「再考」中の目標 その6

 前回は美人という視点から私の男性性を考えてみました。今回も引き続き、私の男性性について見直しをしていきたいと思います。
 私は男性で発達障害・精神障害当事者の1人です。現在実家で暮らしています。そこでは母親が毎日料理をしています。私も月1、2回は台所に立ちます。いい話じゃないですかで終わることも可能です。でも、毎日母親が料理をすることが当たり前であるということは、私がジェンダー的には男性優勢的な家族で育っているとも解釈できます。そんな環境で育ってきた私ですから、料理は女性がするものと思い込んでも不思議ではありません。しかし、私はA型では調理補助をしていますし、ランチで提供するデザート(ゼリー)を作る機会も多いので、そういう意味では女性がすることをしています(因みにこのA型事業所は職員が全員女性です)。なぜジェンダー的に男性の私が女性がすることをしているのかと思います。
 こう考える時点で、男性性による女性への偏見や差別と言えます。ただ、私は調理補助という仕事自体は嫌ではありません
 調理補助と言えば、私自身の仕事関連の事柄が思い浮かびます。私はもともと臨床心理士を志していました。また精神保健福祉士の資格もあり、現在は保育士試験対策をしています。これらの対人援助の資格は現在でも女性が多いのが現状です。こういう対人援助つまり人のケアというのは女性がするものという意識が社会に根強いからでしょう。男性である私にもそんな偏見や差別に満ちた意識があると言わざるを得ません。ただ、その女性のすることを目指していた(いる)自分を嫌にはなりません。
 偏見や差別意識満載でしょうが、私は女性がすることを自分がすることを特に嫌にはならないということです。単に興味と感心があって取り組んできただけと思っています。結果的に見れば、ささやかですが女性を尊重することにもつながっていると思います。なので、私は女性学(ジェンダーやフェミニズム等)や信田さよ子氏の臨床心理実践を興味・関心事にしているのでしょう。ただ、女性だからという考えには賛成できない側面はあります。私の「トラウマ」体験で取り上げたのは女性の支援員やセラピストです。この方々は女性ではなく、立場的には私(男性)よりも上です。ということは非対称的(対等ではない)な関係であり、上の立場(女性)が対等にするために女性だからという「印籠」は避けるべきなのです。確かに男性優先社会において女性は力のない立場に強いられた歴史はあります。現在は男女平等とされていますが、私は表面的であると考えています。私のような男性よりも力ある立場なのに女性=力ない立場という考えを利用して人を傷つけトラウマまで負わせるーこれを断じて男女平等と認めることはできません。
 私は男性優位であるということは、本質的には力ある立場が優先であり、その立場に男女は関係ないと考えています。もちろん力ない立場にも男女は関係ありません。男性もそうですが、女性も男性よりも立場が上になった時は非対称的(対等ではない)な関係を多少なりとも意識した言動を心掛けていただきたいと切に願います。
 ここまで私の男性性を見直してみました。多少脇道に逸れたかもしれませんが、私なりに男性性を見直したところから考察を拡大していったと思っていただければ幸いです。
 ここまで読んでいただいた方に心より感謝を申し上げます。
 
 
 
 
 

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