飾らない教育
はじめに
私は、先生という職業は「飾らない」ことがとても重要だと考えています。
結論から書けば、先生として飾ってしまうと
子供の勉強に対する挑戦心が薄れ、精神的安全性が担保できなくなってしまうからです。
今回は弊塾でも実践している”飾らない指導"とその目的について、皆様に共有したいと思います。
完璧指導と挑戦心
先生に憧れを持つことは良いことですので、憧れられる先生像を目指すことはとてポジティブなことです。
しかし完璧な先生を目指しそれに沿った指導を行った場合、子供は挑戦心を持つことが難しくなるでしょう。
例えば、どんな質問にも必ず完璧な答えを教えてくれる先生がいたとしましょう。
そんな先生は理想の先生だ! と思う人も多いかもしれません。
※少なくとも、どんな質問にも答えられない先生よりはマシですが…笑
しかし、子供の立場が自分だったらどうでしょうか?
上司や友人に仕事やプライベートの悩みを相談したら、いつも完璧な答えが返ってきたらどんな気持ちになるでしょう。
1度2度ならば問題ないかもしれませんが、何度も続くと
「私は仕事ができないかもしれない」
「最適解とは分かっているけど、それが難しいんだよなぁ」
など、モヤモヤが出てくるのではないでしょうか。
では、一緒になって考えたり、同調して悩んでくれたらどうでしょうか。
少し違った結果になると思います。
子供と大人で違うところは、子供は学問という必ず正解がある問題と戦い、大人は正解のない問題と戦うという点です。
しかし問題の性質は違うにせよ、指導方法は一緒です。
子供に完璧な先生を演じた時、子供は自分の能力が不足していると感じることがあります。
その結果、言われたことだけをこなす。といったように、無駄な失敗はしない選択をするような性格になります。
そのため、弊塾では子どもと一緒に考えることをとても大切にしており、子供からの質問に対しすぐ答えを提供するのではなく
「確かになんでなんだろう?でも、こんなやり方だったらどうなるんだろう?一緒にやってみようか!」
のように、先生も分からないから一緒に別の方法で解いてみる。というスタンスで正しい解答ルートに導いています。
教育現場の精神的安全性
私は、塾という環境は子供たちにとって「精神的安全性」を担保できる環境でなければいけないと考えています。例えば
いつでも質問して良い
問題を間違えても怒られない
先生の機嫌を伺わなくて良い
以上のことが挙げられます。
※勿論、宿題をしなくても怒られない。というのは入りません笑
精神的安全性を担保するためには、何よりも先生と生徒の関係性の構築が重要です。
自分の意見や質問を、気軽にできる存在であること。が理想であり、その為には「身近な存在」であることを子供に伝えなければいけません。
その為には全知全能の近づき難い人間を演出することはナンセンスであり、より子供の周囲の人間の色に近い人に擬態することが重要なのです。
まとめ
今回は飾らないことの重要性について書きました。
少しでも弊塾の考え方に共感してくれた方がらっしゃいましたら光栄です。
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。
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