見出し画像

【学習者主体の学びについて思うこと その③】


子どもたちの学びや活動に自由度が増すと、一人ぼっちの子がクラスに必ず出てくると思います。理由は簡単で、関わりやすい子と関わるのが「楽」だからです。望んで一人になりたい子もいますが、グループが固定化されてしまって入るに入れない子や、何をすればいいか分からずに固まって孤立化してしまう子がいます。

ある学年のクラスで、算数科の単元20時間程度すべての課題プリントを作成し、子どもたちが自分のペースで学べるようにしたことがありました。個々の能力に応じて、自分のペースで学べるだろうと思って取り組みはじめたのですが、実際にはじめてみたら先に進みたい子はどんどん進み、学習の理解に時間がかかる子や周りに「分からない」が言えない子にとっては、一人ぼっちで何もできない時間がただひたすら続きました。

もちろん僕はそのような状態をよいと思いません。すぐに対応策を考えます。ただ、できる限り子どもたち集団に解決して欲しいと思い、全体に何度も語りかけるのですが、なかなか伝わりません。一人ぼっちの子が何もできないのを放ったらかしにもできないので、個別に関わることにしますが、そうすると全体が見えなくなりますし、「先生が教えてくれるからいいや」と言わんばかりに、個別に対応しなければいけない子が増えてきます。さらに、子ども同士でトラブルが起こったり、学習とは関係のない好き勝手にする子たちが増えてきて、教室は混乱状態になりました。

「子どもたちが自分のペースで学べるようにする」ことが目的だったのにもかかわらず、一人ぼっちを生み出してしまい、学習環境が保証されなければ、本来の目的を見失っていることになります。僕はこの時、一度自分がしていることをすべてリセットし、いわゆる一斉授業にもどしました。すると、混乱状態は落ち着き、1時間の授業が自然に流れました。どんどん進める子は暇をしていたと思いますが、一人ぼっちの子はうまれませんでした。

(その④に続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?