私の「トラウマ」体験 その4

 『私の「トラウマ」体験』と題して3回取り上げてみました。今回の4回目からは何回かに分けて私の「トラウマ」体験に触れてみようと思います。この体験は1回限りで書くにはスペースが足りないと判断したためです。また、私が被った多くのトラウマの中でも必ず書いておく必要性がある体験だと考えているからです。そして何より、絶対になかったことにしたくない最大のトラウマ体験だからでもあります。
 さて、今回のトラウマ体験の構成に関しては、まず結論から提示してそれからトラウマ体験の具体的な内容に移り、最後に結語としたいと思います。
 今回取り上げるトラウマ体験は「同性支援」です。福祉に関わる人ならば入浴での支援ではよく聞くと思います。個人的な意見として同性か異性かは支援には関係ないと思っています。支援者と利用者の関係ですから。ただどちらにもメリットデメリットがあり、利用者自身に選択権があることと考えています。
 私の「同性支援」のケースは「就労移行支援」でのことです。文字通り、同性(私は男性ですので男性)の支援者だけが支援に回りました。異性(女性)の方は挨拶だけというものでした。よく理解できないとは思いますが、次回から具体的に評細を語りますのでご容赦のほどを。
 まず結論から申し上げますと、この「同性支援」は支援ではなく「支配」であり「暴力」です。「暴力」とは言葉によるもの、利用者である私の社会的行為を著しく制限するもの、性的なものと3つを取り上げることができます。その責任は当時のサビ管(サービス管理責任者)を始めとする全ての支援者であり、利用者である私には何ら責任はないものと考えています。そして何よりこの「同性支援」によりトラウマが生じ、精神状態が悪化したのは当然の帰結です。
 この「同性支援」がどんな内容でどんな状況だったのかは次回に譲りますが、心に留めてほしいことがあります。まず、利用者と支援職は非対称的(対等ではない)な関係であることが前提です。それは支援職が上の立場であり利用者を対等にするということでもあります。それから、頭に浮かんだ考えを敢えて横に置いて、利用者である私の立場で読んでいただきたいのです。特に支援職の方にはそのことを「要求」します。それは支援職として常日頃から私が言われた言葉を言っていないか、再考してほしいからでもあります。そしてこの支援を自分が受けたらどう思うか、深く考察していただきたいと思います。
 長い序文になりましたが、次回からはこの「同性支援」の内容を具体的かつ評細に語りたいと思います。私は就労移行自体は否定しないけれど、私が受けた「同性支援」は否定するということもここで付け加えておきます。
 ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。


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