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「なんで勉強するの?」と言われて答えられますか?

はじめに

「なんで勉強なんかしなきゃいけないの?」
 この問いは誰もが考えたことのある問いでありながら、なかなかその「答え」に納得できなかった問いではないかと思います。皆さんは、子どもにこの問いを投げかけられたらどのように答えるでしょうか。今回は哲学が積み上げてきた知恵をお借りして、この問いについての「答え」を探っていきたいと思います。

 一般化の罠

 問いを投げかけられるとすぐに一つの「答え」を探そうとしてしまうのが人間の性です。まずは、この一般化の罠から抜け出さなければなりません。「良い大学に入って良い会社に入るため」や「論理的思考力を鍛えるため」などといったいわゆる一般的な「答え」は様々ありますが、そのようなことを言われて幼少期にむしろ勉強へのやる気をなくした方は少なくないのではないでしょうか。人によって、あるいは、時と場合によってその「答え」は変わります。

納得解

 しかし、誰もが「あぁ、そう言われれば納得できるな」という「答え」なら探すことはできますよね。ここでは、“納得解”と呼ばせていただきます。変化の激しい世の中で、子ども達が社会を力強く生き抜いていくためには、正解のない問いに対して“納得解”を見つける力が大切だと思います。これまで哲学は、正解のない様々な問いに“納得解”を与えてきました。さて、哲学者はどのような「答え」をつむぎ出してきたのでしょうか。今回は、教育界で注目されている哲学者の苫野一徳さんの出した「答え」を紹介します。

結論「なぜ勉強するの?」

 だれにも共通する、勉強する意味。それは、「〈自由〉になるため」です。ここでいう〈自由〉とは、好き勝手にできるとか、ワガママ放題やることではありません。「生きたいように生きられる」という実感のことです。もう少し分かりやすくいうと、できるだけ納得して、さらにできるなら満足して、生きたいように生きられているという実感を持つことです。このような〈自由〉を手にするためには「力」が必要です。その「力」をつけるために私たちは勉強しているんです。学者になるためにはそのための膨大な知識が必要であり、世界で活躍するビジネスマンになりたいのであれば外国語力や世界についての「教養」が必要でしょう。他にもスポーツ選手になりたければ、そのために様々な「力」が必要になると思います。私たちは〈自由〉になるために勉強をしているのです。

「学力」とは

 最後に「学力」について話をしたいと思います。学力とは何か。これはテストの点数や、偏差値など様々な考え方があると思いますが、苫野さんは学力を「学ぶ力」と定義しています。自ら「学ぶ力」です。この先、子ども達は100年近く生きることになると思います。今のうちから追い込んで勉強を詰め込んで「学ぶ力」がつくでしょうか。むしろ「学ぶ」ことに対する嫌悪感を抱き、この先「学ぶ力」を持たない大人になっていくのではないでしょうか。私は、この先の長い人生、〈自由〉になるために学び続ける大人になるように子ども達を育てたいと思っています。

 最後、少し熱くなってしまいましたが…いかがだったでしょうか。これからも、この問いについて思考を続け、たくさんの子どもと“納得解”を創っていきたいと思います。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

参考文献
苫野一徳「勉強するのはなんのため?」、2013

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