「再考」中の目標 その8

 前回のその7では、①私は「言葉」を最も重要と考えている「言葉の民」のような存在であること、なので②私には常に「言葉」が傍にあったこと、そして③私は自分を含む人間の行動の意味を言語化することに最も興味・関心があることの3つを書きました。
 私は中学高校と英語が好きで大学も外国語(フランス語)専攻でしたので、それだけでも「言葉」との親近感は湧く側面はあります。ただ、それだけでは①から③を説明できないと考えています。そんなわけで、私の「言葉」にまつわるいくつかのエピソードを何回かに分けて振り返りながら、①から③を関連付けたいと思います。
 今回は高校時代に遡ります。私が通った高校は3年間、朝の7時45分から課外があって、後は普通に夕方の4時ぐらいまで授業がある進学校でした。流行りの言葉で言えば「教育虐待」かもしれませんが。そんな環境下で、高2の2学期頃から私は図書室に通い始めました。最初はその頃の友人がよく行っていたのでついていっただけでした。その時の司書は女性の方で、私はどこかで舐めてかかっていたのでしょうか。昼なのに「おはよう」と言ってその司書を呆れさせたり、しまいには「あなたのお父さんとお母さんは何を教えているの⁈」と言われる始末でした。
 しかし突然、予想外の出来事が起こりました。ある日、何を話したかは忘れましたが、その女性司書からすごいねと言われました。これがキッカケになったのでしょう。私は昼食後、毎日月曜から金曜、卒業するまで図書室に通っては、その司書とカウンター越しに5分か10分ぐらい他愛のない話ばかりしていました。再現するとこんな感じになるでしょうか。
(私)「先生さ、これってこうなって~だよね」
(司書)「はあ⁈何言っちょっとね、違うわよ、これは・・・じゃないの」
(私)「そうだっけ?」
(司書)「そうじゃないの、何バカ言っちょっとね、もう⁈」
何か夫婦漫才みたいな会話ですが、大体こんな感じの話が毎日続きました。でも関係は良好で、楽しく充実した時間でした。
 ただ、17・8歳の男子生徒が20歳年上の女性の司書と話している様子は図書室にいた同級生たちの耳目を引いたようです。そんな中で、いつものように話していると同級生(女性)の1人から2人で笑ってみてよと言われました。その通りにしてみると、2人ともよく似ていました。また、ある日のこんな会話を思い出します。
(司書)「鬼塚君が3歳年上だったらね」
(私)「先生が3歳年下だったらなあ」
「~だったら」2人は恋人同士で、場合によっては結婚もあり得たかもと私は勝手に解釈しています。ただこの司書は既婚者でしたし、子どもも3人いましたので、それは無理というものでした。ただ、力ある立場(司書)が力ない立場(生徒である私)を対等にするという関係の最初の経験だったと今は捉えています。
 ところで、なぜ昼休みの図書室で会話が容認されていたかと言うと、この司書が生徒たちの進学校での大変さを憂慮し、昼休みくらいくつろいでいいと考えていたからでした。その意味では「居場所」を作った人とも言えます。教室で「居場所」を持てなかった生徒たちには心地よい空間だったと思います。私もその1人だったかもしれません。
 ここまで高校時代の図書室でのエピソードを振り返りました。ここでは、図書室と女性の司書との出会いが、「言葉」を最も重要視する「言葉の民」である私には「言葉」が常に傍にあり、人間の行動の意味を言語化する(①から③の)基盤になったということを理解していただければ幸いです。この基盤になる出来事はたくさんあるとは思いますが、代表的なものの1つとして今回のエピソードを取り上げてみました。
 ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。
 
 
 

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