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ひとり旅をするおたく~伊豆大島一周編~#3

(六)
 大島公園から出発してわずか三十分足らず。
 私は自転車を押しながら息切れをしつつ山道を歩いていた。

 目の前には森、そして坂だ。山の中にゆるい坂道が果てしなく続いている。少し平坦になったかと思えば気づいたらまた坂になって、進んでいるような気が永遠にしない。山なのだから坂があるのは当たり前なのだけれど地形そのものを呪いたくなってくる。もはやギアを一番軽いものにしても、体力的に自転車に跨ってぺダルを漕ぐのは不可能に近かったので、僅かな平坦な道を自転車に乗って進み、坂は自転車を押してゆっくりと進むという方法を取っていた。

 二日分の荷物入ったバカでかいリュックが重くてひっくり返りそうだ。恐ろしいことにさっき買ったばかりの水は半分近く既に無くなっていた。この水がなくなったらいよいよ限界だな。行き倒れてしまう前にさっきまでいたセーブポイントまで戻らなければ。スーパーマリオと違って私に残機はないのだから、こんな山中で力尽きたらそのまま気付いてもらえず死ぬかもしれない。しかしもし今戻ったら、絶対にこの山道を再び上がってくる体力などもう残ってはいないだろう。一番の目的だった島の一周という目標を断念することになってしまう。でも命が一番大切だし…死んだら元も子もないし…埼玉に居る親も悲しむし……。

 そんなことをぐるぐる考えながら、先に進むことも戻ることも決められずに足を動かしていると、来た方向から一台の車がやってきた。
 そのまま通り過ぎると思いきや、なんとその車はゼイハア言いながら自転車を押している私の横で減速し、運転していたネクタイを締めたおじさん(とお兄さんの間ぐらいの男性)がこちらへ話しかけてきた。

「この先結構ずっと坂続くけど大丈夫?もしよかったら乗ってく?」

 おじさんも明らかに山越え慣れしてない女が一人苦しそうに自転車を押しているのが気になってしまったに違いない。

「…ずっとってどのくらいですか?」
「う~ん、あと二十キロぐらいは山の上まで登っていくから、キツイんじゃないかなあ」

 車のトランクに自転車乗せて、君も乗っていきなよ。山を降りた南の港町で下ろしてあげるよ。おじさんはなんてことのないようにそう提案してきた。
 私が悩んでいると「山のてっぺんまででもいいよ、山を下るのは気持ちいいだろうから」とも言ってくれた。
 もしここが東京のスラムだったら(住所的には東京なのだけど)誘拐されて薬漬けにされて身ぐるみ剥がされてしまうだろうから、そんな目に遭わない為にも絶対に断っていただろう。しかしどうしようもなくその時私は消耗していた。

 消耗していたのでつい「じゃあお願いします…」などと答えてしまっていた。
 私の返事を聞いたおじさんは、車から降りてテキパキと慣れた様子で私の押していたマウンテンバイクを車の荷台に乗せる。

 そして私は車の助手席に乗りこんだ。
 知らない人の車に乗るのも、通りすがりの人の嘘か本当かもわからない善意にそのままのっかるのも、生まれてきて初めての出来事で、疲れきった心臓がどきどきと高鳴っていた。

 後になってわかるが、この時の判断は英断だったと思う。ここで車に乗らなかったら、おそらく、いや間違いなく私は山の途中でくたばっていただろう。運よく山越え出来たとしても出発した元町に戻って来られるのは夜になっていたに違いない。そしてそれは街頭などろくにないこの島ではとても危険だった筈だ。自転車旅に慣れていない私のような人間なら尚更。

 だからこの時私に声をかけてくれたおじさんは、言わば命の恩人なのだ。声も交わしたことのない赤の他人に、行き詰まっていた旅が動かされることもある。もう顔も声も思い出せないけれど、この出来事は私の旅の精神の結構深くに根付いている。

(七)
 当たり前だが、おじさんは怪しい薬の売人などではなかった。
 話を聞くと島の住人ではなく、全日本空輸(通称ANA。そうあのANA)の社員さんで、大島には仕事でツアーの下見に来ていたとのこと。よく見るとネクタイにもちゃんとANAとロゴが書かれている。

