おに先生@小学校教員

小学校の教員です。熱しやすく落ち込みやすい人ですが、学校教育を少しでもよりよくできるよ…

おに先生@小学校教員

小学校の教員です。熱しやすく落ち込みやすい人ですが、学校教育を少しでもよりよくできるよう、地道に頑張っています。『学び合い』を実践しています。子どもを信じ、子どもの多様性を認められる先生になりたいです。

最近の記事

学習者主体はいつくるんですか。

アクティブラーニング 主体的・対話的で深い学び 個別最適な学び まあ、ここ数年でいろいろな言葉が出てきたわけですが、結局のところ 「学習者主体の学び」を目指しているわけなんですよね、国や自治体は。 で、それについて連載してまとめたわけです。 学校の先生の読者の方に聞きたいのですが「学習者主体の学び」って進んでいますか。そうならそうでいいと思うのですが、僕の勤める学校、そして近隣からも「学習者主体」感は全く感じないんですよね。 言い切っていいかどうかわからないですけど、も

    • 行きたくない

      学校、教室、特定の授業に行きたくない… そんなことを話す子どもたちと日々関わっている。 親や教員など、大人が行きたくない理由を聞くと、 「集団がこわい」「◯◯さんとうまくいってない」「勉強が苦手」「先生が苦手」などなどもっともそうな理由が返ってくる。そして、大人は「特性だから」「◯◯な性格だから」「◯◯な苦手な子だから」と結論づけて納得する。 そして、大人たちは、子どもをひとまず休ませる。ひとまず保健室にいかせる。ひとまず、専門家にまわす・・・でも、そこから先がいつも何もな

      • 僕はもう別の世代なんだ。

        世代間ギャップか、視野の広がりか。 同じ職場の若者たちとのみにいく機会がありました。僕が最年長だったし、管理側の職務なので、お酒はのまず、余計なことをしゃべらないよう心がけました。 いろいろな話を聞きながら、趣味や実生活に関する話題の違いがあるのは分かるけど、同じ職場にいるのに、仕事に関する見方・考え方が全然違うことに驚きました。 改めて考えれば、日々の仕事の範囲や内容、自身の経験が違えば、見ている範囲、考え方が違うのは当然で、いつの間にか僕自身が大きく離れていただけな

        • 仕事がない。それならどうする?

          教務3年目。今の僕はたいして仕事がない。 教務という職務の基本的な仕事は、毎年同じだ。だから、仕事のほとんどが、 昨年または一昨年前に経験したものなので、新たに作り出す必要はない。 しかも、必要な仕事は、一年目にほぼすべて完了した。 昨年度は、人員の関係で、出張や年休、病休の補充があり、それなり毎日忙しくしていたけれど、今年は人員がそろっているので、それもあまりない。 日中、各教室の見回りをして、新任の先生のクラスに入って、保健室に行って、必要があればトラブル対応。あと

        学習者主体はいつくるんですか。

          季節の変化を感じながら

          今年の9月はとても暑かった。でも、朝晩はそれなりに涼しくなってきていて、少しずつ季節の変化を感じていた。これから先は寒くなっていって、1年間の終わりに近づく。さて、これから先はどんなことがあるんだろうか。 2年前から、10年日記というアプリを使って日記を書き続けているので、1年前、2年前の同じ日にどんなことをしていたか、振り返ることができる。 僕はある子と向き合う時期があった。 試行錯誤の日々だったけど、正直言って、どうすればいいかわからなかった。 結局、どうすることもで

          季節の変化を感じながら

          心身の不調を予防するために

          今年の6月、心身の不調のため仕事を3日間休みました。 原因は、その1ヶ月前くらいから、とある方の言動が気になってしまい、限界を迎えたわけですが、最近になってまたその時と同じ状況になってきました。 自分のことしか考えられない人というのは、本当に変わらないんだなと思います。 前回のようにならないよう、僕も調子を崩さないように立ち回っていこうと思っています。要するに「気にしない」「距離を取る」「関わらない」などなど・・・ ただ、それだと仕事が効率悪くなるし、何も楽しくありませ

          心身の不調を予防するために

          逃げるな、向き合え

          「逃げるな、向き合え」 こんなことを何度か思った1週間。 でもそれは、僕がただ表面だけを見ていて、そう感じているだけかもしれない。 もしかしたら自分のせいで・・・ このままじゃいけないのかも・・・ もしかしたらそんな想いを持っているかもしれない。 でも、正面きって「逃げるな、向き合え」なんて言っても「お前に何がわかる」と思われるに違いない。人は正論に対して簡単に受け止められない。 向きあいたいけど、向き合えない。 分かっているけど、うまくできない。 それは「弱さ」と

          逃げるな、向き合え

          どんな中学時代でしたか

          中学校時代の夢を見ました。 決して楽しいものではありませんでした。 「お前らなんかと付き合ってられっか」と叫んでいました。 大人になった今だからこそできる、心の声なんだろうと思います。 みなさんは、どんな中学時代でしたか? 僕は、一つもよかったことを思い出せません。 楽しくなかったこと、苦しかったことばかりです。 今だったら不登校を選んでいたかもしれません。当時は不登校自体が珍しく、学校に行くのが当たり前でしたから、考えもしませんでしたが、その後の高校入試でも、出席日数は

