、本人たちはなんの自覚もないまま芸人の妻と芸人の娘と芸人は3人家族として歩んでいくのだった。

この伏線がいつか回収できる日が来るのだろうか。僕の胸の中だけにしまって葬り去ることになるのか。

ともかく次のライブまで数日しかない。妻と子供に何もないことを祈って帰宅し、ベッドに倒れ込む。

僕はパパになった。

皆さまの支えがあってのわたくしでございます。ぜひとも積極果敢なサポートをよろしくお願いします。