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【HSP】明るい未来と幸せの話【INFJ】

書き終わってタイトルをつけて一晩寝かせて、改めて読み直したけどタイトル詐欺がすごすぎる
タイトルのような明るい話ではなくて、暗い人間がうじうじだらだらつらさを吐き出しているだけなので、そういうのをお求めでないみなさまは、残念ですがさようなら。




他人の目とか世間体とか誰かからの評価とか、そういうものをぜーんぶかなぐり捨てたら、きっと生きるのはもっと楽になるかもしれないのに。
一見なにも考えていないと思われがちなわたしが、自らの内でどれだけいろんなことを一瞬のうちに考えていることか。
思うがままに生きて、やりたいことをやって、自由になりたい。

でも、なかなかそういうものを投げ捨てるのは難しい。
だって、それを捨てたら健康で文化的な生活を失いそうな気がするから。
わたしだって勇気とお金さえあるのならば、山奥で自給自足の生活をして、しれっと結婚して、いつのまにか消え去りたい。
そもそも人間社会との相性が悪くて人生との相性が悪い
年齢を重ねれば重ねるほど、何もかもがうまくいかない感覚がする。
人生先細りのお先真っ暗。明るい未来など夢のまた夢。
わたしにとっては、「明るい未来」はフィクションとすら思えてしまう。

小説『明るい未来』。
……明るい青年が、持ち前の勇気と明るさとガッツで艱難辛苦を乗り越え、友人やパートナーにも、子宝にも恵まれて、タイトル通りの「明るい未来」を手に入れるお話。
なんともおもしろくなさそうな小説である。
というか、幸せな主人公の物語って読んでいて退屈なんだよね。
物語なんだから、主人公は不幸であればあるほどいい。
いや違うか。ハナから幸せな人間がもっと幸せになる物語が嫌いなんだ。
そんなの読まなくていい。勝手に幸せになっていてくれ。




人それぞれに悩みはあると言うけれど、持っている人間がクヨクヨ悩んでいるんじゃない、といまのメンタルでは思ってしまう。
おまえには勇気も明るさもガッツもあったかもしれないけど、わたしには何もない。
持っている人間にそんな顔をされたら、何も持ち合わせていないわたしはどんな顔をしたらいいんだ。
おまえの悩みの境地にすら到達できない、社会の底のほうで手遅れになりつつある現実をどうにかしたいと悩んでいる人生弱者のわたしはどうなるんだ。

勇気も明るさもガッツもなかったわたしは、いろんなことに消極的な人間だった。
学芸会の劇でやりたい役があっても、わたしよりやりたい熱が強い人がいればそれを譲ったし。
友だちと同じ人を好きになってしまったときは、自分の心に嘘を吐きながら友だちにチャンスを譲ったし。
常に周りの顔色を窺って、最前線から一歩引いたところにいた経験が招いた
結果としては妥当だよね。

わたしにも、持っている人間になれるチャンスはあった。
1回きりとかじゃなくて、思い返せば何回もあった。
みんなが幸せになっていくのを見るのが好きだから」なんて、いろんな人にそのチャンスを譲りまくった結果が、これ。
そんな子どものころに「それって、おまえは幸せになれてんの?」って一声かけてくれる人間に出会えなかったのはツイていなかった。
環境とか個人的なモノとか、いまのわたしになってしまった要因はそりゃいろいろある。

人間関係に恵まれなかった? ――それはある。
家族との関係がよくなかった? ――それもある。
そもそも運がよくなかった? ――それもたぶん、ある。

でも、いちばんの原因はチャンスをみすみす手放した――なんなら見えていたのに摑まなかったわたしにある
「幸せを見るのが好き」と嘯いたけど、けっきょくは自分可愛さに無謀な挑戦を避けてきたわたしが、この世でいちばんもっとも悪い

こういうのを、世間では「自業自得」とか「自己責任」とか言うらしい。




話は変わりまして。
ついこのあいだ、とある本を読んだ。
本屋で平積みされ、さらにド派手なPOPで宣伝されていた東洋哲学にまつわる本である。
まあ、ここまで言ってタイトルを隠す意味はないと思うけど。

人間、どうしようもなくなると東洋哲学に手を出すのだという。
一世を風靡したお笑い芸人ですら、ブームが去ってお仕事がなくなってしまったあとにドハマりしたってハナシだから、たぶんほんとう。
大学のときに哲学の講義をとったことがあったけど、いちばん最初の講義のときに「哲学の授業を受けるなんて不健康だ」と教授に言われたくらいだから、たぶん哲学は不健康。

で。
その作者もなかなかのご苦労をされていて、どうしようもなくなって手に取ったのが哲学だったという。
ブッダからはじまり、同じくインドの龍樹。中国に飛んで老子と荘子。最後は鎌倉仏教。
いろんな哲学を、哲学の「て」の字も知らないような素人にもわかりやすいよう噛み砕いてくれて、各章のまとめではその哲学と作者ご自身の体験も交えて伝えてくれた。
前々から気になっていた本でもあったから、おもしろくてあっというまに読み終えてしまったのだ。
だけども。
最後の最後で、なかなかのご苦労をされていた作者はさくっと幸せになったと述べている。

確かに「なるほど、こういう考え方が沼から抜け出すヒントになるのか」とふむふむ納得しながら読んでいる自分もいた。
言葉はフィクションで、現実は光を映しているだけで、すべてはつながっているんだね。
いっぽうで、なんだかもやもやしたものを感じてしまったのも事実。
うまく言えないけど、なんとなく納得できない感じ。単なる僻みだと思うけど。
途中まではすごくおもしろかったのに、最後の最後で「うーん」となってしまった本は人生で2冊目。ちなみに1冊目は『陽だまりの彼女』である。

そんなこんなで、哲学にちょっとだけ興味をもったわたしだったんだけど、この超入門編の本を読んでいる途中でも、「あ、これメンタル落ちているときに読んだら、ほんとうに病むかも……」とちょっと怖くなった。
心が元気なときに読むといいです。
あと、本格的な哲学の本を書店で探そうとすると、だいたい宗教のコーナーの近くに並んでいるので、試し読みしていると周りから人間が離れていきます
本格的に人間から離れたいなら、哲学書を読む姿を見せつけるといいと思います。




いっそ自分を殺す薬とかあればいいのに。
もしくは、安全確実に記憶を失う装置とか。
人格を形成する要素は、遺伝的なものと環境的なもののふたつに分けられて、より影響力が大きいのは後者らしいよ。
だから、わたしがいまこうなってしまったのも環境の影響が少なからずあるってワケよ。
性善説を唱えるわけじゃないけど、いまの記憶をすべて手放せば、産まれてきた本来のわたしの人格に帰ることができるんじゃない?
これも難しいよね。性格とは記憶に宿るのか心に宿るのかみたいな、それこそ哲学的な話になってしまう。
四六時中こんなことばかり考えていたら、ほんとうに頭がおかしくなる。
マヒさせなきゃ……。
明日は久々にお酒を飲もう……。それも強いやつ……。

今回はこんな感じ。おつかれサマー。
みなさま、よき幸せな主人公ライフをお過ごしください。