「今大島のツアーを企画していてね、裏砂漠の方までバスが通れるか下見をしにきたんだよ。裏砂漠、知ってる?」

 砂漠ねえ。サイトで大島について調べた時に勿論島の名所として名前は出てきた。生まれてこの方砂漠というものを見たことがないのでかなり興味は引かれていた。その砂漠へ続く月と砂漠ラインという道もロマンティックだ。

 しかし山の中腹から砂漠へ出る道はあってないようなものらしく、ガイドも無しに初心者が迷い込んだら最後、生きて帰ってこられないとかなんとか書いてあって(誇張表現はあれど大方本当だ)寄るのは無理だろうな~と諦めていたのだ。

 まさに不幸中の幸い。棚からぼた餅。一石二鳥。私は快諾し、おじさんの運転する車は裏砂漠へ向かう為に山道の脇道へと逸れた。暫く先ほど自転車で登っていたような緑あふれる普通の山道を走っていたが、その道は急に途切れて消えた。

 さっきまで視界に嫌というほど広がっていた緑が、消えてなくなったのだ。代わりに視界がどんどん開いてゆき、現れたのはひたすらに広い荒野のような風景だった。
 想像以上の光景に私は思わず息を飲んだ。こんな景色が日本の東京で見られるなんて思わなかった。

 そこには見渡す限り、何もなかった。人間の姿も、木々も、建物も見あたらなく、僅かに緑が点々とあるばかりで、広大な大地が三百六十度広がっている。月と砂漠ラインの名前の通り、まるで月面のようだと思った。月に降り立ったことなど生まれてこの方ないけれど、おそらくきっと月面もこんな広大でありつつも淋しい景色が広がっているのではなかろうか。

火星?
とても東京とは思えない風景

 あとから知ったことだが日本に砂漠という名前のつく場所はここ伊豆大島にしかないとのことだった。有名な鳥取のあれは砂漠ではなく砂丘である。(鳥取砂丘に行ったこともあるが、大島の裏砂漠はそれとは比べものにならないほどに広大だった)

この「砂漠」が出来た経緯というのが、過去にあった大島の中心かつシンボルである三原山(ゴジラの出身地だとかそうでないとか)の火山噴火が原因で、当時島の東側にあった山々の木々などはすべて溶岩で流されてしまったらしい。残ったのは火山土で、がゆっくり時間をかけて現在の荒野になったという訳だ。

「すごいですね、日本じゃないみたい、これめちゃくちゃすごいですね」

 私は語彙の少なさを存分に発揮しながら譫言のように感嘆の言葉を吐いていた。おじさんと共に車を降りてみるとよりその広大さを感じ取ることができた。踏みしめた地面は砂利のように火山土らしき小さな石がごろごろとしていた。

 はしゃいで記念撮影をした後、おじさんの提案で近くの小さな山に登ってみることになった。山と言っても緑もまったく生えていない裸の少し高い丘だ。(正に砂漠のイメージ)あまり奥に行きすぎると迷って戻ってこられなくなるから、と先ほどの月を砂漠ラインに戻って、黙々と道を進んでいく。

 道と言っても道と呼べるほど整備されていない。ゼイハア言いながら砂利を踏みしめて狭い坂を登って行くと、ぽつぽつと観光客らしき人の姿が現れるようになった。皆それぞれ登山客のようなしっかりとした格好をしている。ジーパンティーシャツの軽装なのは私だけのようだ。

 やがて小さな裸の山の頂上についた。標高が高くなったので先ほどよりもずっと遠くの海の方まで見渡せる。さすがに三原山の向こうは見えないが、豆粒みたいな登山者が、隣の裸の山を下ってこちらの裸の山へとやって来るのがはっきりと見えた。

 しかしなんとまあ、あまりにも日本離れした光景だろうか。裏砂漠はアクセスの悪さ(バスでしか行けないし、そのバスも一時間に一本しかない)から大島の観光ルートからはずされることが多いらしいが、この景色を見ずに帰るのはあまりにもったいない。 もう数十年経ったら裏砂漠も表砂漠と同じように緑で茂ってしまうらしい。自然で一度無になった地に自然が戻ってくるという流れにたくましさを感じずにはいられない。完全に元に戻ってしまう前に、どうにかして私はあの「何もない風景」をもう一度見に行きたいと思っている。道も木々も何もない、音もしないあの風景を思い出すと、自然にすべて委ねてしまいたくなるような、とてつもないエネルギーの一端に触れたような、そんなどうしようもない気持ちになるのだった。

#4へ続く


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