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家族は最も複雑な人間関係

最近、続けざまに本を読んだ。

辻村深月「傲慢と善良」「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」

齋藤彩「母という呪縛 娘という牢獄」


それぞれ方向性は異なるが、共通している要素が「歪な親子(母娘)関係」。
共依存のような献身が過ぎる愛、永遠に子供を子供と見なし、己の手の届く範囲、己の正しいと思う方向へ強引にでも導こうとする姿勢、暴力や精神への攻撃による、子供の生活・心すべての支配など。

幼少期の子供にとって親は世界のすべてに近く、幼い頃からの抑圧は大人になっても消えない傷となり得る。

勿論、親も人間であるし、間違うことも失敗することもある。
そもそも、永遠に誰も真の「大人」が分からないように、「親」の模範解答は無い。

それでも、やはり幼少期の子供にとって親の存在は絶対であり世界のすべてであるため、親が子供に与える影響はあまりにも大きい。

あくまで私の一意見にすぎないが、
親子関係が良い方向に向かうかの大きな道の分かれ目の1つは、「親が子供を人間として尊重しているか」だと思う。

先程挙げた献身すぎる愛や支配は、あくまで、相手のことを己が"所有"している存在であると潜在的に認識しているから。
だからこそ、永遠に手放せないし、何をしても相手が自分から離れていくことは無い、と考えている。
友人相手であれば決して取らないような言動を、家族相手には平然と取る。
これは家族間だからこそ発生する意識であり、また密室のため、本人や周囲もそれに気づきづらい。
すべて「家族だから」で片付けられる。

そんな折、デパートで母の日・父の日フェアを見て、ふと、父の日について思い出したことがある。

私の父は、父の日のプレゼントなどを強要したり、アピールしてくるようなタイプでは無いが、基本的に私は毎年何かしらを父の日に贈っていた。

何年か前、私が大学生のとき、父の日を忘れていたことがあった。

「今年、父の日忘れてた。ごめん」
と、後日父に言うと、

「別にいい。俺も子どもの日に何もあげてないし」
と言われた。

ささいな一言だが、正直そんなことを言われると思ってなかったし、そんな発想は私にはなかった。
その時、「あ、この人は子ども相手でも一応は対等に見ているんだな」と感じた。

もちろん、親の扶養に入り、学費を出してもらっている立場であったため、それだけでなく、父の日は日頃の感謝を伝えるタイミングではあるが、当たり前のようにさらっとした父のその発言を、私は結構気に入っている。

思えば、進路や就職、私生活など、親に干渉されたことはあまりなかった。
放任すぎるのでは?と思ったこともあるが、本当に困ったことがあれば力になってくれようとするんだろうということは、何となく感じる。

自分が年齢を重ねれば重ねるほど、そんな親の有り難みと、これから自分が親という立場に仮になったとき、果たしてそんな存在になれるのかという疑問は大きくなる。

(ただ、思春期には母といざこざはあったし、今でも許せていない言葉もある。やはり幼少期〜思春期の親子関係の重みは大きいのかもしれない)

今年、私は27歳になる。
自分が嫌だと思っていた姿にならないよう、柔らかく、努力をしていかなければいけない。

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