疑似ベーシックインカム世代のなったらのこと

「お金のために働く必要がなくなったら、何をしますか?」というエノ・シュミットという人が書いた本が光文社新書から出版されています。
この「お金のために働く必要がなくなったら」というのはベーシックインカムで生活を賄えたらということなので、何だか遠い国の夢物語みたいに聞こえてしまうだろうと思います。だけど実は、それは日本の老人の事を指していると想像しても当たっている!というのが、今考えていることです。年金て、疑似ベーシックインカムだと思います。

私もそのうち受け取る老齢年金は、世間ではそれだけでは生活に足りないと言われていますが、足りるか足りないかは人によって事情が大きく違い、足りる人がいます。実際に私のご近所さんにも足りている人が大勢住んでいます。お金をたくさん稼いだ人もいるし、うまく生活を小さく切り替えてお金があまりかからずに暮らし始めたので足りている人もいます。

そんな「足りている人」にとっては年金はベーシックインカムとまったく同じと考えても外れていないだろう?と思います。支払われる仕組みは違っていても、結果から眺めたら、「もはやお金のために働く必要が無くなった!さて、何をしていこう???」当事者はこう考えることでしょう。

私は来たる公的年金受け取り時代に備えて、そうなったときの対策を手に入れたので、さらにうまくやれるように練習をしています。
まず成功者の例に習って、自身の暮らしのダウンサイジングをうまくやって、年金受け取りの繰り下げもして、年金だけで暮らせるようにします。
それで足りたら「何をしましょうか?」と、その時になって考えるのではなくて、今から作戦を練って実際にやって練習しておこう!というのが魂胆です。

お金のために働く必要がなくなっているハズなので、収入の見込めないことを狙ってやるようにしていますが、ここでよくめぐりあうのが慈善事業というものです。
他にもあるかも知れません。慈善事業はいいのですが、もう少しビジネスっぽい活動もしたいと模索している最中ですが、どこにでもニーズが転がっていて、それを拾う人が少なくて、その気さえあればすぐに始められる事が慈善事業です。

たとえば消防団とか、地震災害ボランティアとか、道に落ちているゴミの掃除とか、その他に様々な慈善事業があります。一人でできる事もあるけど、グループで活動をすることが多いから、会社を辞めて年金生活世代になってからの新しい社会に加われて、体も心も健康が保たれそうだです。そういうネタの中から「何をしよう?」を探すか、自分で仲間を集めて活動を始めたら!?と私は考えました。

今やっているのは地元の公立小学校の授業サポートです。授業でやっている自然観察での解説とか、観察授業の計画や人集めなどをやっていますが、これにはお金がつきません。だから慈善事業です。

このような話を全然別の知人に説明すると「贅沢な!」とか「ヒマ人」とか一蹴されたこともあります。実際そうなのでしょう。当たっているのでしょう。しょっちゅう学校に出入りしているからヒマでないだけで、もしそれをやめてしまったら「ヒマ人」になると思います。

しかし、小学校の支援に限らず、慈善事業も自分で事を構えて始めると様々な課題にぶち当たり、その度に調べたり、仲間で話し合ったりして工夫しながら進めていかなければならない事が出てきます。少し進めると新しい出来事が勃発して、それで今までの勘違いが分かったり新しいやり方が見つかったりするので、いわゆる「奥が深い」わけです。

そういう仕事が放置されている理由は、それをやってもお金にならないし、やっても「ヒマ人」と揶揄されてしまうむなしさがあるからなのでしょう。
実際私もまだ練習中の身なので修行が足らず??なのか、いくつかのボランティアは骨折り損のくたびれ儲けだと思っています。慈善事業の達成と骨折り損のくたびれ儲けはまさに薄紙の表裏の関係なんじゃないでしょうか。

慈善事業を外して考えると、「お金のために働く必要がなくなったら、何をしますか?」の選択肢は他に、趣味をする、孫育てをする、家事をするなど、まだ残っているとは思います。
そういうのもアリだと思います。そういう活動をお金関係無しに進めて行けるのが年金受け取りの一面としてあると考えています。

ただ、早く練習を始めた方がいいのではないだろうか?と考えて、私は身近に転がっていて「やってくれない?」と頼まれた小学校の慈善事業から始めてみました。


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