【HSP】「人間嫌い」ゆえの人間信者
わたしの周りには何人かいました。
「人間って、気持ち悪くない?」
「人間嫌いだわー」
「もっと人が少ないところにいたい……」
まあ! まるでわたしと同じような思想をお持ちなんですね!
わたしたち、なんだか仲良くなれそうですわ!
でも、しばらく経ってその人たちの近況を聞いてみると、みーんな恋人やパートナーとこっぴどい終わり方をして、本格的に人間を嫌っていたりする。
なんで? どうして?
あれだけわたしと人間嫌いの波長が合っていたはずだったのに、なんでそんな簡単に他人を信用しちゃうの?
かつてのわたしは聞きました。
「どうして付き合う前にわからなかったの?」
我ながらひどいやつですね。失恋直後の人間にそんなことを聞くなんて。
そうすると、みーんな口を揃えてこう言います。
「この人は、他の人とは違うと思ってた」
そう、これなんです。
別に、彼ら彼女らの「人間嫌い」をニセモノだとか、フェイクだとか、そういう部分を否定するつもりはないんだよね。
わたしも否定されたくないし、共感できるところもあるから。
そこで、わたしはひとつの仮説を、勝手にひとりで立ててみた。
人間が嫌いな人間ほど、けっこう簡単に他人を信じてしまう説。
うん。
わりと間違っていないと思う。
ひとえに「人間嫌い」と言いましても、その根っこは十人十色、千差万別なんだよね。
過去に他人からいじめられていたことがあるから。
恋人や親友、さらには家族に裏切られたことがあるから。
自分自身が死ぬほど嫌いだから。
なんとなく、人間たちが鬱陶しいから。
人間嫌いになるルーツは、人の数ほどある。それは否定しちゃいけないし、外野があーだこーだ言うべきじゃない。
だから、今回は「人間嫌い」のサンプルとして、わたし自身の心の動きを整理していきたい。
ほんとうはね、こういう心の動きを暴露してしまうことはわたしにとって損失になるからやりたくないんだけど。
ずっとこのテーマで記事を書きたかったから。
わたし自身の自己分析にもなるし。
就活かな?
わたしが人間を嫌いになった理由は、またどこかで書くとしまして。
人間嫌いのわたしは、他人とのあいだの壁ばかりが分厚く頑丈に築かれているけど、一度中に入られると簡単に攻略されてしまう傾向がある。
お城に例えますと。
堀が何重にも巡らされていて、城壁も高くて堅牢。高所から攻撃するためのからくりも施されていて、練度の低い兵隊では城門すら打ち破れずに敗走してしまう。
けれども、一度どこかから城内に侵入してしまえば、守りの兵は手薄、天守閣まで誰とも接敵せずに辿りつけてしまい、なんと城主も丸腰でいる。
わたしの心は、まさにこのとおりでございます。
人間関係でも同じことが言える。
他人との壁を分厚く築いているけど、自分に踏み込まれるとけっこう簡単に落城してしまう。
難しいのはその壁を打ち破ることだけで、懐に入ってさえしまえば簡単に心を掌握されてしまう。
めちゃくちゃ身も蓋もない言葉を使えば、わたしってちょろいんです。
で。
自分でも自分のことをちょろいと思っているからこそ、ますます他人との壁を頑丈に堅牢にしていくってわけ。
簡単に打ち破られないように、掻い潜られないように、壁ばかりを強化していく。
今度こそ、ネズミ一匹通さない頑丈な壁になったぞ、と。
賢明なnoter諸君ならおわかりだと思うんだけど、実はこれっていいことじゃないんだよね。
壁を頑丈にしていったところで、わたし自身の対人間性能は変わらないから。
心を簡単に掌握されてしまうのだって、もとを辿ればわたしの対人スキル不足が招いているからね。
どうでもいい他人の絆されないようにするためには、わたしが強くならないといけない。
壁を築くだのなんだので、他人を避けるようにしてしまっては根本的な解決にはならない。
お城にこもって兵隊やお城は強くするけど、城主本人はなんの鍛錬もしていないのといっしょ。
家臣やお城だけを強く見せている城主は、いざ攻め込まれたときに何もできずに死んでしまう。
人間も同じだと思っていて。
壁を築くだけじゃ人間って強くならないんだよね。
壁の奥には、無防備で丸腰でなーんにも鍛えていないわたしがいるんだから。
わたしの心に触れようとした人間が発した言葉のすべてを真に受けて一喜一憂する。
必要とあらば尻尾を振ったり、お腹を見せて寝転んだりもする。
方法はさておき、壁を潜り抜けてきた人間をなんの疑いもなく信じてしまうのだ。
エセ人間嫌いだったんだよね。
それを純粋とかピュアとか呼ぶ人もいるけど、それってあんまり褒め言葉じゃない気がする。
ゆえに。
「人間嫌い」の人間信者は存在している。
わたしは「人間なんて嫌いだ!」と嘯きながらも、簡単に人間を信じてしまう「人間信者」なのである。
他人に利用されないようにするためには、わたし本体を強くしなければならない。
そのためには、たくさん人間とかかわって、人間がどうやって他人とかかわりを持っているのか学習しなければならない。
「人間が嫌い」と言いながら、ゴミみたいな(話を聞いた限り)恋人やパートナーと関係を持ち、あげく裏切られた彼ら彼女らに石を投げる資格などわたしは持ち合わせていないのである。
というか、わたしもそっち側の人間じゃん。
そういう視点からあらためて今回の仮説を見てみると、やっぱり他人とのかかわりあいを避けがちな「人間嫌い」のほうが、簡単に人間を信じてしまうと言えるでしょう。
間違ってないよね。
壁を突破されたあとでも、他人を受け流せるか、意に介さずにいられるか、自分の心を守れるか、そういうところがたぶん大事。
ふだんから積極的に他人とかかわっている人は、自分の軸がぶれないように鍛えられているんだと思う。
だからこそ、自分を惑わせようとする人間にいち早く気づくし、容赦なく距離をおける。防御ができる。
なんていうか、こういう攻めの人間嫌いは別に問題ないと思う。簡単には騙されないだろうし。
でも、わたしみたいな守りの人間嫌いは、どのタイミングでどんな人に心を開けばいいか、経験が不足しているから、いざというときに懐に潜り込まれて腹を刺されるわけよ。
もっと人とかかわろう……わたし……。
壁を分厚くするのもいいけど、心に触れてきた人間をぶっ倒す訓練もしなくちゃならない。
それが純粋やピュアを失うことにつながるとしてもだ。
他人は汚いよ。わたしも自分を守るためには多少汚れないといけない。
やっぱり、人間は他人とのかかわりをとおしてしか強くなれないんだ……。
それが善い人間だろうが、悪い人間だろうが、他人とのかかわりを絶ってはならないんだ……。
人間って、難しい。
でもね、こんなこと言っているけど、わたしは心のどこかで人間を信じているんだと思う。
性善説を、たぶん信じている。
だからこそちょろいし、簡単に人間を信じてしまう。
矛盾も矛盾。二律背反。アンビバレンス。
他人よりも自分を信じられるようになりましょう。
今回はこんな感じ。おつかれサマー。
髪色を変えたいです。職場が許すのであれば、グリーンとかにしたい。昔のロバート馬場みたいな感じ。
みなさま、よき頑丈な壁ライフをお過ごしください。