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【学習者主体の学びについて思うこと その②】

小学校のある学年を担任していた時。社会科の授業では、事前に単元全体の課題をわたして、子どもたちが自分たちで学習ができるようにしていました。今では「自由進度学習」とも呼ばれるそうですが、当時は単元『学び合い』と呼んでいました。(僕は似て非なるものだと考えています)そのクラスでは、学習の流れが分かってきた頃から、予習をしてくる子が増え、2学期頃には予習した課題を学校で交流する状態になっていました。学習塾に行っている子たちにとっては、ちょうどいい「アウトプット」の機会になるし、はじめてその単元を学ぶ子たちにとっては自分のペースで学ぶことができていました。11月頃にはテストの点数は全員90点以上取れるようになりましたし、記述式の課題を出しても文句のつけようがない回答をしてくる子たちがいて、それぞれの課題に合った学習ができていたのではないかと思います。僕が主導で話す時間ははじめと最後に少しずつだけで、授業時間のほとんどは子どもたちの学びの時間でした。「学習者主体」の授業だったといってよいのではないかと思います。

子どもたちが予習をして周りと交流したり、課題に対して議論をしたり、教え合うことで「わかった」「できた」があったりする学びがある時は、子どもたちがイキイキしているように感じます。また、僕が作った課題の上を行き、思いもよらぬ発想が出てきたり、僕自身も頭を使って子どもたちと一緒に考える必要があったりする時は、ワクワクしてきます。

このように書くと、とても良さそうな授業に思えると思いますが、学習者主体の授業で必ず対応しなければいけないことがあると僕は思います。それは「孤独化」すなわち「一人ぼっち」です。そして、僕が一番悩んだことでもありました。

(その③へ続く)

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