ピアノレッスンでのトラウマ、その後

 『いきなり黄金伝説』のようなタイトルになってしまったかもしれません。実は私は今年の3月からピアノを習い始めて現在8カ月になる初心者です。習い始めたキッカケは保育士試験を受験するために、実技で音楽を選んだことでした。また同時に、クラシックのピアノ曲も挑戦してみたいという気持ちも持っていました。最初のうちは、今年の保育士試験での実技の課題曲である『幸せなら手をたたこう』『やぎさんゆうびん』が弾ければいいかと思っていました。でも私はクラシックを聴くのが好きな人ですから、ショスタコーヴィチの『子どもの音楽帳』の数曲を挑戦していました。ただ、この挑戦は早過ぎたと後で分かりました(最近は保育士試験の課題曲2曲も早過ぎたかもと思っています)。
 レッスンは最初、某有名企業Yのピアノレッスンで月2回通っていました。しかし8月で止めました。そして現在は個人レッスンをしている別のピアノ教室に通っています。止めた理由は講師(女性)からの暴言(「言葉による暴力」)でした。8月のレッスンで私は『子どもの音楽帳』から7.誕生日の片手奏(右手)をしました。弾き終わって講師が予想もしない言葉を投げ掛けましたー「なんでこの曲選んだの⁈イ長調じゃないの」「ガチャガチャ弾いてる」「私が別のテキスト紹介しようか」と。そして私の右手をおもむろに握り、弾き方を「矯正」しました。恥辱感しか湧きませんでした。難しいのは理解していましたが、ここまで言われたらトラウマになりますし継続できないと思いました。ピアノ講師と受講生は非対称的(対等ではない)な関係なので、講師側が受講生を対等にしないとレッスンが成り立ちません。ということは、対等な関係であるためには講師側に相当な制限や縛りが掛かるのです。だから、講師の方が声掛けの言葉に気を付ける必要があります。こういう非対称的な関係を認識していないと、力ある立場(講師)は力ない立場(受講生)を何らかの形で支配しようとします。このケースは言葉による暴力でした(もちろん、受講生である私に責任はありません)。
 9月から現在(10月31日時点)までは別の教室に通っています。ここで『子どもの音楽帳』から7.誕生日の片手奏をしました。指導していただきましたが私も講師(女性)もこのままやっても上達しないねということで一致しました。そういう事情から、講師から好きになれそうな初級の楽譜を購入してくださいと言われ、現在はそれをレッスンで使っています。
 今考えてみれば、確かにショスタコーヴィチの子どものための曲は早過ぎでした。でもそこに気づいたからか、この講師の影響か分かりませんが、こういう有名な作曲家以外の無名な(失礼かも、というか私が知らない)作曲家にも目が向くようになりました。現在の教室ではこの曲から難易度を落として取り組んでいます。最近、講師からレヴェルを下げて余裕を持って弾いているねと言われました。いい傾向だなあと思いました。
 そんな中で考えましたー『クラシックを聴くときはマーラーやショスタコーヴィチのような有名な作曲家で難易度が高い作品でもいいけど、自分でピアノを弾くときは無名で自分のレヴェルに合わせた作品を弾けばいい』と。講師も有名な作曲家に関しては難しいという見解ですから、その影響は排除できません。ただ、現在使用している初級の楽譜も弾いてみるといい音楽だとしみじみ感じます。有名だろうと無名だろうと、同じクラシック音楽です。どちらも触れることでクラシック音楽をより深く掘り下げられると考えています。
 ここまで私のピアノレッスンの過程を記してみました。今のピアノ教室でピアノの基礎を地道に身に付けていきたいし、前教室でのトラウマ的状況の再現が避けられて長く継続できるようにしたいとも思っています。
 ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。

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