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【デーブ・ニルソン】オーストラリアの野犬ディンゴの名で呼ばれた大砲はMLBのトッププレイヤーとして野茂とバッテリーを組むも母国の代表としてシドニー五輪に出たいと来日 横浜の夜空に場外弾を放った左打者

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はデーブ・ニルソンを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=ZoIEPiuor_o&t=5s

1969年、オーストラリアは
クイーンズランド州ブリスベンに生まれた
本名デビッド・ウェイン・ニルソンは、
ケドロン高等学校を卒業した1987年、
ミルウォーキー・ブルワーズと契約すると
1992年にメジャーデビューを飾りました。

大型捕手としてレギュラーに定着し
打率2割7分以上をコンスタントに残して
迎えた1996年、
打率3割3分1厘、17本塁打、84打点を
マークしてトッププレイヤーの
仲間入りを果たすと
1999年には野茂英雄とバッテリーを組んだのです。

この年、オーストラリア出身の選手として
初めてオールスターゲームに選出された左打者は、
インターコンチネンタルカップに
母国を代表して出場すると
4番に座ってMVPを獲得、
シーズンの方では
打率3割9厘、21本塁打、62打点の成績を
残しました。

翌年も変わらぬ活躍を期待された
オージーでしたが、2000年は
オリンピックイヤーでもあり、
自国で開催されるシドニー五輪に
オーストラリアを代表して出場する事が
夢だった大砲は
規定により出場出来ないMLBから
他国への移籍を希望したのです。

ちょうどその頃、リーグトップの防御率を誇る
投手陣を擁して11年ぶりにセ・リーグを
制した中日ドラゴンズは
山崎(やまさき)の離脱により
日本シリーズに敗退、
広いナゴヤドームを苦にしないゴメス、
山崎に次ぐ大砲を探していました。

前年MLBで3割20本以上の大砲が宙に浮いている
事を知った中日は
シドニー五輪の出場を認める形で契約を
持ちかけると、無所属のままオリンピックを
待つしかないと思っていた
現役バリバリのメジャーリーガーはすぐに快諾、
身長191センチ、体重105キロの
助っ人は海を渡って来たのです。

出身地オーストラリアに生息する野犬
「ディンゴ」のニックネームで
登録された助っ人は
自身が紹介して一緒に
入団させたダン・カールソンとともに
来日すると
「五輪でチームを離れるまで
打ちまくるよ」と
威勢のいい言葉を発しましたが
一部の関係者は
「シドニー五輪に出たいだけでやる気は無い、
それまで怪我しないように手を抜くよ」と
活躍に疑問を投げかけました。

開幕戦に5番レフトで先発出場した助っ人は
第二戦で来日初ヒットを記録したものの
開幕2カード終わって20打数3安打、
特に石井一久、工藤公康、ダレル・メイなど
エース級の左腕にきりきり舞いさせられる姿に
一抹の不安を覚えましたが、4月7日の横浜戦で
場外ホームランをかっ飛ばし
メジャーリーガーの片鱗も垣間見せたのです。

打撃不振で2軍に降格するも
45試合で打率3割4分2厘、9本塁打と奮起して
7月に再昇格、19日のヤクルト戦で
3回から6回まで捕手としてマスクをかぶりましたが
7月28日の見逃し三振が日本最後の
打席となりました。

18試合で打率1割8分、1本塁打、8打点という
成績に終わったディンゴは、
9月にオーストラリア代表として
念願の五輪に出場、
黒木からホームランを放つなど
予選リーグ打率5割6分5厘、長打率9割5分7厘と
桁違いのパワーを見せると
3年間のブランクを経て
イタリアリーグ・セリエAで現役復帰、
2004年にはアトランタ・ブレーブスと
マイナー契約を果たします。

再び、オーストラリア代表としてアテネ五輪に
出場した大砲は打率2割9分6厘に捕手としての
盗塁阻止率62.5パーセントの活躍を見せて
阪神タイガース、ジェフ・ウィリアムスとともに
母国に初めての銀メダルをもたらしました。

2006年に開催されたWBCのオーストラリア代表を
最後に引退すると、母国のリーグで監督に就任、
後に
中日入りするドリュー・ネイラーを指導したほか、
2016年から3年連続でチームを優勝へ導くと
その手腕を買われて
オーストラリア代表チームの指揮官に就任したのです。

2022年、栗山監督率いる侍ジャパンと対戦する事を
楽しみにしている助っ人は
「世界ランク1位の日本と対戦出来る事に
興奮しているよ、大変な事だけど
挑戦のしがいがあるね」と語ると、
受けて立つ栗山監督も
「オーストラリアにはアテネのようにやられてきた。
ディンゴは日本の野球を理解しているから
それを想定して分析していく」と火花を散らしました。

在籍当時の指揮官だった星野監督の逝去に触れ
「とても悲しいニュースだった。
全ての日本の野球人にとって重要な人物。
僕は当時ホシノさんの力になれなくて
後悔の念をずっと持っていたんだよ」と
役に立てなかった事を
今でも悔やんでいるという助っ人は
水泳のイアン・ソープと並び、
オーストラリアのスポーツ殿堂入りを
果たしている英雄にして
母国に深い愛情を示した野犬、
デーブ・ニルソン。

いかがでしたでしょうか?

これからも海を渡り、日本に衝撃を
与えてくれた最強の助っ人たちを
ご紹介していきますので
是非ご登録よろしくお願いいたします。
ご視聴ありがとうございました

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