          どんな中学時代でしたか

          【学習者主体の学びについて思うこと その⑤】

          いろいろ書いてきましたが、僕の経験上「学習者主体の授業は簡単じゃない」と思うのです。教師が「伴走者」「サポーター」「ファシリテーター」になると福岡市の重点では示されていますが、僕は正直言ってどれもできていたとは思えません。難しいと思います。「なんで先生が授業を進めないのか」「子どもが教えてくれないと言っている」「子どもが一人ぼっちになっている」など保護者からの訴えがあるかもしれないことをわざわざ選んでするくらいなら、普通に授業すればいいじゃんと思う教師は少なくないと思います。

          【学習者主体の学びについて思うこと その⑤】

          【学習者主体の学びについて思うこと その④】

          僕が本当に目指しているのは「すべての子の学びが保証されること」であり、そのために「一人も見捨てない」を語る『学び合い』を実践していたと思います。一部の子どもたちの存在を無視してまで、子どもたち主体の学習を実践することが目的ではなかったと失敗してみて気づきました。要するに、一人ぼっちの子も含めた教室にいるすべての子のための「学習者主体」なのか、「学習者主体」のための授業なのかによって大きく異なるということです。(ここが自由進度学習と単元『学び合い』の違いだと僕は考えています)

          【学習者主体の学びについて思うこと その④】

          【学習者主体の学びについて思うこと その③】

          子どもたちの学びや活動に自由度が増すと、一人ぼっちの子がクラスに必ず出てくると思います。理由は簡単で、関わりやすい子と関わるのが「楽」だからです。望んで一人になりたい子もいますが、グループが固定化されてしまって入るに入れない子や、何をすればいいか分からずに固まって孤立化してしまう子がいます。 ある学年のクラスで、算数科の単元20時間程度すべての課題プリントを作成し、子どもたちが自分のペースで学べるようにしたことがありました。個々の能力に応じて、自分のペースで学べるだろうと思

          【学習者主体の学びについて思うこと その③】

          【学習者主体の学びについて思うこと その②】

          小学校のある学年を担任していた時。社会科の授業では、事前に単元全体の課題をわたして、子どもたちが自分たちで学習ができるようにしていました。今では「自由進度学習」とも呼ばれるそうですが、当時は単元『学び合い』と呼んでいました。(僕は似て非なるものだと考えています)そのクラスでは、学習の流れが分かってきた頃から、予習をしてくる子が増え、2学期頃には予習した課題を学校で交流する状態になっていました。学習塾に行っている子たちにとっては、ちょうどいい「アウトプット」の機会になるし、はじ

          【学習者主体の学びについて思うこと その②】

          【学習者主体の学びについて思うこと その①】

          僕が勤める自治体の「令和6年度学校教育指導の重点」にこれからの教師の役割が以下のような示されています。「児童生徒一人ひとりの学びを最大限引き出すために、教師の役割を、児童生徒の学びを支える伴走者に」 ・児童生徒の主体的な学びのサポーター ・児童生徒の協働的な学びのファシリテーター ・「学習者主体の学び」へ 最近このような「伴走者」「サポーター」「ファシリテーター」という言葉をよく見聞きするようになりました。「学習者主体の学び」が強調されているのは、数年前に「令和の日本型学校

          【学習者主体の学びについて思うこと その①】

          「気にするな」で気にしなければ困ってない

          長い夏休み期間も終わり、来週から勤務開始である。 夏休みが8月いっぱいだった頃は、まだもう少し余裕があった。 でも、その分研修や作業がたくさん入っていたから、どっちがよいのかよく分からない。 さて、来週から勤務ということで、仕事のことが頭にちらつくようになってきた。 正直言って、憂鬱である。 仕事自体が嫌なのではない、職場で関わりたくないことがあるからだ。 職場にきただけでOK 朝起きただけでOK そんな言葉をSNS上で見かけるが、はっきり言って不快である。 何をそんな

          「気にするな」で気にしなければ困ってない

          思慮が浅かった

          (僕の)思慮が浅い。 浮かれていたとも言えるのか。 昨晩のZoom会で気づいたこと。 ただただ反省。 6月に体調を崩して、復帰。1年以上耐え続けてきてたことから解放された上に、多くの同僚たちから同情され、共通の敵を作り出していたことに対して「いい気になっていた」んだろうと思う。 「調子に乗りすぎたらいかんな」と薄々感じていたけれど、甘かった。元気に過ごせるようになったことに感謝し、今回のことが勉強になった・いい経験になったと思えばいいだけで、いい気になっていたら今回

          知ってるつもり

          『知ってるつもり:無知の科学』という本を読みました。 SNSで紹介されているのを見て、関心があったからです。 ・ファスナーやトイレなど、普段何気なく使っているものの仕組みを分かった気になっているけれど、いざ説明しようとしても難しい。つまり人は、何ごとにおいても「分かった気」になりやすくて、周りから得られる知識でそれを補填しようとしている。 ・自動車をパーツにおいても、多くの部品が合わさっているから、それらすべてを説明できる人はいない。また、何でもかんでも細かく説明すればい